第24話 マール子爵との別れ


 昼食会は和やかに終わった。

 その後、マール子爵が立ちあがると、口元をナプキンで拭っているシエーナに恭しく手を差し出した。


「この後、庭園を私に案内させてくれるかな? シエーナ」

「ええ、ありがとう。喜んで」


 そう答えるシエーナだったが、自分でも驚くほど気乗りしなかった。

 きっと、外がまだとても寒い季節だからに違いない。

 シエーナが立ち上がってマール子爵の手を取ると、メアリー達はそそくさとその場から姿を消した。高齢の祖母まで、三十歳は若返ったかと思うほどの機敏な足さばきで、食堂を出ていく。ギョッとして去って行く皆の背中を見ていると、マール子爵がシエーナの肩に手をかけ、自分を振り向かせた。


「シエーナ、メアリー達のことはいいから。少し、二人きりで過ごしたいな」

「え、ええ。そうね」


 マール子爵が自分の左の腕を少し持ち上げ、シエーナがそこに手を通すのを待つ。

 シエーナがおずおずと腕に掴まると、マール子爵は満足げに微笑み、テラスへと歩き始めた。


 テラスから下に伸びる階段を下ると、芝の敷かれた庭園に出た。

 マール子爵とシエーナは花壇の花の話や、自分達の子供時代の話をした。ほんの少しの共通点が見つかるたびに、彼は大仰に「私たちは似ていますね」と連呼した。

 やがてマール子爵はメアリー激推しのエリアに出た。アサガオの乾燥したツルで組まれた、大きなアーチがそこには設置されたいた。アーチには冬であることを忘れてしまうほどの花が飾り付けられ、小さなベルまで取り付けられていて、風が吹くたびにリンリンと澄んだ音色が響き、耳にも楽しい。

 二人でアーチを、ゆっくりとくぐる。


「どう? ロマンチックでしょう」

「ええ。可愛いアーチね」

「私の屋敷にも、同じものがあるんだ。これより一回り大きいよ。どうだろう、今度見に来ないか?」

「まあマール邸にご招待くださるの? ……ありがとう」


 返事をするのが、まるで砂を吐くように苦しい。

 するとマール子爵はアーチを飾る花を一輪、取り去るとシエーナに微笑んだ。


「君に、この花を」


 マール子爵の手が伸び、シエーナの髪に花を挿す。

 シエーナは、マール子爵のキザな仕草を、なぜか少し恥ずかしいと感じてしまった。うろたえながらも礼を言うと、マール子爵が咳払いをしてから尋ねる。


「ねぇシエーナ。今度の土曜日に、一緒に王立管弦楽団の演奏を聴きにいかないかい?」

「あら、ごめんなさい。毎週土日は魔術館で仕事をしているから、無理なの」

「メアリーからきいてはいたけど、本当に魔術館で働いているんだね。ーー魔術館の助手なんて、貴族の令嬢である君にはふさわしくないと思うよ。あれは、高貴な女性の仕事とは言えないでしょう?」


 ロンやコブレンツ爺さんの顔が瞼の裏に浮かぶ。ドルー渓谷の魔術師は、立派な仕事をしている。ふさわしくない、なんて言い方は自分にはおこがましく思えて、シエーナは返事に困った。


「子爵様、あなたは魔術師に何か依頼したことはないの?」

「あるよ。自宅の庭園でミントが異常繁殖してしまった時にね。あいつらは、ビックリするほど、悪魔のような繁殖力を持つんだよ。人力では抜ききれなくて、魔術で根こそぎ処理してもらったよ」


 朗らかに答えるマール子爵の心境が、シエーナには理解できなかった。魔術の恩恵を受けておきながら、なぜそれを高貴ではないと見下すのか。

 マール子爵はシエーナの手を握ると、眦を下げて甘い表情を浮かべた。


「正直に言うと、君の控えめな性格がとても好ましく思っている。近いうちに、我が家の晩餐会にも来てほしいな。私と君は、とても気が合うし」

「あ、ありがとう……」


(私たち、気が本当に合っているかしら……? なんだか、わからなくなってきたわ)


 アーチを出て、花壇に沿って歩き始める。握られた手が、気になって仕方がない。いっそのこと手を振り払いたくなってしまう。

 マール子爵と一緒に過ごしているのに、さっきから陰気な館で見るアイスブルーの瞳のことばかりを、考えてしまう。つまり、デ=レイのことを。

 ――あの夜。デ=レイと手が触れ合うどころか、壁に体を押し付けられても、嫌じゃなかった。

 それにとどまらず、唇を頰に押し付けられても、抵抗する気は全く起きなかった。逆に頭の中が舞い上がって、半ば恍惚としてしまったほどだ。


(私ったら、はしたないわ。あの夜の私たちは、どうかしていたのよ。忘れなくちゃ)


