第6話 義妹のお節介
オレンジ色の外壁に白い尖塔を持つ、イジュ伯爵邸。
その大きな屋敷の、数多ある部屋の中で最も豪華で広い鏡の間では、今夜パーティが開かれていた。
着飾った近隣の貴族たちが集い、給仕が運ぶ酒が彼らによって次々と消費されていく。
くるくると踊る男女の横を、王都からわざわざ呼び寄せた評判の良い料理人たちが作った料理をトレイに載せた給仕が、すり抜ける。
鏡の間に面した美しい庭にも、煌々と明かりが灯され、酔っ払った貴族たちが夕涼みをしていた。
「あなた、わたくし少し外しますわ」
夫であるエドワルド・イジュにそう断りを入れてから、大盛況のパーティをそっと抜け出したのは、イジュ伯爵家の一人息子に昨年嫁いで来たばかりの、メアリーだ。
彼女は鏡の間の入り口に置かれたマホガニー製の振り子時計で時間を確認してから、豪奢なドレスの裾を摘み上げて早足に廊下を行った。
タイル張りの床を高く華奢なヒールが叩き、カツカツという音が響く。
そうしてメアリーは目的の場所まで真っ直ぐに向かった。
裕福な貴族の娘として生まれたメアリーは、比較的恵まれた順風満帆な人生を歩んできた。
というより、人生楽勝だった。
生まれた瞬間から、彼女は勝者だった。
持って生まれたのは、健康的な適度に肉付きの良い身体と、耳当たりの柔らかな澄んだ声。それに誰もが羨む美しい黄金の髪は豊かに真っ直ぐな髪質で、瞳の色はこのティーリス王国でも一番人気の緑色だ。
蝶よ花よと裕福な貴族の両親に育てられ、大人になった。
そして成長目覚ましいイジュ伯爵家に嫁ぎ、今は贅沢三昧な日々を過ごしている。
自分の素晴らしい人生に、毎日感謝している。
夫のエドワルドはなかなかに見栄えが良いし、とにかく優しい。
義父のイジュ伯爵も温厚な性格な上にメアリーを気に入ってくれ、関係は上手くいっている。一般的には拗れがちと言われる義母との関係も、一切悩みがない。なぜならエドワルドの母は既になくなっていたからだ。
そう、なんの悩みもない。
……ただ一つ、義姉のシエーナの存在を除いて。
メアリーはシエーナの寝室に辿り着くと、部屋をノックした。ひょっこりと顔を現したシエーナは、随分眠そうな顔をしていた。おまけに既に寝間着を纏っている。
下級侍女が着るような、飾り気ゼロのその寝間着に、一瞬メアリーの目が点になる。部屋を間違えたかと思ったほどだ。
おまけに義姉の前髪が、異様に短くなっている。こんなに短い前髪の切り方は、どう考えても今流行していない。
無理やり視線を前髪から引き剥がし、何も見なかったフリをする。
メアリーは気を取り直して微笑を浮かべた。
目指すは誰からも好かれる、可憐な義妹だ。
「お義姉様、もうお休みですか?」
「ええ。朝早くから出かけているから、眠くて」
この義姉はメアリーには理解不能な行動ばかりする女性だった。
イジュ伯爵家の潤沢な財政状況にもかかわらず、徹底して贅沢をきらい、屋敷の中でなぜか一人せっせと倹約に努めている。社交の場にはほぼでかけないし、縁談は片端から断ってきた。
挙句に王都の高名な魔術師の助手にしてくれ、と伯爵に謎の要求をし、去年からそこで働いている。それが丁度メアリーが嫁いできた時期と重なった為、メアリーは自分がこの義姉に嫌われているのではないかと、一時は疑心暗鬼になったほどだ。
だがそれはどうやら当てつけなどではなく、義姉は本気で魔術に傾倒しているのか、一年経った今も、日中は魔術師のもとへとでかけていた。
勿論それはそれで、不安で仕方がない。
最近は出勤日を減らしたらしく、シエーナが家にいる時間が増えたが、逆に一日あたりの勤務時間は増えたようだ。
伯爵は娘に甘く、また幼い頃に母を亡くしていたエドワルドにとっては姉は母親がわりだった為、この屋敷の人間は誰もがシエーナの奇怪な行動にはっきりと苦言を呈しない。
ただ、生暖かい目で見ているだけだ。
最もメアリーが理解出来なかったのは、シエーナと伯爵が先週突如現れたハイランダー公の求婚を、断ったことだ。
あんな優良物件は、そういない。
狙って落とせるものですらない。なにせ通称「最後の聖域」だ。
自分が留守にしてさえいなければ、そんな過ちは絶対に犯させなかった。部屋から引きずり出してでも、シエーナを公爵に会わせただろう。
だからこそ、自分がしっかりせねば、とメアリーは心の中で息巻いた。
「き、今日もお義姉様は魔術師リドの所へ?」
「ええ、そんなところよ」
本当はつい最近リドの所は辞めている。王都にはもう行っていない。
だがその事実をシエーナは意図的に隠した。
ドルー渓谷の館で働き始めた、と知られれば、家族が今まで以上に困惑するのが目に見えたからだ。
国の中でも高名で、多くの従業員を抱えるリドの魔術館と、怪しげな魔術師が一人で切り盛りしている陰気な渓谷のデ=レイの館では、安心感が違う。
おまけにリドは人格者だったが、デ=レイは残念ながらなんと言っていいか分からない。
「お義姉様。あの……今夜のパーティもいらっしゃらないのですか?」
「えっ、パーティ……?」
「鏡の間で今夜パーティがあると、昨日もお伝えしたではありませんか」
メアリーお得意の微笑が、軽く引きつり始める。
「あ、ああ。そうね。で、でも私パーティは苦手なの」
急にシエーナは手首に痒みを感じ、ボリボリと掻き始めた。痒みは急速に広がり、次第に腕全体を広範囲に搔きむしりだす。
