第5話 彼女の秘密 その1
午後はデ=レイが作業室で、術具の製作にとりかかった。
ビーカーの中の水に、干からびた茶色い植物の皮と白い鳥の羽を入れる。
下からアルコールランプで熱していくと、やがて水面が揺れ、下の方に小さな気泡が現れる。そこへ、仕上げに聖玉の欠片を放り込む。
聖玉は一見するとガラスの破片のような外観をしているが、非常に高価で希少なものだ。
そして高機能な術具を製作する際には、不可欠なものだ。
魔術師の力をより強く引き出し、その効能をより長く持続させる。
万物の根源は、五色の元素であるという。
そして魔術師たちは、この世のあらゆる場所に
五色の元素は自然界に均質に存在する。だが、人が操ることができるのは、通常限られた元素のみだった。
人は生まれつき、何色の力を使えるのかが、決まっていた。そして終生それが変化することはない。
情熱の赤、希望の黄、慈愛の緑、清廉の青、そして高潔の紫。
ごく稀に複数色の力を使える者がおり、そういう者は多色使いと呼ばれ、重宝がられた。
使える色素の色が多いほど、使える力も大きいのだ。
そして聖玉とは、人が生まれ持った元素を操る力を、身体から取り出したものである。
ゆえに聖玉は一人の人間から一度しか出せず、また取り出せば以後その人間は一切の力を失うことになる。代わりに、聖玉を術具に用いれば、魔術師は己がもたない色の力も、操ることが可能となるのだ。
その為聖玉は術具の重要な材料であるにもかかわらず、大変貴重で高価なものだった。貧困家庭では、若いうちに身の内の聖玉を当然のように売り払っているのが常だった。
材料で溢れるビーカーを、デ=レイが木のヘラで混ぜ始めるなり、液体は急速に沸騰した。
ボコボコという音と共に、白い煙が揺らめいて天井に上がっていく。
デ=レイがビーカーを食い入るように見つめ、眉間に微かにシワが寄る。
薄いブルーの瞳に、揺れる水面が映っている。デ=レイの瞳が、澄んだ湖の水面を彷彿とさせる。
シエーナは視線を絶え間なくデ=レイとビーカーの間で往復させた。デ=レイの顔が綺麗すぎて、ビーカーとどちらに集中すればいいのか分からない。
やがてビーカーの周りに絶え間なく、黄色、青色と赤色の小さな稲妻のような明かりが瞬いた。
それを見てシエーナは素直に感嘆した。
「お師匠様は、黄色、青と赤の三色使いなのですね! 凄いですわ。あの高名なリド魔術師も、三色使いでした」
「君はどの色の使い手だ?」
木ベラを回しながら、デ=レイは隣に立つシエーナに尋ねた。単色使いに違いないと決めつけた質問の仕方だったが、世の中の大半の人々がそうなのだから無理もない。
だが尋ねるなり、なぜかシエーナの白い頰が微かに引きつったのを見逃さなかった。
「黄色か、……緑か?」
シエーナが着るしみったれた古臭いドレスからは、正直「高潔の紫色」の要素は微塵も感じられなかった。
まぁ、実際は伯爵令嬢なのだが。
かといって情熱の赤、という気もしない。
色はある程度、本人の個性を表すのだ。
デ=レイは思いついたように木べらをシエーナに渡した。
そうして、グツグツ煮えたぎるビーカーを指差す。
「少し代わってくれ。――前の職場でもやっていたのだろう?」
術具作りの手伝いは、魔術館で働く者なら新人でもできる仕事だ。気軽に頼んだデ=レイに反し、なぜかシエーナは重い面持ちで立ち尽くす。
ビーカーを見つめたまま。シエーナは言いにくそうに口を開いた。
「……できないんです。私、魔力での材料混合はやったことがなくて」
「なんだって?」
デ=レイは聞き返した。
聞き間違いをしたかと思ったのだ。一年もあの高名な魔術師リドの下で働いていたのに、やったことがないはずはないだろう、と。
仕方なくシエーナは消え入りそうや声で答える。
「私……操れる色は生まれつきなくて……無色、ですの」
「えっ、今なんて? 沸騰音でよく聞こえない」
