第2話
ゴールデンウィーク明けの月曜日。
深夜遅くまでゲームをしていた僕は、完全に昼夜逆転していた。ただでさえ休み明けはしんどい、というのに。
そんな訳で、授業があっても全部、机に伏せて寝ていた。
やっと目が覚めたのは、昼休み、弁当を食べてからだった。寝不足といっても、ずっと寝続けるのは限度があった。僕はもともと少ない睡眠時間で済む方なのだ。
自販機でジュースでも買うか。
そう思って、一人で教室を出た時だった。
「ちょい、ちょい」
突然、誰かにブレザーの袖を掴まれた。
振り返ると、上手さんがいた。
そういえば、ゴールデンウィーク中に青柳モールのゲームセンターで偶然上手さんを見つけ、クレーンゲームでぬいぐるみを取ってあげたのだった。
声をかけられるまで、普通に忘れていた。それくらい深く眠っていたのだ。
「何?」
「ちょっと、こっち来て」
ササッ、と上手さんは駆け足で僕を誘導する。まだ完全に覚醒していない身体を引きずりながら、僕は上手さんについて行った。
教室からずいぶんと離れて、理科室や家庭科室があるエリアまで走った。ここは昼休み、あまり人がいない。今日も、僕と上手さん以外の人は見当たらなかった。
「はい、この前のクレーンゲームのお礼!」
上手さんは、さっきから手に持っていた紙袋を僕に渡した。
「お礼……?」
「遠慮しないでね」
紙袋はずしりと重く、中身を見ると、三十センチくらいある縦長のケーキが入っていた。ラッピングが手作りっぽいので、中身のケーキも手作りのようだ。
「お金は駄目って言われたから。女子高生の手作りパウンドケーキ! どう? これなら断れないでしょ」
原材料費がいくらかは知らないが、生モノなので突き返す訳にもいかなかった。
「ああ……けっこう重いな、これ」
「うん。食べ盛りだから。お腹いっぱい食べられる方がいいかなって。あ、でも学校では食べないでね。なんか恥ずかしいから!」
まさか手作りお菓子をもらうとは思わなかった。冷静に考えたら、女子にプレゼントをもらうのなんて、初めてかもしれない。
半分眠っていた身体が、どこから現れたかわからないほわっとした気持ちに包まれる。
馬鹿な。こんな青春っぽいイベントは想定していなかったとはいえ、お菓子をもらうだけで――目の前にいる上手さんという女の子が、急に眩しく見えてきた。
そんな訳なので、恥ずかしくてまともなお礼も言えず、パウンドケーキを凝視したまま固まっていたら。
「――あれ? 良子じゃん」
誰かが近づいてきて、上手さんに声をかけた。
「あっ……み、瑞樹?」
廊下の角から、プリントを両手に抱えた女子が現れた。
この子は、僕も知っている。生徒会長の清宮瑞樹だ。同じクラスではないが、高一の三学期末に行われた生徒会長選挙でとても目立っていたので覚えている。下校する生徒相手に演説し、一人ずつ握手してまわるようなことまでやっていたのだ。そんな事しなくても、生徒会長に立候補したのは清宮さんただ一人だったのだが。
清宮さんは、どうやら近くにある生徒会室から荷物を運んでいるらしい。誰もいない、と思って僕も上手さんも油断していた。
「なんでこんなとこにいるの? って、あれ?」
清宮さんは僕と上手さんを交互に見て、それからものすごく下世話な顔になった。
「あれれ~? りょうこちゃんわあ~、おべんきょうがいそがしいから~、かれしとかつくらないんでちゅよね~?」
「はっ!? か、彼氏とかじゃないし!」
「じゃあ、なんで、てづくりのおかし、プレゼントしてるのかな~?」
「お礼だよ! ちょっと助けてもらったんだよ、ね?」
上手さんは、助けを求めるように僕へアイコンタクトしてきた。
まあ、実際彼氏とかではないしな。ここは僕も否定すべきだ。
「ああ。この前青柳モールで、上手さんがクレーンゲームに手こずってたところを僕が手伝ってあげたんだ」
