#4


 貴弘の様子がおかしいことに香織も気づいていた。それは何処からどう見ても明らかだった。だが香織としては貴弘がこうなることはこの生活が始まる前から予見していた。


 貴弘が父を嫌っているのは知っている。だから貴弘は父と一緒に暮らすのは苦痛なのだ。神経質な貴弘のことだからその苦悩は人一倍なのだろう。ここまで夫を追い込んでしまったのは父ではない。それは自分のせいだ。香織はそれを自覚している。それなのに香織はそんな貴弘を気遣うことができないでいた。それは父のことで手が一杯だったからだ。


 父の病状は悪化することはなかった。流石は世界的な権威である笹原医師の手腕の賜物か、この同居生活が始まってから日に日に父は明るさを取り戻し肌艶も良くなってきている。健康状態に関しては入院前よりも良いくらいだ。だがボケは進行していた。ここ最近はどうも奇行が目立っている。


 香織が目を離した隙に父は密かに外へ出かけてしまったことがある。慌てて警察に連絡しようとしたが、すぐに何食わぬ顔で父は帰ってきた。何処へ行っていたのか説明ひとつなかったが、なぜか父のその両手にはペットショップの買い物袋が大量に握られていた。


 その様なことが何度も続いた。かつて父は猫を飼っていたので、それを懐かしんで意味も無く買ってきているのかもしれない。だが購入したペットグッズはすぐに使用した形跡が見られた。それで香織は直感的に閃いた。


「もしかしたら野良ネコを家に連れ込んでいるかもしれない!」


 だが断言も出来なかった。だから香織は父の動向を密かに監視してみることにした。すると、あろうことか衝撃的な場面を目撃してしまった。


「コタ、ほら、コータ」

「お、お義父さん! 何ですかそれは!? その棒状の謎な物体は何ですか? 何で棒の先にふわふわした何かがついているんですか!? それで僕に何をしようというのですか!?」

「ほらほら、ほれほれえ」

「あわわ、あぷあぷ、や、やめてえ!」


 香織は険悪だったはずの父と貴弘が楽しそうにじゃれあう姿を目にしてしまった。あの二人が何でこんなことをしているのかその時は理解できなかった。だが少なくとも貴弘の言う「棒状の謎な物体」とは何かは理解できた。それは明らかに「ねこじゃらし」だった。


「こら、コタ! また勝手にはずしたな!」

「な、なんですか、お義父さん。それはまさか、首輪? それを僕につけろと!?」

「じっとしていないさい! コータ!」

「僕はコータじゃない。貴弘だ! 人権侵害だ! このケダモノ! 僕に触れるな!」


 香織はようやく理解した。貴弘のいうとおり、貴弘は「コータ」ではない。そして「コータ」ではなく「コタ」であり、もっというなら「虎太郎コタロウ」だった。そしてその「虎太郎」とは父がかつて飼っていた猫のことだった。


 虎太郎は随分と前に死んでいる。大の愛猫家である父の愛が重すぎたのか突然家を飛び出して帰らぬ猫となったのだ。だからこの「コータ」こと「コタ」こと「虎太郎」はその猫の虎太郎でもない。つまり父は野良ネコなんて連れ込んでいなかったのだ。


 猫は初めから家にいた。ていうかそれは猫じゃない。それは愛する夫の貴弘だ。


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