第16話 デ=レイの仕事

 午前中は風邪薬を所望する客が多く、穏やかに時間が過ぎた。

 そんな午後。魔術館がにわかに騒がしくなった。

 館の玄関扉が激しく叩かれ、幼児を抱いた男性が駆け込んできたのだ。

 だらりと脱力し動かない幼児を一瞥すると、シエーナは広間の収納から二つ折り式の簡易ベッドを出した。

 デ=レイが急いでそれを広げる。


「その子をここに寝かせて下さい! なるべく動かさないで……シエーナ、痛み止め薬をはやく!」


 横たえると、少年の足はあらぬ方向へと曲がっていた。

 顔色は蝋のように青白い。シエーナは思わずデ=レイから言い渡された指示を忘れ、硬直しかける。

 父親らしき男性が崖から転げ落ちたと嗚咽しながら説明する中、シエーナが痛み止め薬を取ってくると、デ=レイが少年の頭をわずかに起こし、小さな瓶入りの液体を少年の小さな口に流し込む。

 飲み込んだ少年はじきに泣き喚くのをやめた。


「今、術具を準備してきます。ここでお待ちください」


 デ=レイは広間に親子を残して作業室へと向かった。彼を追ったシエーナは、デ=レイが聖玉を容器から出していることに驚いた。

 広間の客はどう見ても近所の一般市民だ。履き古した靴や服を見る限り、さほど裕福ではなさそうだ。何より、あんな大怪我をしているのに、馬車ではなく父親が抱えてやって来たのだ。

 高価な聖玉を使った魔術の対価を支払えそうにはない。

 王都のリド魔術館でも、聖玉を使うのは客が裕福な時に限られていた。聖玉は非常に高価なのだ。

 それに骨折ならば、固定でも治せる。

 魔術で治すより、時間は遥かにかかるが値段はぐっと安く済む。客の懐事情を考慮していなそうなデ=レイの対処に胸騒ぎがする。

 困るのは客なのだ。


「……あの、お師匠様。聖玉を使うのですか?」

「そうだ。そこの乾燥ドクダミの葉を取ってくれ」


 ビンを開け、デ=レイに差し出す。素早く指示に従いつつも、シエーナは言いにくそうに再度確認する。


「高度な魔術を使って、だ、大丈夫でしょうか? し、失礼ながらその――あのお父様は、……あまり持ち合わせがなさそうに見えます」


 デ=レイは閉じられた扉越しに親子のいる広間の方へ視線を一度投げ、その険しい瞳をシエーナに戻す。そのアイスブルー色の眼差しは酷く苛立ちを含んでおり、シエーナがたじろぐ。


