6.自殺行為

 その時、レオウ・レントゥスは王妃の部屋の前に控えていた。

 部屋の中では姫が王妃の看病をしている。この二日で急激に体調を崩してしまった王妃のことを、姫が心配したからだ。

 レオウ自身は王からの命令により、姫の護衛を強化するようにと言われている。故にこの場を離れることはしないが、ほんの少し、疑問を感じて辺りを見渡した。

(城内がやけに静かだ……何かあったのだろうか)

 いくらここが城の中、病に伏せっている王妃の部屋の前だとしても、あまりに静かすぎて不気味に感じる。風を通すために開け放っている廊下の窓から城内を巡回している騎士の声や足音が聞こえてもいいはずなのに、それすら気配がない。

(……騎士といえば、今朝は同僚たちの様子もおかしかった。皆、どこかぼんやりとした様子だったが……)

 この国で騎士となって、数十年。異国出身ということもあって未だに馴染めていない部分もあるが、それでも騎士団の同僚とは良好な関係を築けていると思っていた。

 しかし今朝は、同僚たちに声をかけても上の空といった者ばかりで、それどころか露骨に避けられているようにも感じた。碌な功績もないのに突然王の命令で姫の護衛を任されることになってしまった為に、僻まれてしまっているのか。それとも。

(何故か全員、足元を見ていたな……そういえば陛下にも、足元の声がどうのと――)

 と、廊下の窓から外の様子を窺っていた、その時だった。

 ふいに慌ただしい不規則な足音が聞こえだし、レオウは思わず身構えた。

 やはり何かあったのか、と振り向いた先。姿を見せたのは息を切らしながら右足を引き摺っている、ゼーレ王本人だった。

「陛下っ? 一体どうなされたのですか」

 慌てて君主へと駆け寄る。

 普段は常に平穏であろうとしている王が、酷く憔悴した様子でレオウの顔を見、そしてその足元を見る。

「っ、レントゥス、君は……無事なのか、そうか、良かった」

 王の言葉に、レオウは思わず怪訝な表情をしてしまう。状況が掴めない。

 そうしている間に、王はレオウを通り越し、王妃の部屋の扉を開け放った。

「アリーヤ! アリーヤ、ああ、良かった、お前も無事だな」

 そのまま扉を閉めることすらせず、王は部屋へと飛び込んでいく。レオウがその後ろを追いかければ、王妃が横たわっているベッドの脇にいた幼い姫を、王は勢いのままに抱きしめていた。

「お、お父様? どうしたの?」

 こんなにも取り乱した父を、これまで見たことなど無かったのだろう。只事ではない様子に、姫はおろおろと父を見上げ、ベッド上の母へ戸惑った視線を送る。

「……貴方、落ち着いて下さい」

 ベッドの上から声がする。ゆっくりと起き上がったのは王妃だった。

 体調を崩したということだったが、なるほど確かに顔色が悪い。部屋には入らずに見守っているレオウから見てもそう思えるほどの青白い顔で、しかし王妃はしっかりと言葉を発する。

「もう、駄目なのですね。この国は」

「マリー……すまない、私が不甲斐ないばかりに……」

「いいえ。覚悟はできております。私は貴方と共にありますので」

 今から思えば、この時の彼女は母として、この国の王妃として、最後の力を振り絞っていたのだろう。ベッドから手を伸ばし、姫の手を握る。

「お母様、何を言っているの? お父様も、一体どうしたの?」

 更に困惑した姫が母の手を握り返し、空いた片手で父に縋るようにそっと服を握る。

 そんな姫を惜しみながらも、王は体を離すと姫の顔を覗き込んだ。

「いいかい、アリーヤ。今すぐにこの国を出なさい。幸い、レントゥスも無事だ。共にこの国から去り、グローリアへ助けを求めなさい。そしてゼーレの名を捨てなさい……これからはミスティル・アリーヤ・ゼーレではなく、ただのミスティルとして、どうか生き延びておくれ」

「生き延びる、って、どういう――」

 姫が聞き返した、その時だった。


 突然、城が揺さぶられた。

 真横から何かの衝撃を受け、城そのものが大きく揺さぶられ、立つことができずに床に投げ倒される。それは騎士として日々訓練しているレオウとて同じだった。なんとか受け身をとるものの、床へと強かに肩をぶつけてしまう。

