第二章

第1話

 上手さんと深夜の学校へ行き、オブジェを解体しそうになったところを全力で止められ――なぜか付き合うことになった日の夜。

 僕は、なかなか眠れなかった。

 僕はこれまで、高一の終わり頃に発生した人生最大の問題、父が美大進学を認めてくれないという現状について、ずっと誰にも話さず、一人でどうにかしようとしていた。

 先生や友人との衝突とならともかく、自分の親のことなど、誰かが解決してくれると思えなかった。それに親に負けて美大進学を諦めた、なんて言ったら、自分が親に勝てない、弱い存在だと思われてしまう。それが嫌だった。

 だから、美術制作からは自分から興味を失って、普通の進学先を目指す……というのが、僕の描いていたシナリオだった。

 それを全力で邪魔する人が現れた。上手さんだった。

 偶然の出会いから短期間で、僕のことをあそこまで考えてくれる人が現れるとは思わなかった。もともとつながりのあった美術部の部員や、クラスの友人はそこまで干渉してこなかった。まあ、僕がその話題には触れるな、という雰囲気を出していたのも原因だが。

 だから、まだ信じきれてはいないが、僕のことを考えてくれている人、という意味では掛け値なしで上手さんが一番だった。

 そんな女の子と付き合えるのだから、この上ない幸せだ。

 上手さんが心配していたように、もともと好きな子も僕には存在しない。

 ただ、一つ問題があった。

 今まで、僕はモテたいとか、彼女を作りたいとか、誰かを好きになったという感情を抱いたことがなかった。そういうエネルギーはすべて美術制作に振っていた、と解釈している。

 自分に彼女ができるなんて、夢にも思っていなかった。

 だから――

 付き合う、ってどうすればいいんだ?

 僕にはそれがわからなかったのだ。

 そもそも、どうなったら付き合っている、という状態なんだろうか。

 毎日、学校から一緒に帰ったり、デートしていれば、それで付き合っている、と言えるのだろうか。あるいはそれ以上の――いや、これはまだ考えないでおこう。付き合ってすぐにそういう事をするのは軽薄だと、知識の浅い僕にはわかる。

 こうして、僕はこの問題に自分で結論を出すことができず、翌日の日曜日はルーチンと化していたゲーセンにすら行かず、悶々とし続けていたのだった。


* * *


月曜日。

僕は朝に弱いので、半分寝たような状態で学校の授業がスタートする。

だから考えずに済んでいたのだが、昼休み、やっと目が覚めてくると、上手さんと付き合っているということが、急に気になってきた。

付き合っているのなら、一緒に弁当を食べるべきだろうか。

いや。周囲を見ても、そこまでしているカップルはいない。女子は女子、男子は男子で集まっている。上手さんもいつもの女子グループにいた。

そんな訳で、僕はいつもどおり、席の近い適当な男子で集まり、昼食をとった。

時は流れ、放課後。

僕はいつもどおり、まっすぐ家に帰ろうとした。しかしここでも上手さんの事について、考えざるをえなかった。

一緒に帰るべきだろうか。

この前、オブジェの移動を手伝ってもらった山川と江草さんというカップルは、いつも二人で一緒に帰っているらしい。標準的なカップルとして、一緒に帰るのは自然な行動なのかもしれない。

そう思ったのだが、上手さんは放課後、少しの間女子の友達と雑談して過ごすので、僕とは行動が合わなかった。

一人、いつも残らない男子が教室で上手さんを待つのも、怪しまれるだろう。

結局この日、僕は上手さんと一言も話さないまま過ごしてしまった。

翌日。

前日と同じように、僕は上手さんと話すことなく一日を終え、放課後になった。

下駄箱の前で、急にぬらり、と大きな人影が現れた。

山川だった。


「すまん。手荒な真似はしたくないんだが」

「いや、するな。お前に勝てる訳ない。言う事聞くから」

「清宮さんがお前を呼んでいる。着てくれ」


 山川の体格からして、僕の力では到底及ばない。僕は大人しく、清宮さんの待つ家庭科準備室へ向かうことにした。

 そこでは、清宮さんが仁王立ちで待っていた。


「正座」

「は?」

「いいから、正座」


 清宮さんの怒っている雰囲気がすごかったので、僕は床に正座した。


「全部聞いたわよ、良子から」

「……付き合いはじめたってこと?」

「そうよ。でもあんたたちが付き合ってる、って思ってる生徒、この学校では今のところ良子に説明してもらった私くらいよ。どうしてかわかる?」

「まあ、カップルみたいなこと、何もしてないからな」

「そうよ! どうして何もしないのよ」

「なんでって……正直、何したらいいのかわからん」

「はあ~? まったく、あんたもさっきのでかいのみたいな中々の堅物ね」

「さっきのでかいの?」

「ああ、それは気にしないで。とにかく、あんたから何か、行動を起こしなさい」

「いや……上手さん、ずっと他の仲いい子と一緒にいるし、僕が近くにいる必要ないじゃん」

「あるわよ! 彼氏は女友達なんて無視して近づく権利があるの。いい? 女の子はね、男子にリードされたいと思う生き物なのよ。少なくとも良子はそうだから」

「なんでそう言えるんだ? 上手さん、しっかりしてて誰かにリードされるなんてイメージないけどな」

「もう、わかってないわね! 良子、あんたと付き合い始めたけど、昨日は何もできなかったってすごく辛そうな顔で私に相談してきたのよ」

「えっ」


 そんなことは、全く想像していなかった。

 上手さんは人付き合いが上手で、僕なんかと話さなくても学校ではうまくやっていけるはずだ、と勝手に思っていた。

 昨日も、学校では笑顔で、辛そうな顔は見せていなかった。

 それが、僕と話せなかったことを、実はすごく気にしていたのだとしたら。少し、罪悪感を覚える。


「っていうか! あんたらLINEすら交換してないんでしょ!」

「うーん、まあ、勢いで付き合うことになったから」

「まずどうにかしてLINE交換しなさい。そのためには、そうね、やっぱり一緒に帰るのが一番ハードル低いわ。普通に歩くだけで私たちカップルですってアピールできるし。そこまで恥ずかしくないでしょ?」

「お、おう」


 正直、帰る時はいつも一人だし、有名人の上手さんと陰キャラな僕が一緒に歩いたら、けっこう恥ずかしい気はするが……


「明日ね! 早くしないと私が許さないから」

「なんで清宮さんがそこまで怒るんだ……?」

「決まってるじゃない。良子は私の大切な友達だからよ。あっでも、私が手回してるって良子にはバラさないでね! 絶対! じゃ、私生徒会の用事があるから!」


 嵐のように、清宮さんは去っていった。


「災難だったな」


 僕の後ろで聞いていた山川が、なぜかとても共感しているような顔でそう言った。

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