なんと言うべきか迷ったが、シエーナはこの場では事実を伝えるべきではない、と考えた。
「私実は、……どの元素の力も使えませんの。いわゆる、その、ーー無色使いなのです」
デ=レイの瞳が驚きに見開かれる。そのあまりに澄んだ色に、シエーナが怖気付く。
「冗談だろう。確かに、稀に……気の毒な無色使いという者がいるとは聞くが」
「ですので、リドさんのところでも魔力を必要とする作業はしていなかった次第で…」
デ=レイはひどく社交的な笑みを浮かべた。異様に綺麗な微笑のまま、長い指で作業室の扉を指差した。
「本当に無色使いなら、君はクビだ」
(まずいわ。やっぱり駄目なのね……)
きっぱりとした解雇宣言に、シエーナは胃に痛みを覚える。
やはり無色では普通、魔術師に雇ってもらえない。リドはイジュ伯爵に頼まれたから雇ってくれただけなのだ。だがここでドルー渓谷の魔術館を、辞めるわけにはいかない。まだ目的を達成していないのだ。
魔術師のたった一人の助手が、無色使いでした、は通用しない。例えるなら、楽器が演奏できないのに管弦楽団員になろうとするようなものだ。
厳しい現実に、シエーナは束の間俯いた。
(――仕方がない……。こうなると本当のことを言うしかないわ。ここでクビになるより、マシよ)
シエーナはゆっくりと息を吐くと、デ=レイを見上げた。
「無色というのは、建前で……実は私、多色使いなんですの」
「あ? 今度はなんだ。一体どっちなんだ。結局こういう材料混合はできるのか、できないのか?」
「できると思いますわ。だだ、本当に経験値が低くて…」
「で、君は一体何色使いなんだ?」
「そ、その…」
「とりあえず出来るんならさっさとやってくれ。――羽が沈みそうになっている」
デ=レイはシエーナが手に持つ木べらを顎で指し、彼女をせかす。
シエーナは意を決して言った。
「私、実は五色使いなんです」
「――その冗談は笑えないな。そもそも伯爵家の令嬢が五色も持つはずがない。そんな二物を天が与えるものか」
「う、嘘じゃありません。こう見えても五色出せるんです!」
五色使いとは、この世の元素全てを操ることができ、尚且つ大きな力を持つ者のことだ。当然ながら、この世に五人といないと言われている。
魔術師であるデ=レイも二十三年間の人生の中で、一度も会ったことがない。
「ではなぜ無色だなどと言ったんだ?」
「最近まで自分が五色持ちだと気づいていなかったんです。家族は皆今でも、私が無色だと思っています」
貴族である伯爵家に魔術が必要なわけではないから、何の問題もなかった、
元素の光など、自分には出せやしない――その認識が変わったのは、リドの下で働き始めてからだ。リドの魔術を手伝ううちに、偶然手の平から光を出せてしまったのだ。そしてそれは、美しい五色の光だった。
その時の光景は、今もはっきりと覚えている。
シエーナは見間違いかと目を瞬き、リドは隣で腰を抜かしていた。
二人でパチパチと弾ける五色の光を見つめた後、リドはビーカーを急いでシエーナの手元から取り上げ、危ないから二度と力を使うなと力説した。
「リドさんは五色は聖玉狩りに狙われやすいから、人に明かすなと仰ったのです」
聖玉は本人の呪文と賛同なしに、取り出すことは出来ない。だがその状況を無理やり作り上げ、多色の聖玉を狩る者たちがいた。
リドはシエーナが聖玉狩りの対象になるのを恐れた
デ=レイはいかにも胡散臭い話を聞いた、といった表情でシエーナに言った。
「俄かには信じられんな。まさか五色だなど。ではその五色の力とやらで、ぜひ続きを混ぜて見せてくれ」
シエーナは微かに逡巡したあとで、木ベラをビーカーに入れた。
ゆっくりと、混ぜ始める。
久しぶりなので出来るか分からない。
だがやるしかない。ここでこの魔術館とおさらばをしないといけないなら、全てが無駄になってしまう。
(落ち着いてやれば、前にやったみたいにきっと出来る。元素の光を出せるはず……!)
