公爵様が、地味ダサ令嬢にフラれまして。
岡達英茉
第1話 公爵、屈辱を味わう
王宮の夜会は、想像以上に煌びやかだった。
「無理、無理。もう限界。一秒でも早く、帰りたい……」
伯爵令嬢のシエーナは、絢爛豪華な雰囲気とそれを彩る王侯貴族たちの人口密度に耐えきれず、ホールを飛び出した。
(だから、だからこんな浮ついた社交の場には来たくないとお父様に言ったのに!!)
庭園に飛び出すとシエーナは心の中で父を罵った。
そもそもシエーナは伯爵家の一人娘でありながら、派手なことが大の苦手だった。
知らない人の集まりのなにが楽しいのか、分からない。
むせ返るような酒と香水の匂いで、頭痛がする。
夜会になど滅多に出ないシエーナが今夜、仕方なく参加したのは、国王直々の命令があったからだ。
そしてそれは多分、あの妙な公爵――ハイランダー公のせいだった。
一月前、突然ハイランダー公爵が伯爵家を訪問した。
あまりに唐突だったので、屋敷の皆が慌てた。
ハイランダー公と言えば、このティーリス王国の若き国王の弟で、「最後の聖域」というあだ名をつけられていた。美貌と地位と財を持つのに、いまだ独身を貫いている、とのことからそう呼ばれていたらしい。
噂通りハイランダー公は驚くほど美しい容貌をしていた。
その無駄に豪華で華美な馬車を最初に出迎えた伯爵家の侍女は、あまりの美貌に目が潰れそうになった。
どうやらハイランダー公は侍女に名乗ったらしいが、侍女はそのあまりの美声に一瞬脳神経がやられ、うっかり彼の名を聞きそびれた。
粗相は続いた。
応接間に通されたハイランダー公の膝に、緊張し過ぎた侍女が紅茶を零してしまったのだ。信じられないミスだった。
だが、ハイランダー公はそつのない笑顔で我慢した。
今すぐズボンを脱いで足踏みしたいくらい、熱かったけれど。
まさか初めて訪問した屋敷でパンツを晒すわけにはいかない。
顔面蒼白になった中年のイジュ伯爵がようやく応接間に登場した時、ハイランダー公は思った。
さえない中年男だ、と。
伯爵は小太りで背が低かった。かなり寂しくなった榛色の髪の毛を、どうにかたくさんあるように見せようとフワフワのパーマをかけていた。
ハイランダー公の本日の目的は、伯爵令嬢の一人娘、シエーナに求婚する許しを得ることだった。
実はシエーナを見たことすらない。
だが、これは祖母である前王太后の遺言だった。
イジュ伯爵家はかなりの財産家だった。
悪い話ではない。
そしてその令嬢も、節約と質素をモットーとするつましい女性として、界隈では有名だった。
女は従順に限る、とハイランダー公は思っていた。
ハイランダー公は人生において、女に不自由したことはなかった。
一声、甘い声で甘い台詞を囁けば、どんな女も――たとえ人妻であれ、彼の腕の中に転がりこんだ。
女など、そんなものだ。
妻にするなら、質実剛健なタイプの方がいい。
ハイランダー公はそう己を説得し、本日、こうして祖母の遺言に従うべく、伯爵家にやってきた。
「こちらのご令嬢を私の妻にしたいと思っております」
伯爵は己の耳を疑った。
だが今朝耳掃除をしたばかりだ。聞き間違いではありえない。
汗だくになり、目に見えて動転する伯爵を、ハイランダー公は冷ややかに見ていた。
同じく混乱した侍女が、ハイランダー公の長い足に躓き、ケーキの皿を落としたが、膝上に降ってくるケーキを今度は上手いこと避けるのに成功した。
侍女の失敗に狼狽した伯爵は、呼吸に支障をきたし、いまや鼻からスピスピと妙な音を立てていた。
この後の展開は、ハイランダー公には容易に想像がついていた。
伯爵に呼ばれたシエーナが登場し、自分が今をときめく公爵に妻にと、望まれたことを知る。さえない中年男の娘も、さえない令嬢に違いない(会ったこともないが)。
シエーナは泣いて喜ぶだろう。
或いは、両手を胸の前に組んで天井を見上げ、神に己の幸運を感謝するかもしれない。
とにかく、彼の美貌におそらくイチコロだ。
ところが、事態は思わぬ方向に動いた。
まずシエーナが姿を現さなかった。
娘の部屋から戻ってきた伯爵は、吹き出す汗をハンカチで拭いながら言った。
「娘は、仕事で疲れきっておりまして……」
「仕事? ご令嬢は仕事をされているのですか?」
なぜだ。
貴族の娘が王宮で女官をすることはよくある。だがシエーナが女官をしているという話は、聞いていない。一体どんな仕事をしている。
「それに娘は、生涯独身を貫くと決めておりまして」
「ばかな」
しまった。
父親の前でご令嬢をバカ呼ばわりしてしまった。
ハイランダー公はすぐにリカバリーに徹した。
「由緒正しい、名門貴族のイジュ伯爵家のご令嬢が、結婚しないなど。ましてや宝石業に成功し、一代で巨万の富を築いた伯爵のご令嬢です。頭脳明晰なご令嬢を、妻にと望む男は引きも切らないでしょう」
とは言え、国王の弟にしてイジュ伯爵家に負けず劣らず金持ちの公爵である、自分が求婚しているのだ。
伯爵家の一人娘と言えども、求婚をそう無下に断ったりはしないはずだ。余程の馬鹿でない限り。
だが伯爵は心底申し訳なさそうに、呟いた。
「娘のシエーナは、かなりの変わり者なのです。本当に残念でならないのですが……」
ハイランダー公は、さえない伯爵令嬢(だと思われる)にまるで相手にされなかった。
まさか断られるとは、想像もしていなかった。
これほどの屈辱は、初めてだった。
「いやぁ、お前の顔を一目みたら、絶対違うって!!」
王宮に報告に戻ると、兄である国王はそう慰めた。
「まずは顔を合わせなきゃ。兄の俺ですらお前の顔にたまに腰から砕けそうになるもん。そっからっしょ!!」
国王は己の権威をフル活用し、イジュ伯爵に来月の王宮夜会にシエーナを連れてくるよう、命じた。
「これて万事オッケーよ。セッティングはしたから、あとはその顔と声と身体で、ご令嬢落としちゃいな!」
親指を立て、国王は弟にウィンクした。
――が、またしてもコトは計画通りには進まなかった。
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