第25話 幸せを探す蛾
魔術師デ=レイを訪ねた未亡人は、広間で涙ながらにもう三年も娘と会っていない話をした。
愛しい娘を思ってあまりに泣いたので、目尻に当てるレースのハンカチは既にずぶ濡れだ。
水分不足を感じたのか、シエーナが出した茶を口に含むと、一気に飲み下す。
その深みのある茶の色と味に、騒ついていた心が凪いでいく。
デ=レイは未亡人が持参した娘愛用のヘアブラシから、娘のものと思しき髪の毛を抜き取ると、乾燥したミントの葉の上に乗せ、手をかざして呪文を唱え始めた。
その手の平から黄色や赤、青の三色の光がパチパチと弾け、ミントの葉ごと髪の毛が燃えていく。
魔術の火が消えぬ間に、デ=レイは机上に一枚の紙を敷くと、羽ペンでスラスラとまるで蛇と蛇が絡み合うような文字を書き入れた。魔術師だけが使う、魔法文字だ。
筆ペンをペン立てにしまうと、紙をビリビリと小さく破っていき、三色の炎の上に散らばせる。
するとそこから舞い上がる灰色の煙が不規則に左右へと動き、やかて小さな塊になり、ヒラヒラと円を描くように飛び始めた。無数に飛ぶ塊はやがて形を成し、小さな羽を持つ蛾へと変わっていく。
蛾が苦手なシエーナは、一歩後ろに下がってしまう。
目を丸くして仰け反る未亡人に、デ=レイは説明した。
「この蛾たちにお嬢様を捜しに行かせます」
パチン、とデ=レイが指を鳴らすと彼の後ろの窓から木製の窓枠が軋む音を立てながら、急に開く。真冬の冷たい風が一気に吹き込む。未亡人は微かに身体を強張らせ、手と手を擦った。
デスクの上で舞っていた蛾たちは、それが合図のように一目散に窓に向かい、外へと飛び出していく。空に散っていくその姿を、しばらく目で追ってしまう。
デ=レイが再び指を鳴らすと、窓はぴしゃりと閉まった。
「明日にはお嬢様の居場所が特定できるでしょう。またお越しください」
「分かりました。ああ、本当にありがとうございます! これで三年ぶりにあの子に会えると思うと……!」
未亡人は張り裂けそうな胸を押さえて、デ=レイに深々と頭を下げて館を後にした。
馬車が去るのを見送ったシエーナは広間に戻ると、デ=レイに言った。
「凄く喜んでらっしゃいましたね。お茶の味までお褒めに預かりました」
「明日、良い知らせが出来るかは分からんぞ」
シエーナは黙り込んだ。ややあってから、デ=レイが肩をすくめる。
「蛾たちがたどり着くのが墓じゃなければ良いが」
シエーナは生唾を飲み込んだ。嫌な光景を想像してしまった。
「……あのうち何匹がお嬢様に辿り着けますかね?」
「途中で半分は鳥に食べられるだろうな。以前、蝶で同じことをやったら子どもたちに追い回されて、えらい道草を食ったんだ。蝶では二度とやらないと心に決めている」
そう話すと固くなっていたシエーナが薄く笑った。
いつもは生真面目でなんとなく暗い印象を受ける黒い瞳が、愛らしく揺れる。
デ=レイははたとその瞳を覗き込んだ。
急に真顔で見つめられてシエーナの顔から笑顔が消える。
なんだか、言葉なくこうして見つめ合う時間がここのところ妙に増えていた。
言いたいことはお互い、喉元まででかかっていた。だがまるで我慢比べのように、どちらが先に折れるかを待っているような状況になっていた。
翌日の昼過ぎ。
ドルー渓谷の魔術館には、赤ん坊の元気な泣き声が響きわたっていた。
「赤ん坊のお客さんがきてるの?」
突然ふらりと魔術館にやってきたロンが、玄関で不思議そうにシエーナを見上げる。
「あの泣き声はね、行方不明者捜索で探し出した女の人の赤ちゃんなのよ」
「へー。凄いね。デ=レイさんはなんでも探しちゃえるんだね」
今朝開館前にデ=レイが蛾を追いかけ、蛾がランバルドの街のアパートの窓に集っているのを発見したのだ。
その部屋を訪ねてみると、若夫婦が赤ん坊と三人で暮らしていた。母親が探していること、そして再び屋敷に迎え入れたいと思っていることを伝えると、こうして渓谷の魔術館まで来てくれたのだ。
シエーナはそこまで話すと、ロンの右手に目が釘付けになった。彼は二本の真っ赤なりんご飴を持っていたのだ。
ロンはシエーナの視線に気がつくと、りんご飴を差し出した。
「家で作ったんだ。あげようと持ってきたんだよ、デ=レイさんと食べてね!」
「ありがとう。ツヤツヤしてて、美味しそう」
いかにも子どもの手作りらしく、真っ赤なりんごが纏う飴は随分分厚く、所々ムラがあった。
だがガラスの装飾品のようにきらきら光り、綺麗だ。
りんご飴を食べるデ=レイの姿を想像してみるが、なかなか難しい。どうなるだろうかと笑ってしまう。
手作りの土産を持ってきてくれたロンが帰った後にやって来たのが、昨日の客の未亡人だった。
玄関からシエーナに案内され、未亡人は緊張のあまりふらつく足取りで館の中を通ると、ついに広間で娘と三年ぶりに再会した。
赤ん坊を真ん中に、親子が目に涙を溜めて抱き合うと、デ=レイが無言で席から立つ。彼は静かに広間を後にした。シエーナもそれに続く。
廊下に出て扉を閉めると、中から聞こえる嗚咽と会話に耳を傾けてしまう。
「亡くなったご主人と違って、奥様のほうは勘当したくなかったんでしょうね」
「そうかもしれないな。いずれにしても、小さなアパートだが幸せそうだったぞ。健康で毎日笑っているのが、何よりだと思うがな」
やがて中からは穏やかな笑い声が聞こえた。あやされているのか、合間に赤ん坊がくすくすと愛らしく笑う声も混じる。
「これからはみんなで暮らすのかもしれませんね。どう思われます?」
「どうかな。俺はその途中に少し手助けをするだけだ。あまり一人一人に深入りしないようにしている」
魔術に頼る客は、みなそれぞれ事情を抱えている。後先を考えず依頼をこなすのも問題だが、情を傾けすぎてもやっていけないのだろう。
バランスをうまく取って仕事をするのは、意外と難しいのかもしれない。
「それにしても、自分が選んだ人と結婚できるなんて、幸せなことですね。……大半の貴族は、自由恋愛とはいきませんから」
「そうかもしれないが、親が選んだ相手を好きになることもあるぞ」
デ=レイの口ぶりが随分と感情のこもったものだったので、シエーナは意外に思って彼を見上げた。
デ=レイは腕を組んでじっとドアに彫られた葡萄の模様を見つめていたので、それ以上何も尋ねられなかった。
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