第9話 こんにちは、森の主です

「……た、倒した!? カラちゃんすごいよ! 怖い蜘蛛をやっつけたよ!」


 わたしはカラちゃんを抱っこしたまま、ぴょんぴょん跳ねた。すると、カラちゃんの体がコォオオオッ……と光を帯び始める。


「えっ? どうしたの!?」


 驚いていると、カラちゃんの体はしばらく光った後、また何事もなかったかのようにいつもの赤色に戻った。カラちゃんは相変わらずすごい声で泣いているから、わたしは子どもをあやすときのように、ゆらゆら揺れながら背中をぽんぽん叩く。


「よーしよし、大丈夫だよ、もう怖くないよ〜」


 あやしながら、先ほどの光を思い出す。

 すぐに収まっちゃったけど、あれはなんだったんだろう? ……あれ? そういえばわたしの肋骨も、思ったより全然なんともないかも。当たったときは結構痛かったんだけどな?


 一定のリズムをとってトン、トン、トン……と叩いていると、だんだんカラちゃんの泣き声が小さくなってきた。うんうん、落ち着いてきたんだね、よかったよかった。怖い蜘蛛も倒したし、落ち着いたらここから逃げようね……。


 私がほうっと安堵の息をもらしたその時だった。


 突然、頭の上でゴサァッと音がしたかと思うと、わたしたちを覆っていた洞窟のが浮き上がったのだ。それから、まるで鍋の蓋を取るように、屋根が取り払われていく。


 えっ、これそういう仕組み? 屋根、開けられるんだ!?


 外はいつの間にか、夜が明けていたらしい。突然差し込んできた日光に、わたしもカラちゃんも目を細めた。すると、今度はフッと大きな影が落ちてくる。


 逆行を浴びながら、大きなは、お腹によく響く不思議な声で言った。


『おや? わたくしの子が生まれている』


 ……。


 …………。


 ………………“わたくしの子”って、カラちゃんのことです?


 逆光になっている巨大な影をよくよく見てみると、それは見上げるくらい大きな黒いドラゴンだった。くちばしのような口に、金の瞳。うろこに覆われた長い首と巨大な翼は、大きさや色に違いはあれど、全部カラちゃんと同じに見える。


 ……つまり、この大きなドラゴンは、カラちゃんの親……ってこと?


 わたしはごくっと唾を呑んだ。


 ――今まさにわたしがカラちゃんを連れていこうとしたことを、絶対に知られてはいけない。あと、勝手に名前つけたことも。


 知られたら多分、命はない。


「え、ええっと。ここ、この子のお母様でいらっしゃいますでしょうか……!?」

『そうだ』

「お、お、お、お名前を伺っても……?」


 ……名前聞いてどうするの!? って自分で思っちゃったけど、ほ、ほら。人語を話すみたいだし、コミュニケーションとして名前を知るのは大事なことだよね……!? わたしいつも名前聞いてるななんて言わないで!


『わたくしの名はファブニール』


 さっきは独り言みたいな感じだったからあんまり気にならなかったけれど、明確にわたしに向かって話しかけられた瞬間、ゴゥウウッと強風が頬を叩いた。結んだ髪が、ばたばたと飛んでいきそうなぐらいはためく。ピィ! と腕の中のカラちゃんが楽しそうに鳴いた。


「ひえぇぇっ!」


 声だけでもすんごい迫力!!! 大人ドラゴン、怖い! 


 ぶるぶる震えていると、ファブニールさんがまた大きな声を轟かせる。


『驚いたこと……。そのタマゴは、わたくしが百年あたためても孵らなかったから、とっくに諦めていたのに』


 さすがドラゴン、あっため期間の規模が違う!

 変なところで関心していると、ファブニールさんが続けた。


『まさか今になって孵化するとは……。おまえの力か? 娘よ、よくやった。礼に、わたくしの血をわけてやろう』

「……え? 血、ですか……?」


 そういうのは大丈夫なので、どうか見逃してください。


 本当はそう言いたかったけれど、もちろん口に出す勇気はない。震えるわたしの前で、ファブニールさんは巨大なかぎづめを差し出した。


 く、串刺しにされる……!? と思ったけれどそんなことはなく、差し出された爪の先からツゥと垂れたのは深紅の液体だ。


 ……さっき、血って言ってたよね……? つまりこれ、ファブニールさんの血……?


『さぁ、遠慮せずにお飲み』


 その声はすっごく気高くて、まるで女王様の手にキスする許しを受けているみたい。実際はギラついた爪と鮮血だけど……。

 

 とは言え、ここで断ったら八つ裂きにされるかもしれない。わたしが青ざめながらカラちゃんを地面におろすと、ファブニールさんが続けた。


『……おや、よく見るとおまえは聖女だったのか。今も女神の加護で普通より丈夫のようだけれど、わたくしの血はそれを上回るぞ』


 えっ、そうなの?


 その言葉にわたしは顔をあげた。


 もしかしてカラちゃんに焼かれなかったのも、当たった石で骨が折れなかったのも、全部『女神の加護』とかいうスキルのおかげ?


 目を丸くしていると、ファブニールさんが続ける。その顔はどこか自慢げだ。


『わたくしの血はそれだけで宝物級。すべての生き物の言葉を理解できるようになり、さらに体も丈夫になるのだ。矢や剣など目ではないぞ。我らドラゴン族と同じように、すべて跳ね返す鋼の体になれる』


 矢も剣も跳ね返すの!? すっっっごい効果だねそれ! もはや人間やめてるよ! 歩く盾になれちゃうよ!


 わたしはごくりと唾を呑みながら、両手で血を受け取った。ファブニールさんの血は一滴でも、両手がなみなみと満たされる。ツン、と匂う血の匂いは濃くて、わたしはちょっとむせそうになるのをぐっとこらえた。


 ううっ……生き血をすする趣味なんて全然まったくないんだけど、ファブニールさんが飲めと言っているし、体もすっごく強くなれるんだよね……?


 さっきの蜘蛛みたいに恐ろしいモンスターに捕まっても、わたしがめちゃくちゃ硬かったら、きっと生き延びる確率はぐっと上がるに違いない。だって噛めなきゃ、食べられないもんね?


 ……えいっ! 女は度胸!


 わたしは意を決して、血に口をつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る