やがてビーカーの周囲にパチパチと静電気のような微かな細い光が舞いはじめた。
祈るような気持ちでシエーナは木べらを持つ手に、全神経を集中させた。
ビーカーの周りでチカチカと舞っていた光は、じきにより大きく強くなり、色が見えるようになっていく。
シエーナは懸命に、そして少し得意げに訴えた。
「ほ、ほら、もっと近寄って、よくご覧になってください。ーー五色、出ております……!」
デ=レイがその輝きをよく見よう、と前に踏み出し半信半疑でその色を数える。
それはデ=レイの出す元素の光に比べ、大きさこそ小さかったが、たしかに雨上がりの虹のように、色鮮やかな五色の色を持つ光だった。
デ=レイは何度も瞬きをして、ようやく言葉を紡ぐ。
「……信じられない。まさか本当に五色使いとは」
目を見開き、動揺しきった声をデ=レイがあげかけた時、ボンっというくぐもった音が上がった。同時に二人の視界が突如真っ暗になる。
咄嗟に目を閉じた直後、顔面に熱い蒸気を感じる。それが去るなり、恐る恐る目を開けると辺りにはもくもくと灰色の煙が作業室に立ち込めていた。
目を落とせば作業台の上には、粉々に砕けたビーカーと、その中にあったはずの液体が四方に飛び散っている。
白かった作業室の天井と壁紙の一部は黒く変色し、二人は互いの前髪が焦げて失われたのを目撃した。
「な……なんだコレはぁぁッ!」
デ=レイのあまりの絶叫に、シエーナは作業室の隅まで走って逃げた。逃げたくなかったが、逃げてしまった。
それくらいデ=レイの顔に迫力があった。
綺麗な顔に青筋が立ち、氷のように凍てつくアイスブルーの瞳が、非難がましく自分に向けられている。
彼は黒いインクを散布したように焦げた天井一面を、震える指で差した。
「これはどういうことだ!? リド魔術師のもとで何を学んでいた!」
「ご、ご、ごめんなさ」
「謝罪は結構! 説明だ!」
「私、五色をバランスよく使えないんです。だから、リド魔術師のところでは、雑用が主な仕事で…」
「ではあの長ったらしい推薦状は、嘘か!? あれはなんだったんだ!」
「嘘じゃありません! ちゃんと詐欺スレスレのラインで書いてもらいました!」
物凄く褒めちぎってもらったが、魔術が得意とは一言も書かれていない。
「何がスレスレだ! 」
デ=レイは目眩を覚えて、額を抑えながら壁に寄りかかった。
その拍子に天井に張り付いた羽の燃えかすがヒラヒラと舞うように落下してきた事に気付き、滅入る。
(――いや、無理もない。何しろ五色使いなのだから)
古来より、多色使いは有能だがそれは四色までと言われている。
五色使いとなると、力が強すぎて均衡を保つのが難しくなり、ほぼ使いこなせなくなる、とまことしやかに言われている。もっとも、五色使いなどという稀有な存在にお目にかかったことなどないので、真偽不明だったが。
デ=レイは片方の口角を意地悪そうに上げた。
「なるほどな。よくわかった。『五色使いと暴れ牛は売り飛ばせ』と言うからな。確かにその通りなようだ」
牛と同列にされるなんて、あんまりだ。
というより、シエーナはそんなことわざを一度も耳にしたことはない。
でも「そのことわざ、今作りましたか?」などと聞ける空気では到底ない。
「お師匠様、お許しを…」
デ=レイはシエーナの手から、焦げた木べらを奪い返した。
「二度と君には木べらを持たせない」
「す、すみません。掃除します! 今すぐに!」
シエーナは惨状を何とかしようと、掃除道具を取りに作業室を飛び出した。
不機嫌な顔で割れたビーカーをテーブルの上の一箇所に集めるデ=レイを盗みみながら、シエーナは必死にモップで天井を拭いた。
そうして目が合うと、シエーナはおずおずと聞いた。
「明日も、私ここに来てよろしいでしょうか?」
こんな厄介過ぎる助手は、来なくていい。デ=レイは密かにそう思ったが、その言葉を飲み込む。
モップを握るシエーナの手が、小刻みに震え、まるで祈るように握りしめられているのだ。
それを目にした途端、デ=レイは小さく溜め息をついた。そしてその後で、やや無気力に言っていた。
「好きにしてくれ」
「ありがとうございます!」
その爆発的な笑顔を前に、デ=レイは反応に困り、目を逸らした。
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