第2話 二人の出会い

 「まったく、どこにいるんだ?」


 王宮のホールは着飾った王侯貴族たちで溢れている。

 眩く輝くシャンデリアが天井を埋め尽くし、その下で男女が踊る。回るたびドレスが広がり、レースの表面につけられたビジューが星屑のように光る。

 酒をトレイに載せた給仕をよけながら、ハイランダー公はホールの中をくまなく歩き、シエーナと伯爵を探す。

 ハイランダー公は目の周りを覆う仮面をつけていた。別に今夜は仮面舞踏会ではない。

 だが顔を隠していないと、意図せずともあっという間に女達の人垣に囲まれ、身動きができなくなるのだ。

 伯爵はテラスにいた。


「イジュ伯爵、ご令嬢はどちらに?」


 探し回りすぎて粗い呼吸のまま、ハイランダー公は尋ねた。

 伯爵は仮面のせいで、相手が誰だか全く分からなかった。

 ハイランダー公が仮面を少しのあいだ、浮かせて素顔をみせると、伯爵はヒエッ、と素っ頓狂な声を出してから、恐縮しきりで答えた。

 娘は庭に出てしまった、と。




 仕方なく庭に出たハイランダー公は、庭園の薄暗い噴水の裏で上半身裸の女に遭遇した。

 ドレスを腰まではだけた女は、悲鳴をあげながらこれまた上半身裸の男にしがみつく。


(これだから、夜会の庭は……)


 夜の庭園は男女の逢引の舞台と化していた。

 次に通り過ぎた低木の裏では、貴族の男と女官が濃厚なキスを交わしていた。

 女官には見覚えがあった。

 確か最近衛兵の一人と結婚したばかりのはずだ。

 もう浮気をしているとは、嘆かわしい。


 薔薇の垣根に差し掛かると、ハイランダー公は足を止めた。

 垣根の前に、一人の娘が立っていた。

 娘は手を伸ばし、薔薇の一輪一輪に顔を寄せ、その香りを楽しんでいるようだった。こんな暗い庭園に一人でいるのは、例の彼女くらいしかいないだろう。

ハイランダー公は、彼女こそシエーナ令嬢だと察した。彼は自信に満ちた足取りで、ゆっくりと大股でシエーナに背後から近づいた。


「イジュ伯爵令嬢?」


 ぱっと弾かれるように振り返った娘の顔を見て、ハイランダー公はおや、と目を見開く。


(思ったより可愛いな……)


 灯りが乏しく、かなり暗い夜の庭園だ。二割増しに見えているのかもしれない。いや、三割増しか。

 ドレスは今流行の胸元を大きく開いたデザインで、豊かな鞠のような白い胸が、蠱惑的な谷間を見せている。

 思わずハイランダー公は生唾を嚥下してしまい、そのことを恥じる。

 伯爵令嬢はティーリス王国には珍しく、黒い瞳をしていた。その神秘的な瞳を瞬かせ、彼女は口を開いた。


「はい、伯爵家のシエーナですわ。……あの、どなたでしょうか?」


 ハイランダー公は颯爽と右手を彼女の前に伸ばした。


「ジュード・エドモンド・アーロン・ハイランダーと申します」


 シエーナは顔を引きつらせた。

 明らかにそれは歓喜によるものではなく、恐怖によるものだった。


「ああ、あの。公爵様…」

「先月は突然お訪ねして、申し訳ありませんでした」

「いいえ。私の方こそ、お会いできず、申し訳ございませんでした」


 先月の訪問の後、ハイランダー公からは特に何の連絡もなかった。伯爵家は公爵からただからかわれたのだろう、ということで屋敷内の者の見解は一致していた。

 もしや、今夜の夜会に参加するよう国王から命じられたのは、ハイランダー公と関係があるのだろうか?

 恐ろしい。

 伯爵家は王家を敵に回したいわけではない。

 シエーナは北風に吹かれた小鳥のように震えた。


「お仕事でお疲れだったと伯爵殿よりお聞きした。――一体どのようなお仕事を?」

「ええっ、あの。たいした仕事ではございませんわ。公爵様にお伝えするのもお恥ずかしいような、下らない仕事ですの」


 なんだそれは。

 心の中で首を傾げつつも、そんなことはおくびにも出さず、公爵は滲むような笑顔を披露した。

 大抵の女はこれで茹だったように頬を赤く染め、惚けたように公爵を見上げるものだった。

 しかしながら、シエーナは公爵の想像の斜め上をいった。

 シエーナは公爵を見てすらいなかった。視線を泳がせ、明らかに逃げ道を探している。

 ハイランダー公はやや苛立ちながら、シエーナの左手を取った。


「今宵、こうして貴女に会えて嬉しい」

「え、ええ。お会いできて光栄ですわ」


 とんでもない棒読みだった。

 ハイランダー公は早いとこシエーナを陥落させよう、と少々強引にコトを進めた。

 シエーナの耳元に顔を寄せ、甘い声で囁く。


「シエーナ。薔薇がお好きなのですか?」


 シエーナの脳髄が一瞬、痺れた。

 まずい。

 これ以上この危険なまでに美しい声の男と二人でいてはならない。

 シエーナは勇気を振り絞り、ハイランダー公の長い指をそっと振り払った。


「わ、わたくし、失礼いたしますわ」

「シエーナ? 一体どこへ…」

「わたくし、今猛烈な便意をもよおしておりますの。厠へ行って参りますわ!!」


 ハイランダー公は硬直した。

 石像と化した彼を置いて、シエーナは脱兎の如く夜会を抜け出したという。

 ハイランダー公は仮面を脱ぐ間すら、なかった。

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