恋慕は結ばれずとも悪縁を断つ
桜居春香
良縁
「念のため家に連絡してみたけど、繋がらないんだよねぇ。まあ、今日はそんなに混まないだろうし、
家族連れの注文したラーメンをテキパキと用意しながら、店長は私に言う。手が足りないようであれば少し残ろうと思っていたが、それなら私はお言葉に甘えよう。洗い終えた業務用の炊飯器を拭きながら、私はふと思いついたことをそのまま口に出した。
「どうせ帰り道ですし、金森さんの家に寄って、様子だけ見てきましょうか?」
交通事故か、はたまた誘拐事件か。脳裏をよぎる嫌な可能性も、家を訪ねて本人がそこに居れば杞憂だったと笑い飛ばせる。そう考えての提案だった。
「そうだね。欠勤の理由だけでも分かったら、店に連絡してよ」
そう言って店長は、出来上がったラーメンを持って客席に向かう。退勤時間を迎えた私はそんな店長を見送ると、まかないを食べる時間も惜しんで更衣室へと向かった。
東京に縁者が居ない私にとって、千秋はこの地で最初の友人だった。因習を嫌い故郷を出て一人暮らしをする私と、実家暮らしの女子高校生である千秋。同じラーメン屋でアルバイトをしている以外に接点のない関係だったが、同性で歳が近いこともあり、彼女と勤務時間が重なる日には自然と話すことが多くなった。人に頼られるのが好きな私にとって、私を先輩と呼んで懐く彼女は、一緒に居て心地の良い人間だ。
だからこそ、今日の無断欠勤には妙な胸騒ぎがする。確か彼女の母親は専業主婦のはずだ。家族仲も良好だと聞いている。仕事を休むのにどんな事情があるにしろ、バイト先への連絡もなく、店長からの連絡も繋がらないというのは、とても普通の状態とは思えない。
そんなことを考えながら、私は見慣れた一軒家の前で足を止めた。表札に刻まれた「金森」の字が、この家こそ彼女の家だと示している。何度か退勤時間が重なったときには、家まで送って帰ったことがあるので間違いない。
「……静かだな」
人の気配がしない。チャイムのボタンを押して見るが、誰かが応答する様子もない。留守だろうか。もう日も暮れる頃だが、どの部屋にも明かりは灯っていない。
もし、出勤の予定を忘れて母親とどこかに出かけている、というオチであればそれで良い。後で注意すれば済むだけの話だ。
そう思った私が金森宅から視線を逸し、自分の家に向かおうと一歩踏み出した、その瞬間だった。
「どうしようもない」
地の底から足元にまとわりつくような、悍ましい「何か」の気配。しゃがれた老人のような声に紛れて微かに聞こえた、助けを求める悲鳴。それが千秋の声だと気づいた私は、振り向きざまに門扉を蹴り開けると、次の瞬間には金森宅の玄関扉に飛びついていた。
不用心にも、扉は施錠されていなかった。
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