第3話
上手さんのクレーンゲームを手伝い、その後お礼に手作りパウンドケーキをもらったことで、僕は彼女のことを意識せずにはいられなくなった。
それまでは、住む世界が違う人だと思っていたのだ。上手さんのことは。
成績優秀、スポーツ万能。おまけに人当たりもよく、上手さんのことを嫌いな人はまずいないだろう。
器量がいいことからなんでもできる上手さん、通称『なんでも上手さん』と呼ばれている。
パウンドケーキをもらった翌日、体育の授業があった。
僕はバレーボールを選択していた。理由は、バレーボールのコートに入れる人数が限られていて、ローテーションをうまく組めば一回試合に出るか、運が良ければ何もしなくていいことがあったからだ。
この日も僕はチーム組みの時にうまいこと外れて、外野で見学していた。
隣のコートでは、女子が試合をしていた。
ここでも上手さんは輝いていた。甘いボールが来ると、すかさずスマッシュ。目にも止まらぬ速さでボールが床面に刺さる。周りの女子たちから、黄色い声が上がる。
「きゃー!」「上手さんかっこいー!」
持て囃されても、上手さんは涼しい顔だ。
それだけではない。いつも自分が出しゃばる訳ではなく、あえてスポーツが苦手そうな、あたふたしてうまく動けない子にパスして、
「はい、トスして!」
とアシスト。返ってきたトスは、別の上手い女子が見事にスマッシュして決める。
結果、上手さんのチームにとても良い雰囲気が生まれていた。
自分の技だけならともかく、他人の面倒まで見るなんて、僕には到底できないことだ。もちろんスポーツセンスの差もあるが、精神面で、僕にはそういう発想が最初からない。
「南條くん、さっきから上手さんばっかり見てますなあ」
ずっと女子のコートを見ていたら、新田という男子から話しかけられた。こいつは去年同じクラスだった、オタク系の友達だ。一緒に遊ぶほどの仲ではないが、教室では何度も話していた。
「もしかして、上手さんのこと狙ってるのかい?」
「まさか。すごいな、と思っただけだよ。僕があんな子と付き合える訳ない」
「でしょうなあ。あんなヒロイン属性の強い子、二次元の中にもなかなかいないし、どうせ彼氏がいるのでござろう」
「そう……だよな」
僕は女子の人間関係に全く興味がないので、上手さんに彼氏がいるかどうかは知らなかった。そういえばこの前、生徒会室の清宮瑞樹に「彼氏は作らないんでしょ」とか言われていたが、隠れて誰かと付き合っている可能性もあるわけで、あんなものはあてにならない。
オタク友達との会話で急に現実へ引き戻された僕は、上手さんの観察をやめてしまった。
* * *
昼休み。
弁当を食べた後、手持ち無沙汰になった僕はまた自販機コーナーを目指した。
上手さんのような美人に二日連続で話しかけられるような奇跡はそう簡単に起こらないだろう、と思って自販機の近くまで行ったら、
「あっ、昨日の南條くんじゃん!」
と、声をかけられた。
清宮瑞樹だった。隣には、上手さんがいた。昼休みの自販機前は、色々な生徒が集まって社交場と化しているから、すれ違っても不思議ではない。声をかけられるとは思わなかったが。
「お、おう」
「ねえ南條くん、昨日の良子の手作りケーキ、どうだった?」
「っ!」
清宮さんがそう聞いてきて、途端に上手さんがびくっ、と震えた。
「おいしかったよ」
「んー、心がこもってない。やり直し。正直に言いなさい」
昨日妹に言われたことを守ってそう答えたのだが、棒読みなのがバレたらしく、清宮さんにダメ出しされてしまった。上手さんはこの間、一瞬ものすごく嬉しそうな顔をした後、ダメ出しする清宮さんをきっ、と睨んでいた。ちょっと怖かった。
あまり嘘が得意ではないので、僕は正直な感想を言うことにした。
「あのパウンドケーキ、型いっぱいまで生地入れたんじゃないか?」
「えっ、そうだよ。普通じゃないの?」
「パウンドケーキは、型の半分くらいまで生地入れて、ベーキングパウダーで膨らませるのが普通だよ。あれじゃ重すぎてアメリカ風のカップケーキみたいだったな」
「う……そ、そうだったんだ……」
上手さんはがくっ、と肩を落とした。こんなに弱気な上手さんの顔を見るのは初めてだった。
その隣では、清宮さんが肩を揺らしながら、腹を押さえて笑っていた。
「ぷっ、くくくっ、あーっはっはっはっ、良子、男子にお菓子づくりのダメだしされてんじゃん! そんな子いないよ! はははははは!」
「う、うるさい! 初めてだけど頑張って作ったもん!」
上手さんはぽかぽかと清宮さんを叩いていた。本気ではなかったが、逃げ回る清宮さんと追いかける上手さんを見て、僕は思わず笑ってしまった。
久しぶりに笑った、ような気がした。
その笑った瞬間を上手さんが見たらしく、急に足を止めて僕をまじまじと見た。
同じクラスになってからは、上手さんに笑顔を見せていなかったかもしれない。ちょうと高一の終わり頃に荒れ始めたから。
清宮さんはなおも笑っていたので、上手さんが後頭部を狙ってチョップを入れた。清宮さんは「ぐふ」と言って一瞬、完全に止まった。ちょっと怖かった。
「ごめんなさい。変なもの食べさせちゃって」
「いや、いいんだ。あれでも普通に美味しかったし、本当はこんなこと言うつもりなかった。僕、立体には妥協できないから」
「立体?」
「あ、いや何でもない」
いけない。余計なことを言ってしまった。
「つ、次はもっとちゃんとしたやつ作るね!」
「次? クレーンゲームのお礼はもうしてもらったから、別に気使わなくていいよ」
「あう……」
上手さんは人指し指どうしを合わせて、もじもじと動かしていた。もうこれ以上上手さんからお礼を受け取る義理はない。僕みたいな陰キャラ男子にあまり深入りされてもなあ。期待したって、上手さんのような高値の花と付き合える可能性はゼロに近いのだ。
「あれ……」
その時、チョップを受けへばっていた清宮さんが身体を起こした。僕のかなり近くで倒れたので、起き上がるとすごく近い位置に立っていた。
――かと思うと、急に、清宮さんが顔を近づけてきた。
「くんくん」
「っ!?」
「えっ!?」
もしかしてキスされるのか、と思うほど清宮さんの顔が近づいてきて、僕はのけぞった。
唇どうしは当たらず、清宮さんの顔は脇にそれて、僕の耳の後ろあたりに鼻を近づけてきた。
一瞬のことだったが、僕も、見ていた上手さんも、清宮さんの突然の行動に、時間が止まったかのように驚いていた。
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