「パーティっていう単語を聞くだけで、蕁麻疹が出てしまうのよ。本当にごめんなさいね」
メアリーは可憐な微笑を放棄した。
「あの、痒いのはもしや……お寝間着がお古いのではありませんか? わたくしの物でよければ、新しい物がありますので差し上げ…」
「何を言うの、着慣れていてとても着心地が良いのよ、結構よ。このくたびれ感が最高に身体にフィットするのよ。――私はただ、あの殆どが廃棄される運命の無駄ばかりの料理とか、酒臭い広間がどうも苦手で…」
メアリーにはシエーナの主張が全く理解できず、二人の会話は微妙に噛み合っていなかった。
義妹を困らせていることを十分承知しているシエーナは、申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさいね。明日もはやいの。朝からケークサレを焼かないといけないから」
「ケークサレを? お義姉様が?」
「ええ。難しくはないのだけれど、手間と時間がかかるの」
メアリーにとって、ケークサレは皿にのって目の前に出されるものであり、既に焼かれているものだ。
作らせるものであり、それがどう出来ているかなど、気にしたことすらない。
なにせこの伯爵邸の調理場に足を踏み入れたことすらなかった。
義姉の話が今ひとつ理解できないメアリーは、思い切って話題を元に戻す。
「それで、今夜のパーティは…」
「お誘いは嬉しいわ。ありがとう。折角のお誘いだけれど、もうクタクタで」
何せススで真っ黒にした作業室の掃除に、ほぼ半日費やしたのだ。
「あの……もしや、お義姉様は将来魔術師になろうと?」
「いいえ。まさか。だから、心配しないで」
シエーナは部屋に戻りたい素振りを見せていたが、メアリーはまだ食いついた。
今夜の本題はこれからなのだ。
メアリーは可愛らしく咳払いをしてから、改めてにっこりと微笑み、天使のような微笑を披露した。
「お義姉様、実は近々わたくしの実家で身内だけのパーティを予定しておりますの。それで、両親がぜひお義姉様にもいらして欲しいと申しておりまして…」
「え、ええ。そうね。貴女のご実家のパーティなら、ぜひ参加させていただくわ」
シエーナも何とか笑顔を浮かべてそう答えた。
本当はパーティは苦手だが、不参加では義妹の顔が立たない。義妹の実家は同じく伯爵家だったが、それほど近くはない為、お呼ばれすることは稀だった。
数少ないお誘いを断るのは、いただけない。
使命感に駆られ、シエーナが参加を早々表明すると、メアリーはパッと顔色を輝かせた。勢い余って、義姉の両腕を掴む。
「本当ですの!? 嬉しいですわ。――お義姉様はたしか以前、優しくて穏やかな
そうだったろうか。
シエーナは心の中で首を傾げつつも、偉く嬉々とした様子のメアリーの勢いに呑まれ、頷くほかない。
「わたくし、お義姉様に紹介したい人がいるんです。はとこのマール子爵が、お義姉様にとても会いたがっていて」
「マール子爵…」
マール子爵とやらには、会ったこともないが、義妹の親戚となると、無下に断れない。
シエーナはぎくりとした。
「会ってもガッカリされるだけだと思うけれど」
「そんなことさせませんわ! 当日はわたくしがみっちりお義姉様のお召し物からヘアスタイルまで、プロデュース致しますから!」
メアリーはシエーナの頭から爪先までをサッと観察した。
その緑色の瞳がギラリと輝く。
(大丈夫。切って、剃って、塗って、――描いて、ギュッと寄せて上げて、グイグイ締め上げればお義姉様も変身するわ……!)
「色々とありがとう。私のために」
「いいえ! 家族ですもの! パーティの日取りが決まったら、またお伝えしますわね」
「ええ、よろしくね」
ぎこちなく手を振り、シエーナはお休みを言うと扉をパタンと閉める。
閉じられた扉の表と裏で、義姉妹はそれぞれ対照的な反応を見せた。シエーナは大きな溜め息をつき、うな垂れた。一方でメアリーはガッツポーズを決め、弾むような足取りだった。
実家でのパーティは来月の予定だったが、シエーナが来てくれるなら、明日だろうが明後日だろうが良いくらいだ。
(お義姉様の気が変わらないうちに、パーティを開かなくては!)
猛烈な笑顔で廊下を歩き、鏡の間へと戻っていく。
やがて自分の寝室の前を離れていくメアリーの足音が聞こえないほど遠ざかると、シエーナは肩を落として窓辺に向かった。
夜の闇を見渡せる窓ガラスに、暗く映る自分の顔。その黒い瞳は、外の闇夜よりなお暗い。
同じ屋敷の中にある鏡の間では、絢爛豪華な貴族たちが集い、喧騒のただ中にあるはずだ。
(――でも。私は、この繁栄が砂上の楼閣に過ぎないことを、知っている……)
シエーナは窓の桟に両手をつき、長い息を吐いた。その両手と吐息は微かに震えていた。
白く細い自分の手を、じっと見つめる。
爪の先に、今日掃除した炭が入り込み、少し黒くなっている。
(もう、時間がない……)
イジュ伯爵家の栄華と繁栄は、幻のようなものだ。
その砂の城の中で、刹那的な快楽に浸ることはできない。
顔を上げて窓に映る怯えた自分の顔を見る。
シエーナは思わず呟いた。
「どうしたらいいの? 教えてよ、ル=ロイド……」
その問いに対する答えは、勿論誰もしてはくれない。
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