「外科的な治療では根治不可能だ。……恐らく脊髄を損傷している」


 シエーナの顔色がさっと変わる。

 固定などでは、どうにもできない怪我なのだと、気づかされる。デ=レイはそれをあの僅かな時間で見極めていた。


「高度な魔術で治すほかない。でなければあの子は今後一生、寝たきりだ」


 こんなこと、聞きたくない。でも助手として聞いておかなければならない。


「お代は……ツケで?」

「悪いが、出会って数分足らずの客を信用するほど、私は人間好きじゃない」

「で、では」

「黙ってくれ。調合に集中したい」


 ビーカーにかざしたデ=レイの手の平から、三色の火花が散る。それを受け、中身の水や葉といった材料たちが、ビーカーの中で踊り出す。

 自分には出来たことがない、持ち前の魔力を用いたその技術にシエーナは嘆息する。

 硬く握り締めていた拳をそっと開き、手の平に視線を落とす。

 その手の平から散るのは世にも珍しい五色の光にもかかわらず、役に立たないのだ。

 ビーカーは火からおろしても三色の煙がたちのぼり、デ=レイは中身の液体を漉しながら小さなカップに注いだ。

 急いで広間に戻ったデ=レイは、調合した薬を少年の上半身と足の患部に振りかけ、呪文を唱えつつ手をかざした。

 父親の啜り泣きと、デ=レイの歌うような声が重なり合って広間に響く。聖玉によって増幅された元素の力が、少年の体を内部から、あるべき姿に戻していく。

 やがて不安に引き攣る少年の顔が、徐々にほぐれていった。

 その蒼白だった頰に桃色が戻る。

 デ=レイが少年の曲がった足に手を伸ばし、その角度を戻すと、その場にいた皆の顔に笑顔が咲いた。

 少年がすぐに自分で足を動かしたのだ。


「おお、神よ! デ=レイ様!」


 父親が滂沱の涙を流す一方、簡易ベッドに横たわっていた少年も、緊張が解けたのか、急にわっと泣き出した。両手を伸ばして父親に縋りつく。

 父親は少年の額に何度もキスをした。


「よかったわね、頑張ったね」


 シエーナも泣きじゃくる少年の背中をさする。

 やがて少年はようやく泣き止むと、何事もなかったかのように、ヒラリとベッドから下りた。


「父さん、僕、いますぐにだって走れるよ!」


 そう言うなり、無邪気に本当に簡易の寝台から部屋の角まで、タタタッと駆け出す。

 走り切って振り返った得意げな顔が愛らしくて、デ=レイとシエーナはフッと笑ってしまう。

 父親はデ=レイに深々と頭を下げた。


「なんと、お礼申し上げれば良いのやら!」


 デ=レイはさらりと告げた。


「お代は八百バルになります」


 シエーナは叫びそうになった。

 まさか自分の時給ほどに低い代金を請求するとは思っておらず、目を剥いてデ=レイを見上げる。

 デ=レイは助手のそんな視線を軽く無視し、父親から千バル紙幣を受け取ると律儀にも釣りを返している。


(たとえ千バル貰ったって、――いいえ、一万バルだって、材料に使った聖玉の原価にも満たないのに……!)


 シエーナは困惑しすぎて、息が上がりそうだった。


 親子は歩いて、二人並んで帰って行った。

 陰気な渓谷の狭い道を、笑顔で何やら会話しながら。

 くねくねと上り下りする荒い道には、粉砂糖を散らしたような雪が積もっていた。その砂糖をまぶした菓子に愛らしい模様でも刻んでいくように、少年の小さな足跡が道すがら点々と残されていく。

 なんとも複雑な心境で、シエーナは窓辺に一緒に立つデ=レイを見上げた。


「破格で聖玉を……。しょっちゅうこんなことを?」

「取れるところからはふんだくっている。心配するな」


 そう言うとデ=レイは窓の外から目を離し、椅子に戻った。そのまま手元の帳簿に記録を残していく。軽快にペンを動かしていくデ=レイの目元は既に涼しく、もう窓の外を見たりはしない。

 シエーナはデ=レイを改めて観察した。


 ――言い方は時々とてもキツイけれど。あと、態度も割とどうかと思うけれど。多くを語らないけれど、この人は本当はとても善い人なんだわ。


 こんな辺鄙な場所にあるのに、客が途切れない。

 やはり、ル=ロイドの時と同じなのだ。

 魔術師デ=レイは万人の味方なのだ。困った人を切り捨てず、弱者にも寄り添う。 


「お師匠様は、この館だけでなく、ル=ロイドの理念も受け継がれているんですね」


 デ=レイはぴくり、とペンを止めた。

 紙から離したペン先を見つめ、在りし日の祖母を思い出す。

 ル=ロイドはデ=レイが小さい頃から、時折お忍びで市井の中に連れて行った。

 デ=レイはその時に初めて触れた「貧しい人々」の暮らしに、心底驚いた。

 朽ちかけた家屋に暮らす一家の、顔の黒さと暗さ。垢がこびり付いた人々というものを、デ=レイは初めて見た。

 市場で売られるパンの不味さ。それはふすまだらけで、硬い上に砂まで付着していた。

 ル=ロイドはデ=レイに「ワラを体に掛け、地面に寝てみなさい」と言った。

 地面はあまりに硬く、デ=レイがすぐに起き上がるとル=ロイドは彼に言い聞かせた。


「毎晩、そうして寝ている人々も、多いのよ。今味わった痛みを、忘れてはいけないよ。それが、私たちの務めだからね」


 城や大きな屋敷の中で話を聞いているだけでは、普通の人々の暮らしを理解することができないから、と。

 この魔術館はル=ロイドにとって、「みんなのために魔術を使う場所」だった。真にル=ロイドの力を必要とする者には、いつでも門戸を開いているのだ。


「でもね、必ずお代はもらいなさい。無料にしては、いけません。さもないと、ここがいつか必ず、皆を堕落させてしまうからね」


 王太后であったル=ロイドが開いた、ドルー渓谷の魔術館の揺らがぬ理念。

 そしてそれをデ=レイが忘れてしまわないように、ル=ロイドは自分の肖像画を魔術館に残していった。デ=レイの寝室に。

 ル=ロイドは死後も、絵の中から無言で語りかけてくるような気がしてしまう。

 彼女の肖像画を見るたび、デ=レイは「今日は人々の役に立てただろうか」と自問自答してしまうのだ。


(まったく、祖母も策士だ)