「あっ」
しかし、上手さんの意にそぐわなかったのか、とても困ったような顔になってしまった。
「良子がクレーンゲーム? 青柳モールで?」
「あ、あれはね! 家族と来てて! ちょっとだけ別行動してたんだよ!」
「そうなの? 良子がそんなところ行くなんて、ちょっと意外ね。どっちにしても、そのお礼にこんな大きいお菓子はやり過ぎじゃないの? やっぱ好きなんじゃない?」
「そんなんじゃないからっ!」
必死で否定する上手さん。舞い上がっていた僕は、ちょっと悲しくなる。まあこれが陰キャラの現実だ。普段、モテようと思って努力もしていないわけで、そう簡単に春がやってくる訳もなく。
「ねえ、あなた名前はなんて言うの?」
「僕? 南條雄偉だけど」
「なんじょう……どっかで聞いたことあるかも。話すのは多分、初めてだけど。なんでだろう?」
「気のせいじゃないか。清宮さん、生徒会室選挙で色々な人と話してたし」
「そっか。あ、私用事があるんだった。じゃあね、お幸せに!」
「違うって言ってるでしょー!」
嵐のような清宮さんが去り、僕と上手さんがまた二人になった。
「……瑞樹の言ってたことは気にしないで! とにかく今日は、それ受け取ってね!」
「お、おう」
なんだか気まずい空気になってしまった二人は、とりあえず別れて、教室に戻った。
* * *
自宅にて。
「お、お兄ちゃんおかえり……」
家に入ると、小六の妹がおそるおそる声をかけてきた。
この妹は、歳が離れていることもあり(一般に歳が近いきょうだいはケンカしやすい)良好な関係を築いているのだが、最近僕が荒れはじめて、ちょっと遠慮している。僕としては妹に敵意などない。
「なんか、手作りケーキもらったんだけど食べる?」
「えっ食べる!」
妹は僕の手から紙袋を強奪して、ケーキを開封した。
「すごい! ラッピングも手作りじゃん! お兄ちゃんどうしたの? まさか彼女できた?」
「ちげーよ。ちょっと前に」
「知ってた!」
「納得するの早いわ。ってか最後まで話聞けよ」
妹は僕の話をろくに聞かず、包丁でケーキを切り分けた。一人では食べきれない量だったので、ちょうどよかった。
二人で、パウンドケーキを口にする。
「……」
決してまずくはなかった。レシピ通りに作ってあるだろうから、ちょっと甘みが強いくらいで、食べられなくはない。
ただ、パウンドケーキと言うにはずしりと重く、中身が詰まりすぎな感じがあった。
「なんか、重くない?」
妹もそれに気づいたらしい。一切れのケーキをいろんな角度から眺めている。
「これ、ベーキングパウダー使わなかったんだろうな。普通はカタの半分くらいまで生地入れて、あとはベーキングパウダーで膨らますんだが。多分カタいっぱいまで生地入れて焼いたんだろう」
「なるほど。さすがお兄ちゃん、立体には詳しいね」
「いや……別にそれは関係ないが」
無意識にそう言ったらしい妹は、少し後悔していた。
「ああ、いや、いいんだよ別に。残りのケーキ、お前にやるわ」
「えっ、いいよ。こんなに食べたら太るよ。ってかお兄ちゃんがもらったんだから、お兄ちゃんが全部食べないと女の子に失礼だよ」
「……それもそうだな」
確かに妹にあげた、と言ったら上手さんを傷つけそうだ。僕は残りのパウンドケーキを自分に部屋に持って行こうと、包み直した。リビングに放置して、親には食べさせたくなかった。
「あっ、ちゃんと美味しかったって伝えるんだよ! まずかったとか、ベーキングパウダー使ってなかったとか、間違っても言っちゃ駄目だからね?」
「はいはい」
世話を焼きたがる妹を適当にあしらって、僕は自分の部屋へ戻った。
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