#3
その日の夜のことだった。
義父は前もって用意した一室で休ませてある。このところ起きている時間よりも寝ている時間の方が多いらしい。香織も疲れているのか早めに横になった。義父の介護もあったし、笹原医師が「それでは今夜はお義父さまの歓迎パーティーを開きましょう! それがいい、そうしましょう!」と言うのでお得意の力技でお引き取り願ったのでいろいろ忙しかった。
貴弘はリビングに残り物思いにふけっていた。やはり義父の様子がおかしいことに戸惑っていた。晩ご飯は三人で取った。その時義父とは顔も合わさず会話もしなかったのはこれまで通りだが、どうも義父からこれまで通りの敵意を感じられなかった。ただ貴弘を意識しているのは間違いない。貴弘がよそ見をしている時に視線を感じた、それは義父のものだった。義父は貴弘がその場にいる事を自然と受け入れているように思える。それが少し不気味だった。
そしてこの時もまた貴弘は視線を感じた。それも舐め回すようにじっとりと纏わりつく不快な視線だった。貴弘は恐る恐るその視線の元へ振り向いた。そこにいたのは義父であった。義父は薄らと笑みを浮かべて貴弘を見つめていた。背筋に悪寒を感じた。貴弘はそれを振り払うように義父に語り掛けた。
「どうしたのですか、お義父さん? お手洗いでしたらあちらに……」
義父は返事をしない。代わりに貴弘から視線を逸らさずじりじりと歩み寄る。貴弘は戸惑い身動きが取れなかった。そして互いに手を伸ばせば触れられるほどの距離に近づいたところで義父は口を開く。
「……コータ」
「コ、コータ? いえ、僕は貴弘です」
思わぬ台詞に貴弘は気が抜けた。それに隙ありと見たか、義父は貴弘に襲い掛かった。素早い身のこなしで貴弘の背後に周り込み羽交い絞めにして拘束する。
「もう、どこへ行ってたんだよう、コータ。ずうっと探してたんだぞう」
「お、お義父さん!?」
義父の聞いたこともない、聞きたくもない猫なで声を耳元で囁かれて貴弘は血の気が引いた。更に追い討ちと、義父の手が貴弘のシャツの隙間に伸びて、あらぬところを弄った。
「お、おお、お義父さん!!」
「あいたかった。愛しい子ねこちゃん」
「僕は貴弘です!!」
「こら、コータ、じっとしていなさい!」
義父の行為は次第に熱を帯び速度を増す。貴弘は恐怖のあまり抵抗出来なかった。
「ちょ、お義父さん! そこはダメですって! お義父さん!? お義父さん!! おとっ────」
事足りて満足した義父は何事もなかったように自室に戻った。貴弘も同様に何事もなかったように自室に入り、そして、枕を濡らした。
貴弘は義父に辱めを受け散々弄ばれ汚された。それで貴弘は知ってしまった。義父の秘密を知ってしまった。
恐らく義父は自分を別の誰かと勘違いしている。認知症が原因だろうか、貴弘を「コータ」なる人物と勘違いしていた。「コータ」これは恐らく男の名前だろう。だが「コータ」とは何者か? でもこれだけは言える。「コータ」とは義父の愛人だ。義父はそっちの気がある人物だった!
これ以上これに深入りするのは危険に思えた。もう忘れてしまおう。忘れたほうがお互いの為だ。二人の間には特に何もなかった。そうするしか他はない。翌日には濡らした枕が乾いて何もなかった様になるのと同じく、明日になればきっと……。
だがそれは、その日限りのことではなかった。
香織が目を離した隙に義父は貴弘に関係を迫った。貴弘も最初の内は抵抗していたが、日を追うごとに手を変え品を変え、ありとあらゆる趣向を凝らして弄ばれ、次第に抵抗する事を忘れてしまった。
これを香織に相談できればいいのだが、それは彼女を悲しませるだけで、貴弘には出来なかった。貴弘は心が折れた。為されるままに義父の邪な欲望を受け入れて、もはや心と体が別になっているような気がした。
とうとう心が気づかない内に身体が勝手に行動していた。貴弘はロープで首を括ろうとしていたのだ。幸いにも咄嗟に離れて大事には至らなかったが、貴弘はこの愚かな行為に後悔して泣き崩れた。
心を閉ざしてもこれ以上は身体が持たなかった。だが自分ではこの問題を解決することが出来ない。ならば誰かに助けを求める他はない。でも香織にはできない。なら誰に?
そしてふと脳裏に過ぎったのは、あのお節介が過ぎる困った医者であった。
「そうだ、笹原先生だ! 僕には先生がいるじゃないか!」
あの度を越して人の良すぎる笹原医師ならきっと嫌な顔せず手を貸してくれる。善は急げと貴弘は笹原医師に連絡を取ろうとするが、スマホを操作する手が止まる。
「先生の連絡先を僕は知らないっ!」
なんたることか、貴弘は笹原医師の連絡先を知らなかった。笹原医師は本当に近くに宿を取っているようで、頻繁に貴弘たちの自宅に顔を出すので電話なりする必要がなかったのだ。
だがこんな時の為に笹原医師から名刺を頂戴している。貴弘は名刺を取り出し、気を取り直して連絡をしようとするが、その名刺を目にした貴弘はまたも動きが止まった。
笹原総合特大病院 院長
笹原 康太 -Sasahara Kouta-
小さな病院と言っていたくせに、総合特大病院じゃないか! 特大病院ってなんだ!? ではなく、問題なのは笹原医師のフルネームだった。
「ささはら、こーた……」
義父は貴弘をかつての愛人と勘違いしている。それは「コータ」なる人物だった。そして笹原医師の下の名前は「
それほど珍しい名前でもない。単なる偶然かもしれない。だがこんな偶然あるだろうか? そう考えてみれば笹原医師がなぜ貴弘たちにここまで親切にしてくれるのか不思議に思った。だがすぐに理解した。それはただお人好しが過ぎるからではない。貴弘たちに親切にしているのではない。笹原医師が親切にしているのは義父に対してなのだ。
笹原医師こそ義父のかつての愛人「コータ」だった。
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