 そうは言っても、頰を滑った柔らかな唇の感触は、思い出すたび鮮明になっていく。

 マール子爵はシエーナの手を握る手に力を込め、優しく言った。


「魔術については、君は本気ではないとメアリーから聞いているよ。いずれは、魔術の仕事から手を引くつもりなんだよね?」

「ええ、そうね……」


 自分の返事が、ひどく空虚に聞こえる。

 ふと思いついて、シエーナは尋ねてみた。


「もしも、世にも珍しい五色の聖玉があったとしたら、子爵様ならどうされるかしら?」


 マール子爵は唐突な質問に一瞬虚をつかれたが、くすりと笑うと自信満々に答えた。


「もちろん、国王陛下にすぐにでも献上するよ」


 冗談ではなく、本気で言っているのが分かるだけに、余計に恐ろしい。シエーナは愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。


(巷の令嬢らしく華やかな食事会や、殿方との交流に挑戦してみようと思ったけれど……。こればかりは、簡単にはいかないわ)


 マール子爵の隣を歩くのは、これで最後だろうとシエーナは悟った。




 次の土曜日がまたやってきた。

 陰鬱な渓谷を歩いているのに、シエーナの足取りはまるで雲の上を散歩でもしているかのように軽い。心の中まで、フワフワと浮いているよう。

 もうすぐ魔術館につくと思うと、口角が上がっていくのを止められない。


 今日は朝イチで来客予約が入っているため、デ=レイとシエーナはいそいそと魔術館の掃除をした。

 いつもの日常業務だけれど、二人でこの陰鬱な館で仕事をしていると、シエーナには不思議な充足感があった。

 館内の掃き掃除があらかた終わり、開館準備が整うと、二人は予約客を迎える支度をした。

 魔術館では時折予約を受けることがあったが、それは難しい案件の場合に限っている。

 術具の準備に予め時間がかかる時など、前もって必要なものを揃えてから、魔術に挑むためだ。

 高度な魔術には、往々にして予約が必要になるものだ。


「もうじき予約の客が来る。道具の準備をしておいてくれ」


 シエーナは予約帳を捲った。

 次の予約客は、遠方から来るご婦人のようだった。相談内容は簡単に「三年前に夫が勘当した娘の居場所を知りたい」と記されている。夫は他界しているが、大手紡績会社の社長だったらしく、久々に富豪の客だった。

 シエーナの視線が玄関の方へ動く。ドアの横には木製の止まり木が置かれており、そこにいつもデ=レイのお使い雀がいる。


「イチ号に捜しに行かせるのですか?」

「いや、一羽では心もとないし、もっと目立たないものの方が失敗しにくい。虫に行かせる」


 俄かにシエーナが焦る。

 窓の外は薄っすら雪が積もっている。虫を捕ってこいと命じられても見つけて来られる自信がない。

 窓辺で動揺するシエーナに気づき、デ=レイは苦笑した。


「何を勝手に困っている。その為に虫をわざわざ捕まえたりはしない。安心しろ」


 シエーナは安堵のあまり、にこりと相好を崩した。その緩んだ表情にデ=レイはふと見入ってしまった。

 可愛い……、いや、女は笑えば皆可愛く見えるものだろう――不意に浮かんだその感想を、振り払うように首を左右に振る。


「今日は冷えるな。遠路お越し頂くから、広間を良く暖めておいてくれ」

「お疲れでしょうから、お茶に菓子と果物も添えますね」


 細やかな気配りに、デ=レイは感心して力強く頷く。やはり自分一人では気が回らない点が多々あるものだ。


「今回は人捜しの術をするから、聖玉を用意しておいてくれ――黄色のを」

「はい! ただいま」


 いそいそと作業室に駆け込むと、シエーナはガラスの密閉容器から黄色の丸い石を取り出した。

 陽の雫のような澄んだまるいガラスに見えるが、これもどこかの誰かが恐らく大金と引き換えに引き渡した魔術の源の成れの果て――聖玉である。

 果てしなく完璧な球形のそれを、作業台の上の鉄皿に置くと両手を合わせてかつての持ち主に感謝の祈りを捧げる。


 聖玉はとても脆い。

 木の麺棒でその一部を軽く押し潰すと、その硬質な外観に反し、呆気なく崩れる。それはまるで丸いクッキーを砕いた感触に似ている。

 崩れた限りなく小さな欠片を大事に指先に取り、そのほかの部分は容器に戻す。

 砕かなければ効果を発揮しないし、かつ使用する直前に砕かなければ力が逃げていく。取り扱いには慎重さが要求される。

 ゴリゴリ、と麺棒を前後に動かし、聖玉の欠片をどこまでも細かい粉状にしていく。

 今日の予約客に使うのは、ほんのひとつまみだ。


 作業室に入ってくると、デ=レイは棚に並べられた聖玉が収められたガラスの容器を手に取った。


「もう在庫が残り少ないな」

「聖玉は王都の魔術師組合から購入されているんですか?」


 聖玉は非常に高価で希少だ。

 各地から集められた聖玉は一度「全魔術師組合」のもとへ行く。それから需要ごとに各地の魔術師組合に配分され、魔術師たちは通常、属する管轄の組合から手に入れる。

 だがデ=レイは全魔術師組合から直接買い付けていた。

 嘘にならない程度に、デ=レイは言葉を濁してこたえた。


「そうだな。組合から仕入れている」


 言ってみてから、微かに罪悪感を覚える。

 シエーナにどんどん嘘をついてしまう自分が、嫌になってしまう。





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