「う、く、一体、何が」

 すぐさま体を起こしたレオウは、顔を上げて部屋の中を見渡す。

 王は姫を守るように抱き締め、咄嗟に傍のベッドへと倒れ込んだらしい。王妃の上にも覆い被さり、三人はなんとか無事のようだ。

 しかし部屋の壁を見てレオウはギョッとした。王妃の部屋の左上部分の壁が崩れ、そこから夕日が見えているではないか。

「っ、始まったか……!」

 王が声を上げる。

 レオウはすぐさま部屋の中へと入り、王たちへと駆け寄る。何が起きているのかわからないが、ここにいては危険であることだけは理解した。一刻も早く部屋から三人を連れ出さなければ、と王へと手を伸ばしたレオウを、しかし王は払い除ける。

「私はいい、それよりも姫を」

「何を仰っているのですか陛下! 王妃様も、早くここから避難を――」

「違う、動けないのだ」

 小声で言葉を遮った王は、レオウにだけわかるように自身の右足を指し示した。

 レオウは息を呑んで言葉を失った。王の右足が、途中から砕けていた。

 切れたのでもなく、ちぎれたのでもなく、まるで石を地面に叩きつけて砕いたかのように、粉々になっていた。血は流れていない。代わりに、青色の破片が辺りに散らばっている。

 幸いだったのは、姫がそれを直視しなかったことだろうか。幼い姫は突然苦しみ出した王妃に気を取られ、体を起こすと慌てて母の体に触れていた。

「お母様、大丈夫?! どこか痛いの? 怪我した?」

 苦しむ王妃へと声をかける姫を、右足を自身のガウンで隠した王が無理やりに引きはがす。

 そしてレオウへと声を張り上げた。

「レオウ・レントゥス! ゼーレ王として最期の命を下す! 今すぐ姫をつれて国を脱出しろ!」

 ――その時、レオウは何故か、亡き妻のことを思い出していた。

 十年前に強盗に襲われ、亡くなってしまった妻・ロサ。その妻の、亡くなる直前の表情と、今のゼーレ王がしている表情が、まったく同じだったのだ。


 これは、自身の死を理解し、その上で子のことを想っている者が見せる、最期の顔だ。


「……姫様、申し訳ありません!」

 レオウは一度そう断ると、王の腕から姫を受け取り、肩に担ぎ上げた。

 現状を受け止め切れていない姫はジタバタと暴れる。

「いや、やめてレントゥス、やめなさい! お母様とお父様が」

「陛下、拝命致します。必ずや姫を安全な場所へとお連れ致します!」

「待って、お母様! お父様!」

 姫が手を伸ばすが、レオウはしっかりと落とさないように姫を抱きしめ、部屋を飛び出した。

「レントゥス、頼んだぞ」

 と、背後で王の言葉が聞こえた気がした。


 城の外は悲惨な光景が広がっていた。

 王妃の部屋では被害の全貌が見えていなかったが、城の上部がまるで欠けてしまったかのように崩れ、その瓦礫が地面へと突き刺さっている。空から火の粉が落ちてきており、美しかった庭園は火の粉から燃え移った炎によって早速見る影もない。

 更に異様なのは、庭園を警備しているはずの騎士達が、揃って立ち尽くし、空を見上げていることだ。

 レオウにとっては全員見知った顔だ。声をかけるべきか、と一瞬思考し、すぐにレオウは首を振った。

(陛下が真っ先に私の足元を見ていたのは、こういうことか……!)

 立ち尽くす騎士たちの足には青い結晶が纏わりついており、彼らの足と地面を縫い付けていた。レオウの脳裏に、先程見てしまった王の右足の光景がよぎる。

 騎士たちを避け、彼らが見えない位置で姫を下ろしたレオウは、すぐさま自身が羽織っていた騎士団のコートを脱ぎ、火の粉を避ける為にコートで姫を覆うように被せた。

「レントゥス、一体、何が起こっているの?」

 姫が恐怖に顔を強ばらせながらレオウを見上げてくる。

 幼い姫は声だけでなく、体も震えていた。レオウも自身の表情が強ばっているのを自覚しながら、姫を真正面に見つめ返す。

「申し訳ありません、私としても状況がわからないままですが、とにかくここから離れます。姫様、どうか今だけ、周りを見ないようにしてください。駆け抜けますので、舌を噛まれないよう」

