【15:シャドウムーン】


「ふい」


 大事をとって数日入院と相成った。警察も事情聴取に駆り出され、俺は対応を迫られる。事件性はないに等しいが、厳島が騒げば誰もが踊るというか。警察庁長官すらも彼女の言葉に逆らえないという怖い幻想が俺の眼に写った。


 まさかな。


「先生……」


 で、俺が夜の病院で中庭のベンチに座っていると、どこから現れたのか。厳島が傍に立っていた。


「面会時間は終わってるぞ」


「先生に会いたかったから」


「光栄だな」


 苦笑した。


「とりあえずメタメタに叩いておいたから」


 メメタァ。


「何を?」


「合原の状況を」


「拝聴しよう」


 聞くに合原御本人は傷害罪で前科持ちとなった。しかも何故かワイドショーで取り上げられ、少年Aはお茶の間を席巻したらしい。


 ほぼ同じタイミングで彼の父親は会社での業務上横領がバレて、こっちも事件となった。取引委員会も動きニュースにならざるを得なかった。当該会社は誠実に対応した結果、社長が社会不安を形成したことを詫び、真摯に責任をとったとのこと。


 父親が横領をして息子が傷害を行った親子ということでこれもワイドショーのネタになり、警察による介入が行われた。


「無体な」


 もちろんそれらが偶然だと思うほど俺も厳島を知らないわけじゃない。だがほぼ社会的に再起不能な合原の一家を思うと…………いや別に同情もわかないんだけど。


 俺自身もつい先日までロリコンの十字架を背負ってバイトに勤しんでいたことだし。合原が俺を告発したことで教職を追われてバイト以外にやることがなくなったのは我ながら人生の底辺期だったと言って過言じゃない。


「お前を敵に回すと怖いな」


「だから先生は私を愛してね」


「栗山も俺が好きだしなぁ」


「それよね」


 夜空に浮かぶ月を見上げて、病院の中庭のベンチに座る厳島。俺と肩の触れ合う隣だ。


「先生は栗山さんをどう思ってるの?」


「まぁ可愛いよな」


「うん。萌える」


「だから好意的ではあるよ」


「先生ってそうやって私を試すよね」


 どういう意味だ。


「なんか悪役ぶってこっちを失望させようとするってこと。実際に栗山さんに手を出す気は無いんでしょ?」


「厳島にも無いんだが」


「それは後ですり合わせるとして。声優に一生懸命で可愛いじゃん。栗山さん」


「臼石泡瀬ねぇ」


「先生のことが好きっていうのも慧眼だし」


「お前認めてんの?」


「先生が好きなんだから先生が好きな乙女の気持ちはよくわかるよ。私だって先生が好きな乙女だよ?」


「乙女ね」


「このおっぱいで乙女は無理かな?」


「胸のサイズはこの際関係ないな」


「揉む?」


「それは後ですり合わせるとして。恋に一生懸命で可愛いだろ。厳島」


「でもそのせいで先生をケガさせた……」


「ああ。それを気にしてるのか」


「だってある意味私のせいだし……」


「厳島」


 彼女の肩を指で叩く。


「何?」


「アレなんだが」


 と明後日の方向を指す。そっちを振り向いて何もないことを確認すると、


「先生何も――」


 彼女はこっちに振り返った。その頸の動きに、俺の差し出した頬が重なる。チュッと無意識に厳島が俺の頬にキスをしていた。


「な!」


「まぁご褒美だ。たまには飴もやらないとな」


「先生ズルい……」


「大人なんて皆ズルいようなもんだ」


「こんな夜に乙女を惑わせるなんて」


「キスなんて学校でもしただろ」


「でも栗山さんが関わってからはしてない」


 バレてるか。


「義理?」


「面倒が嫌いなだけだ。ていうかお前も実は気にしてるだろ」


「だって臼石泡瀬ちゃん本気で可愛いし」


「ご機嫌だよな。アイツの声」


「本当にもうアニメ声! 魔法少女がよく合致する!」


 意外と厳島はアニメ好きらしい。


「だから先生だって惚れるでしょ?」


「然程かね?」


「あんなに可愛くて魅力的な声優だもん。私が男なら抱く」


 たしかに。


「それに私より因縁旧いし」


 俺も憶えていないがな。


「厳島は俺が栗山に惚れたって言ったら諦めるのか?」


「全てを賭けて先生を取り戻す」


「じゃあ大丈夫だ」


「何が?」


 すねた様に厳島が問う。


「俺だって合原がお前に告白しているところに嫉妬したんだぞ?」


「先生が?」


 ああ。俺がだ。独占欲って案外扱いが難しい。


「ままならないよな。恋心って」


「先生は私が好き……?」


「忍れど色にでにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」


 ちょっと赤らんだ顔が月光に冴えた。本当に……人の恋慕は度し難い。


「意識してくれてる……?」


「そうだな。お前が自重するよりは俺はお前のことが好きだと思う」


 別のそこを否定する気はない。ただどうしても一人の大人として子ども相手に真剣に愛を語ることの危険性がどうしても頭をよぎる。厳島が思う以上に、それは俺たちの間に立ちはだかる壁だ。


「ただその愛を語りにくい立場にあることを厳島にも自覚してほしい。俺が好きでそれで終わりと考えられるのは、あくまで子供の考えだ」


「それは……そうだけど。でも私は先生のことが好き。結婚したい。子どもも育てたい。真剣に人生を共有したい。あなたの生を見届けて、あるいは見届けられて、そうやって人生を終わりたい」


「ああ。だからここでなら言える」


 夜の月。その下で俺は厳島の胸元に伸ばした人差し指を当てる。


「俺はお前が大好きだ」


 きっと他のタイミングでは言えないことも、月の下では言えるのだろう。

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