第27話 地味ダサ令嬢の決意

 シエーナが自分の気持ちをデ=レイに告げてから、数日後の夜。


「困ったわ。どうしよう」

「じっくり考えよう、シエーナ」


 イジュ家の居間で、シエーナと父は悩んでいた。

 革張りのソファの隅に腰掛け、頭を抱える。

 手の中にあるのは、二通の招待状だ。

 一通はメアリーが持ってきたものだ。

 雪の結晶のエンボス加工がされ、差出人名は濃くはっきりとしたインクで、情熱的に記されていた。

「あなたに既に虜のマール子爵より」と。

 マール子爵はメアリーの実家のパーティから一週間も経たないうちに、シエーナを子爵邸での晩餐会に誘ってきたのだ。

 もう一通は父が持ってきたもので、王宮夜会の招待状だった。

 こちらは飾りけのないクリーム色の封筒に、ただ王家の紋章が小さく端に金箔で描かれている。

 問題は、この二つの日取りが見事に重なっていることだった。


「お父様、どちらを断ったらいいの? それとも体調不良でどちらも断っていいかしら?」

「今回も、国王陛下から直々に声をかけられたんだよ。お前をぜひ連れてくるようにと。ーーハイランダー公がお前にもう一度、会いたがっているんだそうだ」

「どうして、またあの人が」


 実際のところ、伯爵はあれからハイランダー公と何度か王宮で顔を合わせる機会があった。だが、なぜかハイランダー公の方が伯爵を避けるようなそぶりをすることが、多かった。

 だからもうハイランダー公はシエーナに興味がないと思っていたのだが。再びの青天の霹靂だ。


「きちんとお会いして、お断りする必要があるかもしれないね。それよりも、お前はマール子爵とはどうなんだい?」


 シエーナは視線を落とした。

 父はこれまで、異性とまるで交友のない娘を心配してきたのだ。マール子爵との交流に、父なりに期待を抱いているのは、たしかだった。

 けれど、その期待に応えることはできそうにない。シエーナの心の中にマール子爵はもう、いなかった。

 シエーナは何度か深呼吸をして、勇気を出すと口を開いた。


「お父様、私好きな人がいるの」


 思い切った発言とは対照的に、沈んだ表情を見せるシエーナに、伯爵は慎重に尋ねた。


「そうか。教えてくれてありがとう。それは、マール子爵とは別の男性なのかい?」

「ええ、別の人よ」

「ーーどんな男性なんだい?」


 貴族のパーティに出かけない娘に、出会いの場がそうあるとは思えない。

 伯爵は胸騒ぎがした。

 シエーナは伯爵の嫌な予感を敏感に嗅ぎ取り、忙しなく瞬きをした。


「そのかたは、貴族ではないの。で、ても、」

「もしや、リド魔術館の同僚かい?」


 一瞬シエーナはきょとんとしてしまった。もはやリド魔術館には、長いこと行っていなかったので。


(そ、そうよね。お父様は、私がまだリド魔術館で働いていると思っているのだし)


 伯爵は一瞬シエーナが答えに詰まったのを、図星による肯定とみなした。


「最近、魔術館に行くのにいつもお前が嬉しそうにしているからね。なんとなく、察してしまったよ」

「お父様は、もし……、もしも、私が平民と交際をしたいと言ったら、私を勘当する?」

「勘当をしたりはしない。できることなら、お前が選んだ人なら、大丈夫だと言いたいところではあるけれど……」


 シエーナはパッと顔を輝かせた。


「それなら、」


 だが伯爵は深いため息をついた。


「とはいえ、貴賤結婚は一族に歓迎されない。とりわけお前は我が家の一人娘だしね」


 シエーナの顔に浮かんだ笑顔が、すぐにしぼんでいく。


「でも、でも。あの人は……生活に困ったりしないくらい、それなりに裕福な人なの。何より、とても才能があって、情の深い人なの」


 伯爵はやや困ったようにまなじりを下げ、優しく微笑んだ。人見知りのシエーナが、男性のことをこんな風に主張する日が来ようとは、思ってもいなかった。

 自分が知らないところで、いつだって子供達は心豊かに成長し、勝手に恋を覚えるのだ。


(心強くて、頼もしいような。……いや、やっぱり親としては、寂しくもあるな)


「それなら、こうしよう。一度、その同僚を私に紹介してしてくれるかい?」

「分かったわ。そうする」


 デ=レイをイジュ家に招いたら、来てくれるだろうか。

 メアリーはきっと、デ=レイを嫌がるだろう。お腹に赤ちゃんがいて、大事な時期であることを考えると、彼女にはまだ話さない方が賢明かもしれない。

 リド魔術館で働いていないことを知れば、父は怒るはずだ。けれどもデ=レイが見習いなどではなく、立派な館持ちの魔術師だと知れば、父は二人の交際にそれほど反対せず、上手くいけば認めてくれるかもしれない。

 シエーナはそう考えると、決心した。


「私、マール子爵のお誘いは断って、王宮夜会に行くわ。もしまたハイランダー公に絡まれたら、きっぱりと伝えるわ。好きな人がいるので、誰との縁談も考えていない、と」


 かつてイジュ伯爵邸を電撃訪問したハイランダー公の、その発光体のごとく煌びやかな姿を思い出し、伯爵は「そうだね、それがいいね」と言った。

 伯爵としても、ハイランダー公が自分の義理の息子になる未来は思い浮かばない。あの美貌と美声で「お義父様」などと呼びかけられたら……、と想像してみるだけで、狼狽のあまり飛び上がってしまいそうだ。

 何より、彼の火遊びの相手に娘を選ばれて、嬉しいはずもない。

 シエーナは真っ直ぐに父を見て、言った。


「私、今度こそ逃げも隠れもしないわ」


 伯爵は、ふと娘の姿に目を細める。

 シエーナがここのところ、急にたくましく、強くなったように見えるのは気のせいだろうか。

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