 その時、再び城が大きく揺さぶられる。

 姫を守るように覆い被さったが、幸いにも瓦礫が落ちてくることはなかった。が、城を見上げた姫がレオウの肩越しにヒッと息を飲む。

「お母様……お父様……」

 城の上部、さきほどまでいた部屋……王妃の部屋が、跡形もなく崩れていた。あそこには、まだ王と王妃がいたはずだ。

「陛下……」

 レオウは無理やりに目を逸らし、コートで姫を隠すようにしながら抱き上げる。

 姫はもう暴れることはなかった。放心してしまっている姫を抱え、レオウは駆けだした。

 庭を突っ切り、城門を抜ける。そして城下街へと下るが、ここも城の中と同じ現象が人々に起こっていた。

 呆然と立ち尽くす人々に、あちらこちらで上がっている炎。しかし足を止めることもできず、せめて姫に見せぬようにと歯を食いしばって走り続ける。惨状から目を逸らし、城下街も駆け抜け――そうしてレオウが足を止めることができたのは、ゼーレ国の外。国全土を見下ろすことができる高台を登り切った時だった。

 日々訓練を積んでいるレオウとしても、人を抱えながらこの距離を走れば息も切れる。なんとか息を整えようとするレオウの腕で、我に返ったらしい姫がもぞもぞと動いた。

「……レントゥス……お願い、降ろして」

「っ、姫、様」

 言われた通りに姫を地面へ降ろすと、姫はよろよろとレオウの背後へ行き、高台から国を見る。そして力が抜けたように、その場にへたり込んだ。


 高台から見たゼーレ国は、全てが炎に包まれていた。城下町も、城も、何もかもが、燃えている。


 この現実を受け止めるには、姫はあまりに幼すぎる。

 燃える国を見つめながら声を上げ泣く姫を、この時のレオウはどうすることもできなかった。

 ×××


 高台の二人の背後で、一羽の小鷹が静かに木の枝に降り立った。

 片足に青い石の欠片を掴んでいるその鷹は、国ではなく、空を見上げる。夕暮れを過ぎ、完全に日が沈んで暗くなった空には、星が輝き始めている。

 その星の中に、一つ。不気味な青い輝きがある。そしてそれは、徐々に輝きを増していた。


 この空の光に、『彼』以外に気付けた者が、果たしてこの世界にいたのだろうか。

 ゼーレ国が崩壊したと同時に輝き出し、大勢の人の感情と命を犠牲にして呼び込んでしまった、あの光に。


(どいつもこいつも……自殺志願者め……)

 鷹の姿である『彼』の言葉を、聞ける者もまた、この世界にはいなかった。


 ×××


 小鷹が施設に戻って来れたのは、夜が明けてようやくのことだった。

 鉄格子が嵌まっている小窓の淵に着地し、中を覗き込む。中には誰もいなかった。少し考え、もう一度飛んで別の侵入経路を探す。

 確か、砲台があった部屋に空から入れそうな場所があったはずだ。そこを見つけ、小鷹の体を滑り込ませてみれば、大きな部屋の中央に鎮座している砲台の傍で力なく跪いているオイレの姿を見つけた。

「……ああ、ハカセよ。戻ってきてくれたのだな」

 小鷹に気付いたオイレが、疲れた顔を上げて僅かに微笑む。

 部屋の中には他に誰もいない。オールドーやその従者たちも今は別の場所にいるらしく、この部屋は静まりかえっている。


 ……いや、オイレの他にも、人はいる。

 砲台の動力炉部分。そのすぐ横の機械に、無理やりに繋がれている、少年が。


 オイレの隣に着地し、少年を見る。

 少年の手足は拘束されて機械に繋がれたままにされており、その半身を、青い結晶に侵食されていた。

 良質な負の感情で生成されたエテルニアは膨大なエネルギー源になる――『彼』と同胞たちでしか知らないはずの知識を得たあの男は、容赦なく少年から全てを奪い、国一つを燃やし尽くしたようだった。

 記憶も感情も全てをエテルニアに変換されてしまった少年は、虚ろな表情で何の反応も示さない。何も見えていない様子で、青い結晶の中に埋もれている。

 『彼』は爪で掴んでいた自身の欠片を嘴に咥えなおし、少年の足元に置く。

 すぐに『彼』は少年の中へと入り込んだ。僅かしかない記憶を巡り、少年の意識に呼びかける。

 が、もうそこに、少年を構成するものは、何も無い。

(もうコイツには自我すら無い……思考放棄よりも、酷い)

 意識の表側へ浮かび、少年の体を借りる。

 視界を確保して瞬きをした時、バサバサと小鷹が飛び立った。半日もの間体を借りてしまっていた小鷹は、帰り道を覚えているのか『彼』が侵入してきた箇所へと向かい、無事に空へと飛んでいく。

