第12話

「ちょっと、誰か来てる!?」


 上手さんがぐっと声のボリュームを落としつつ、僕に近づいて話した。


「ああ。もう十時か。警備会社の巡回だな」

「何それ?」

「夜になると警備会社の人が校内巡回しに来るんだよ」

「なんでそんなこと知ってるの?」

「製作で遅くなって。何度か見つかって追い出されたことある」

「どんだけ集中してるのよ。じゃあ、製作してた事にすればいい?」

「いや。警備会社に見つかったことは先生にばれるし、その時は僕一人だったから、男女で一緒なのは疑われるだろ」

「た、確かに。どうすればいい?」

「逃げるしかないな」


 僕は一点だけつけていた美術室倉庫の照明を消した。


「っ!?」


 光源が全く入ってこないので、何一つ見えない暗黒の空間が広がった。


「ちょ、ちょっと、南條くん、今どこ!?」

「こっちだよ」


 僕は美術室倉庫の空間を把握しているので、真っ暗でも何となく場所はわかる。しかし上手さんは、こうなると場所がわからず……


「怖い怖い怖い!」


 上手さんは声の聞こえた方向、つまり僕の方へ駆け寄ってきた。身体と身体がぶつかり、僕はこけそうになった。

 その後、上手さんは僕の身体をぺたぺたと触った。ヘンなところは触られなかったが、位置を確認した上手さんは、僕の身体へ、全身を抱きつかせてきた。


「お、おい」

「怖い! 私暗いところダメなの」

「ち、近い、近いって」


 何も見えないのだが、背中からお腹のあたりをぎゅっと抱きしめられていて、ものすごく柔らかい身体が背中に押し付けられている。あとなんか、すごくいい香りがする。甘くて、一気に吸うとクラクラしそうになる、麻薬のような香りだった。


「電気つけて!」

「ダメだ。警備員の人が来る。逃げないと」

「じゃあ、このまま逃げよ!」

「ええっ……手、つなぐだけでいいでしょ」

「ダメ! このままがいい!」

「いやいや、こんなの付き合ってる男女がすることじゃん」

「じゃあ付き合って!」

「え?」

「いいから早く逃げよ!」


 カツーン、カツーンと警備員の足音が近づいてくる。


「わかったよ。ちょっと走るよ」

「うん!」


 僕は記憶にある空間をたどって、美術室側の扉から倉庫を出て、さらに美術室を出た。廊下に出ると、窓ガラスからわずかな光が差し込み、何となく周囲は見えるようになった。


「もう見えるよ」

「まだ無理ーっ!」


 上手さんはさっきから僕の首の下あたりに顔を押し付けていて、周囲を見ようとしていなかった。仕方ないので、僕は廊下を走った。階段は流石に自分で見ないと降りられないので、なんとか上手さんを説得して、身体を離してもらった。

 警備員は正門前に車を止めている。鉢合わせするとまずいので、僕たちは正門前が見える駐輪場の隅で待機していた。車が出るまでは、ここで待つ。


「ごめん。暗いとこ怖いとか、知らなかったから」

「ほんと怖かった……」


 上手さんは、身体を離しているとはいえまだ僕の左腕をぎゅっと身体に巻き付けている。


「ここまで来る道は大丈夫だったじゃん」

「街灯とかあったし、南條くんが一緒だから大丈夫だったけど、ほんとに真っ暗で何も見えないのはダメだよ」

「廊下に出てからは、見えてたよね?」

「見えてたけど……」


 上手さんはいっそう強く僕の左腕を抱きしめる。というか締め付ける、と言った方が正しいくらいだ。ここまでくると女の子の柔らかい感触……というより、血が止まりそうで怖かった。


「さっきの話……私と付き合ってくれても、いいの?」

「う」

「やっぱり、ダメ? 私じゃいや?」

「別に、いやとは思わないけど……」

「その……もしかして、他に好きな子いたりする?」

「それはないな」

「ほ、ほんと?」

「どうしてそんなに疑うんだ?」

「だって、私と南條くんが出会ってまだちょっとしか経ってないから、私の知らない南條くんの好きな人がいてもおかしくないかなって。美術部の子とか」

「確かにうちの美術部は女子ばかりだが、そういう目線で見たことは一度もない。美術を通すと、作品のことに集中して、自然とそういう気持ちにならなくなる」

「そっか……よかった。じゃあ、私と付き合ってもいいよね?」

「……勉強に集中するんじゃなかったのか? 僕が邪魔したら悪い」

「それは……私がなんとかするもん。だから南條くんは気にしないで。それだけ? 私と付き合うのが嫌な理由、他にある?」

「いや……上手さんは僕のこと誰よりも考えてくれてるし、それに」

「それに……?」

「……フツーに美人だし、さ」


 僕のような陰の者にとっては、女の子に「かわいい」と伝えることは、かなりハードルの高い事ではあったのだが。

 上手さんが近くにいると、自然にそう言えた。

 僕も――上手さんに興味を持っているし、できるなら付き合ってみたい。そう表現するためには、率直に気持ちを言うしかなかった。


「うれしーなー……うれしーなー……」


 上手さんは怪しげな顔で、僕の二の腕に頬ずりしていた。

 僕はそのせいで急に恥ずかしくなって、ついに上手さんを振り払ってしまった。


「やんっ」

「はあ……恥ずかしいから、一回しか言わないからね」

「えっ?」

「僕と付き合ってください」


 深々と頭を下げ、僕は生まれて初めて、女の子に告白した。


「……はわわわ」


 しばらく、無音だった。

 じきに警備員の車が走り去っていく音が、校内に響いた。


「わわ私こそ、よよよよろしくお願いします」


 こうして、僕と上手さんは、付き合い始める事になった。

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