【14:合原さんは業腹で】


「栗山さーん!」


 で、とある日。


 俺が教鞭をとっていると遅刻してきた栗山が物理学室に現れた。朝からラジオの収録があり、一応学校側も認める形で合意の遅刻という形に相成る。おずおずと現れた栗山に抱き着いて頬ずりする厳島は、まぁ傍目で見ても百合百合だ。


「厳島さんってそっち系?」「でも栗山さんも可愛いし」「ロリコン教師に取られるくらいなら」「マロンがあるよなー」


 そんな男子生徒の夢と希望と切なさの囁きが聞こえてくる。


「すみません。先生」


「あー。大丈夫。どうせ後で補習するから」


「はい。よろしくお願いするであります」


 はにかむように栗山は笑んだ。その微笑みに男子生徒らが危惧を覚える。


「いけない個人授業?」「まさか」「でも厳島さんは」


 やはり座視は出来ないらしい。で、その厳島が栗山に抱き着いてじゃれる猫同士のように求愛表現をしている。


「そこまでだ厳島」


「嫉妬?」


 どっちにだ。


 厳島の首根っこを掴んで引っ張り、席に着かせる。で、物理学の授業を展開する。およそ厳島は理解して、栗山は理解していなかった。


「せーんせぃ。にゃーん」


「先生。にゃーんであります」


 で、昼休みになると厳島は栗山を添えて職員室に姿を現した。今日の弁当は某有名駅弁だ。それすらはした金という厳島の財力にめまいを覚える。そしてそれを学生である二人が俺と一緒に食べるという暴挙。


「美味いな」


「でしょー。おススメだよ」


「ああ。美味しいであります」


「栗山は仕事の方は大丈夫か?」


「楽しくやらせてもらってるであります」


「臼石泡瀬ちゃんの声ゲキ萌えだよ! ラジオも楽しみにしてるね」


「えーと。厳島さんにはお世話になってるであります……」


「大丈夫。私がゲームしたいだけだから」


 それでゲーム企画立ち上げる厳島が何なるやって話だが。


「馳走でした。ちょっと座をはずす」


「一緒に行こうか?」


「教室に戻れ。栗山は今日の物理学を理解してないぞ。夕方には別撮りがある」


「じゃあ昼休みは補習だね。大丈夫。私が教えてあげる」


「お手柔らかにであります……」


 基本的に俺や厳島は勉強ができないというケースに理解を示さないのだが。


 欠伸をしつつ自販機まで歩き、眠気覚ましのコーヒーを飲む。しばらくそうやって時間を過ごしていると、


「おい。ロリコン教師」


 完全にこっちを舐め腐った尊称で指示される。


「えーと。合原か」


 缶コーヒーを飲み干してゴミ箱に投棄すると、チッと合原が舌打ちした。男子制服を程よく着崩しているのは、やはり年頃の男子なのだろう。


「冴えない顔だな」


「眠いからな」


「寝不足か?」


「寝かせてくれないもんで」


 もちろん受け手がどう曲解するかは把握して俺は言った。歯ぎしりをしつつ、合原は切りつける様に俺を睨む。


「テメェ。厳島と縁を切れ」


「それは俺じゃなく厳島に言ってくれ」


 仮に俺が言ってもアイツは聞かないだろう。


「なに? 厳島の勘違いを本気にして調子に乗ってるのか?」


 嘲るように合原は挑発してきた。


「仮に勘違いだとしたら不幸だな」


 俺じゃなく厳島が。すでに俺のキャッシュカードは厳島の資産と直結している。


「で、仮に断った場合、俺はどうなるんだ?」


「ここでボコる」


 ギリリと弓を絞るように、合原の腕が膂力を溜めた。


「はー。それはまた無体な」


 一時の感情で全てを失うつもりか。


「やるのはいいんだが。その結果得られるデメリットを理解しているのか?」


「その上から目線がイラつくんだよ!」


 既に理性で語れるレベルを超えていたらしい。こっちの真摯な説得も挑発と映った。いきなり殴りかかった合原はこっちの腹部を打って俺の呼気を逆流させる。


「カッ……!」


「お前みたいなロリコンが厳島に愛されるわけないだろうが! 調子に乗るな!」


 苦悶にうずくまる俺をサッカーボールキックで蹴りつける。それもみぞおちに突き刺さった。呼吸もままならず倒れ伏した俺を合原は踏みにじる。そのことで優越感を持ったのか。口元には笑みさえ浮かんでいた。


「テメェに厳島はふさわしくねえよ。これからは頭を低くして生きろ」


「何をしているソコ!」


 吐き捨てるように合原がそう言うのと、生徒指導の教師が駆けつけるのは同時だった。


「大丈夫ですか先生!」


「大丈夫ではありませんが、とりあえず生きてます」


 顔を踏まれた。ので歯こそ折れていないが、鼻血が滝のように流れていた。


「合原! 教師に何をした!」


「それは……ッ」


 ちょっと言い訳聞かないよな。この状況って。教師を叩きのめした男子生徒。合原はそれ以上じゃなかった。一気に職員会議。俺は病院に搬送されて、厳島と栗山が付き添った。


「先生……」「……先生」


 心配そうな二人にポンポンと頭を叩いて、撫でる。


「大事はないから大丈夫だ。ちょっと殴られただけだから。こうやって病院にいるのが大げさなんだよ」


「でも……」「拙らは……」


「そういう過剰な心配をするのはわかってた。止めはしないが命に別状がないんだから、後は回復してお前らを安心させるだけだ」


 警察まで動いた。暴行傷害罪。一息で合原は退学となり、そのことで厳島と栗山はアンタッチャブルに認定された。唯一近づく人間が俺だけという有様だ。


「大丈夫。先生は何も心配しなくていいよ」


「そもそも何も心配していないんだが」


 怨讐にかられる厳島に釘を刺しておくべきか考えたが、おそらく無駄だろう。思い込んだら一直線の厳島が俺の言葉で説得されるなら、そもそもこの状況が成立していない。


「でもそれだけお前は魅力的ということさ」


「ナースさんに絆されない様にね」


「ロマンあるよなー」


「先生は私だけ抱けばいいの」


「拙もいるであります!」


「栗山さんは私が抱く」


「あのー。ガチで言ってます? 先日からちょっと怖いんでありますが」


 ま、こういう奴ですよ。厳島は。


「手にむすぶ水にやどれる月影の」


「あるかなきかの世にこそありけれ」

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