 デ=レイは珍しく尊敬の眼差しで自分を見てくるシエーナの視線が気恥ずかしく、つい皮肉を口走る。


「そうだな。給金が破格の安さを誇る、金銭に執着しない伯爵家の令嬢からも、ある意味ふんだくっていると言えるかもしれんな」

「まぁ。お師匠さまったら」


 呆れたように両手を腰にやり、ふとシエーナは思った。


 ――正義ぶりたくないからこそ、憎まれ口を叩いたり、お客様に敢えてあんなに素っ気ない態度をとるのかしら。


 シエーナは思案に暮れたあとで、デ=レイの人柄に感心し、彼自身に興味を持った。


「あの……。お師匠様」

「なんだ?」

「デ=レイというのは、仕事名ですよね。お師匠様の本名はなんと言うのですか?」


 デ=レイ自身について知りたい、と思う気持ちは抑えた方が良いような気がしたが、好奇心が優った。

 記録をつけていたデ=レイの手がピタリと止まる。微かに睫毛が震えた。


「――イジュ家のご令嬢に名乗れる名ではないな」


 いろんな意味で。


「まあ。かえって気になりますわ」


 先代の魔術師ル=ロイドが亡くなり、孫のデ=レイがここで魔術師として仕事を始めたのは、一年前。それまで何をしていたのだろう。


「こちらにいらっしゃる前は、どこか別の所で魔術師を?」


 デ=レイは手元から目を上げ、頬杖をついた。


「いや。本業は別にあるからな。ここはただの息抜きでやっている」


 それは初耳だ。シエーナは俄然興味を抱き、デ=レイの座る椅子に更に近づいた。


「本業はどんなことを?」


 公爵をしている、とはとても言えない。

 ハイランダー公爵領は質の良い麦が獲れ、豊かだが田舎にある。


「本業の本拠地は田舎にあるんだ。人に任せていて……だから本宅へは滅多に帰らない」


 シエーナは驚いた。

 この館の他に、彼の家があるとは想像していなかった。思ったより、裕福な人のようだ。  


「お師匠様は、こことは別にお家をお持ちなので……?」

「端的に言えばそうなるな」


 ――端的? 端的って何!?


 今までプライベートなことは質問したことがなかったが、もしや本宅では明るく温かな家庭が彼を待っていたりするのだろうか?

 頬杖をつくデ=レイの左手をちらりと見やり、指輪の有無を確認する。

 指輪はしていないが……。

 完全にプライベートな質問だが、どうしても知りたくてシエーナは斬り込んだ。


「あの、お師匠様。ご結婚は…」

「結婚はしていない。私は独身だ。――したいとは思っているんだが、先日求婚したら逃げられたんだ」

「まあっ。お師匠様の求婚を断るだなんて……そんな罰当たりなかたがいらっしゃるなんて!」

「罰当たり……だろうか」

「ええ。その方はきっと、お師匠様のことをちゃんとご存じではないからですわ。この渓谷でどれほど村の人達から慕われているか知れば、絶対に考えが変わるに違いありません!」

「本当に、そう思うか?」

「ええ! お師匠様の求婚を足蹴にしたそのかたに、私が会って説得して差し上げたいくらいです」


 シエーナは力説した。


「そのかたは、本宅のある地方にお住まいのかたですの? それとも、この渓谷のご近所様かしら」


 近所どころか、いま自分の目の前にいる。だがそんなことを、デ=レイが言えるはずもない。

 デ=レイはアイスブルーの瞳をゆっくりと上げた。

 なぜか不機嫌そうなその目つきに、シエーナはたじろぐ。


「君は、なぜ結婚しない? イジュ家の一人娘だというのに。引く手数多だろう」

「……結婚はしないと、子供の頃に決めたんです」

「なぜ?」


 シエーナは首を左右に振った。

 義母を自分が追い出し、父から妻を奪ったからだなんて、言えない。


「どうせ皆、イジュ家の財産目当てですもの。私自身を好きになってくれる人なんて、あの中にはいないからです」


 顔を上げるといつの間にかデ=レイが正面に立っていた。

 デ=レイがシエーナの両手を取り、彼女を見下ろす。


「そんなことはない。ちゃんと君自身を見ている男は、絶対にいる」


 そのアイスブルーの瞳には妙な真摯さがあり、シエーナは束の間言葉を失った。


「そうだと、良いですけれど……」


 握られている両手が、とても熱い。

 見つめ合ううち、心臓がどくどくと激しく打ち始める。

 怖くなってシエーナは、サッと手を引き抜いた。


「さぁ、次のお客様をお迎えする支度をしましょうか!」


 予約客に出すための、紅茶を淹れる作業に取り掛かろうと台所へ向かう。

 シエーナは自分の頬が妙に熱くて、しかもその熱がなかなか収まってくれないことに、少し焦った。

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