 それを見届け、『彼』は視線を戻す。オイレが不安そうにこちらを窺っていた。

「……爺さん」

「ハカセよ。その子は……その様子だと、やはり、駄目なのか」

 答えることができなかった。

 押し黙る『彼』に、老人は落胆して肩を落とす。

「ハカセ……儂はまた、何もできなかったよ……こんなに優しい子ですら、儂は、救えなかった……」

「爺さん、それは」

「わかっておる。そのようなこと、その子は思っていないと言うのだろう。それでも儂は許せないのだよ。ルベルのことも、儂自身のことも……そして、エテルニアのことも」

 オイレの言葉に、『彼』は一瞬息を呑み、ゆっくりと溜め息を吐き出した。

 老人は真の敵が何なのか、きちんと理解できている。そしてこれから『彼』が何をするつもりなのか、それも理解しきっている。

 『彼』は少年の体に纏わり付いていた青い結晶を一瞬の内に砕き、拘束を解いて自由になった手足を動かして老人へと近付き、声を潜めた。

「爺さん、結論だけ言う。ゼーレが崩落した」

「あぁ。小さくだが、ここからでも見えていたよ」

「けど、全滅ではない。二人、生き残った。ゼーレの姫さんとお付きの騎士だ。この二人が生き延びて国を逃れたのは、確実に同胞たちには想定外のはずだ。現に、コイツも爺さんもまだ生きている」

「二人が逃げないとどうなっていた」

「今頃空から巨大な隕石が落下して、一瞬で世界が死んでいたな」

 矢継ぎ早に会話し、現状を確認する。この会話だけでオイレは全てわかったようだ。

「ならば、奴らの最終目的は、その隕石であるエテルニアの母体を呼び寄せ、この世界を破壊すると同時に全ての生命をエテルニアへと変換させてしまうこと、か」

「……理解が早くて助かるよ、爺さん」


 今、この世界が在り続けているのは、ゼーレ国の地下にいる奴らが、たった二人分の力を奪い損ねたおかげだ。

 それによって、空から来る母体を押し留められている。ギリギリの均衡状態で、自分たちは抗わなくてはならない。


「十二代目ゼーレ王が残した希望を、『俺』が潰すわけにはいかない」

 『彼』は静かに、決意していた。

 『自身』の最期と、この世界を蝕んでいる全てのエテルニアの最期を。

「その為には『俺』もコイツも力を溜めないといけない。入念な準備と、膨大な時間が必要になる……オイレ、すまない。集落には還してやれないかもしれない。それでも『俺』に、ついてくる覚悟はあるか」

「儂のことなら気にするな。元より捨てる予定だったこの命、お前さんの役に立てるならこれ以上はない」

 少しの躊躇いも無くオイレは即答し。

 ほんの少しだけ微笑んだ。


「……あぁ、しかし一つだけ、我が儘を言うならば……儂の死に場所は、書庫のようなところがいいな。最期は書架に埋もれて逝きたいのだ」


 ×××


 それからの『彼』は、自尊心を押し殺して行動した。

 ゼーレ国を滅ぼすだけに止まろうとしないオールドーを煽り、『自身』を使って武器を製造していった。それによって拡大する被害は全て『自分』の罪であるとして負の感情を集め、力を溜め続けた。

 全ては、ゼーレの地下に巣くう同胞たちと、空の向こうにある母体、そして『自分自身』を、殺すために。


 それからもう一つ、しなければいけないことがある。少年の自我を取り戻すことだ。

 とはいえ、これは賭けでもあった。目的を果たす為には『彼』自身を呑み込んでしまった少年の協力が必要不可欠ではあったのだが、少年が自我を取り戻したところで、果たして生きようとしてくれるのか。不可抗力だったとはいえ国一つを滅ぼしてしまった少年が、その罪に押し潰されて死を望むことしか考えられなくなってしまわないか。

 無理やりに少年を生かし続けることは、可能だ。現に、もうすでに、『彼』は無理やりにでも存命させる方法でしか少年を救えていない。

 世界の外側から持ち込んだ技術を使い、水槽の中に閉じ込め水の中で揺蕩いながら眠り続ける少年を、老人の体を借りた『彼』はただ眺める。

(……名が、必要だ。コイツが一人の人としての自我と感情を取り戻すには、人である証となる、名前が)

 そうとわかってはいるものの、『彼』は名付けることができない。

 人ではない『彼』では、意味がない。


 人によって自我を喪失してしまった少年に名を与えるならば、それもまた、人でなければいけない。


(……まだ希望はある。心配するな爺さん。あとは『俺』が、爺さんの分まで背負っていくから)

 オールドーに協力する代わりに作らせた書庫の、その中央に鎮座して、『彼』は老人へと呼びかける。

「最期までありがとう、オイレ……お前がいてくれて、良かった」

 頭の中で、オイレ・ケントニスが静かに笑う。

 そうして『彼』は、書庫の扉が開かれるのを待った。


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