悪縁
土足のまま金森宅に上がり込み、未だ消えぬ悍ましい気配を辿って仏間に飛び込む。するとそこには、冷や汗まみれで布団に横たわる千秋が居たものの、気配の源である「何か」の姿は見えず、いつの間にか気配そのものが消え失せていた。
「千秋っ!」
私は苦しそうに喘ぐ千秋に駆け寄り、彼女の顔を覗き込む。だがそこにあったのは、私が知る彼女の顔ではなかった。
肌は黒ずみ、目は濁り、髪はところどころ白くなっている。否、それだけではない。全身が痩せ細り、頬はこけ、彼女はまるで、骨と皮を残して肉を削ぎ落とされたように歪な姿へ変貌していた。私が最後に彼女と会ったのは、ほんの数日前だ。普通じゃない、こんなこと。
私が想定外の事態に戸惑っていると、千秋は焦点の合わぬ濁った目を私に向け、それからゆっくりと口を開けて小さく声を発した。
「せ、んぱい……?」
瑞々しい元気に満ちていたいつもの声とは似ても似つかぬ、必死に絞り出すようなかすれた囁き声。しかしそれは、確かに千秋の声にほかならなかった。
枕元に置かれた彼女のスマホに「お母さん」という登録名の人物から着信が入ったのは、それからすぐのことである。
スマホを手に取ることすらもおぼつかない千秋に代わって電話に出た私は、自分が彼女の友人であること、彼女の悲鳴を聞いて家に上がったことを通話先の「お母さん」へと伝えた。すると、娘の無事を確かめたかったらしい彼女はそれで一旦は安心したらしい。私に礼を言うと「それさえ分かれば今は十分です」とすぐに通話を終えようとした。
「ちょっと待った、事情を教えてくれませんか。もしかすると、力になれるかもしれない」
嘘ではない、しかしすぐには信じられないだろう。そう思ったが、「お母さん」の返事は意外にも「本当ですか」という縋り付くような言葉だった。
彼女の話によれば、事の発端は大昔、千秋の先祖が他人を呪ったことが原因だという。人を呪わば穴二つと言うが、呪い返しという術によってそっくり呪いを返された先祖は「一族が滅ぶ」呪いを受けてしまい、強力な霊媒師の一族に娘を嫁がせる代わりに、その血を引く子孫を呪いから守ってもらっていたらしい。
しかし、それならば何故、今になってこんなことが起きている?
「分かりません。霊媒師の家系である金森本家を頼ろうにも、連絡先を知っている夫は千秋と同じように倒れ、今はもう話を聞ける状態ではありません。お義父さん……夫の父は先日、千秋が倒れた日に亡くなりました。まるで、大昔の呪いが突然爆発でもしたみたいに……!」
彼女がどれだけ追い詰められ、娘と夫を救う為に奔走しているのか、その境地を察するにはその震える声だけで十分だった。
分からないことはいくつもある。飲み込める情報の量にも限度がある。しかし、私には、確かに分かることが1つある。
「……千秋」
私はスマホを耳から離すと、傍らで薄い胸を上下させて苦しそうに息を吐く千秋に語りかけた。
「前に話したことを覚えてる? 私は巫女で、神様と話が出来るって話」
彼女は弱々しく頷く。
「声に出さなくても良い。心の中で唱えるだけで良い。『助けて』と強く願って」
彼女は強く願う。その祈りを、私ははっきり受け取った。
神は祈りを受けて応えるもの。私はそう理解している。
「タチキリ様、タチキリ様、どうか悪縁をお切りください」
私はそう囁くと、肌身離さず持ち歩いている一丁の古い糸切り鋏で宙を切った。
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