5.後悔

 『彼』を呑み込んだ少年とオイレ老人が牢獄に入れられて暫くの間は、ただ時間だけが過ぎた。

 オールドーにも準備があるのだろう。その間、『彼』は鉄格子が嵌められている小窓から外を覗き、大体の地形を把握する。

 どうやらこの場所は丘のような高台に建てられているらしい。小窓から見える範囲では、高台の周りは崖になっており、その下は森が広がり、更に遠くにかろうじてゼーレ国の天然の城壁である山々が見える。この場所はゼーレ国というよりは、グローリア国の領域の方が近いのかもしれない。

(集落の皆は無事だろうか。あの火事を消せていればいいんだが)

 ゼーレ国がある方向を見つめる。集落があるのはそこより向こう側だが、ここからでは遠すぎて集落を見つけることはできそうにない。もちろん火事による煙の痕跡も、肉眼では探すのは難しい。


 事が動き出したのは、それから二日目のことだった。唐突にオールドー本人が牢獄へと姿を見せたのだ。

 対応したのは少年ではなく、『彼』だった。オールドーを前にして上手く声を出すことが難しい少年の代わりに、『彼』はオールドーへと目を向ける。

「ほう、また目つきが違う。あの奴隷ではないな。お前は誰なのか」

「生憎と『俺』にはお前に名乗るような名は持ち合わせていない。というか、『俺』が何なのか、わかっているんだろ? お前と余計な話をするつもりはない。用件を言え」

「自身がどういう立場なのかわかっていないらしい……しかし、まぁ、貴殿は許そう。ついて来い」

 オールドーは牢獄から出るように促す。

 後ろからオイレが「気をつけてな」と小さく声を掛けてきた。『彼』はそれに無言で頷き、牢獄を後にする。

 オールドーの後ろを大人しくついて行く。この建物は何かの研究施設なのか、人が住むような構造はしていないようだ。真っ白な廊下はチリ一つなく、どことなく異質な風景が続く。

(この世界の技術の建物ではない。オールドーが『俺たち』から知識を得て建てたのか)


 エテルニアは、空から落ちてきた石だ。

 故にエテルニアには、空の向こう側の知識が内包されている。この世界には在るはずが無い、別の世界の知識が。

 それは『彼』にもある。集落内で『彼』がハカセと呼ばれるようになったのは、時折そういったこの世界以外の知識を発言することがあったからだ。

 だからこそ、別の世界の技術が使われているこの施設が、何の目的で作られており、何を製造しているのか、予測がついてしまう。


 嫌な予感を抱える『彼』に、それは最悪の形として現れた。

 オールドーに連れられた先、天井がなく吹き抜けになっている一室にあったのは、巨大な砲台だった。

 この世界には無いはずの技術を搭載した砲台であることは、見ただけでわかる。数日で作れるような規模ではない、精密に製造されたソレは、すでに砲撃先へと照準を定めており。

 それは十中八九、ゼーレ国へと向けられている。

「……ゼーレの全てを、燃やし尽くす気か」

 冷静に言ったつもりだったが、僅かに声が震えてしまっていた。

 オールドーは不敵に笑う。

「ええ。あとは動かすための動力源の確保だけが問題だったのだが、貴殿のおかげでそれも解決ですよ。これでようやく、私の悲願は達成される」

「……ハッ……悲願、か……それはお前の意志なのか、それとも――」


 ――オールドーの意志を乗っ取っている、エテルニアの意志なのか。


 言いかけた『彼』の言葉を、しかしオールドーは遮った。

「無論、私の意志ですよ。決まっているではないか」

 そう言い切る男の目には、青い光が揺らめいていた。


 ×××


 決行は夕暮れ。日が落ちる間際に行うと、オールドーは一方的に宣言した。

 この宣戦布告を、当のゼーレ国に住まう者たちは誰一人として受けていない。何も知らず、知らされず、突然に国全土を破壊されるのだ。あの砲台の規模からして、そこから砲撃される一撃は国を破壊するのに十分すぎるほどの威力があるはずだ。

 再び牢獄へと戻された『彼』は、衝動的に鉄の扉を殴りつけた。ゴンッと鈍い音が響き、拳の皮膚が裂けて血が滲んだが、すぐにその傷口を青い石が覆うのを忌々しく見る。

(どうする……仮に今ここから逃げ出せたとしても、人の足だとゼーレまで間に合わない。かと言ってオールドーを止める方法もない。なんとかして十二代目に知らせて、少しでも被害を抑えるには、どうしたら……!)

「ハカセや、落ち着きなさい」

 焦る『彼』を呼び止めたのは、オイレだった。

 ハッとして『彼』は振り返る。老人は今の状況を冷静に分析して予測したのだろう。あえてゆっくりと、言い聞かすようにまっすぐに『彼』を見る。

「あの子は起きているかい? 儂と話せるようにしてほしいのだが」

「え、あ、ああ」

 そう言われ、『彼』は目を閉じて少年の意識に呼びかける。

 二日間、反応が薄かった少年は、意外にもすぐに応えた。『彼』は自身の意識を沈めて、少年に体を返す。

 瞼を持ち上げた時、少年の瞳には青い光はない。それを確認したオイレは手を伸ばし、わしゃわしゃと少年の頭を撫でる。

「……オイレさん……」

「大丈夫じゃよ。お前さんが何をしたいのか、儂はわかっておる。儂が心配しておるのは、そうすることによってお前さん自身が無事でいられるのかどうか、それだけよ」

「……。……うん」

 『彼』には二人が何を話しているのか、すぐにはわからなかった。

 故に、反応が遅れた。いつの間に、いつから持っていたのか、オイレが懐から小さなナイフを取り出したかと思えば少年がそれを受け取り。

 一瞬の躊躇いの後、少年が自身の腕に、ナイフの刃を突き立てた。

(?! ばかっ、何して)

 思わず動揺している間に、少年の腕からはボタボタと大量の血が滴り落ちる。慌てて『彼』は意識を一点へと集め、少年の傷口を『自身』で塞いだ。

 が、それは少年が求めていた行動だ。その一点へと集まった『彼』の意識を分離するかのように、少年はさらに傷口めがけてナイフを振り下ろす。

 パキン、と軽い音と共に、『彼』の意識の一部が少年から切り離された。すぐに少年はそれを掴み上げ、流れる血などお構い無しに小窓へと向かうと、鉄格子の間から『彼』を掴んだ手を外へと出した。

「ハカセ、行って」

 思考が追いつかない。

 どういうことか、と混乱する『彼』に、少年は僅かに声を荒上げる。

「行って。ゼーレに、あの王様に……人の足が駄目でも、鳥や獣なら……!」


 少年が手を離す。

 待て、も、だけど、も、反論する暇などなかった。

 落下していく『自身』は日の光を浴びてキラキラと反射する。


 こうなれば後は腹を括るしかなかった。『彼』は周囲へと、声にならない叫びを発する。

(――来い!)

 その声は人の耳には聞こえないが、他の動物には届く。

 遠くの空に浮かんでいた一点の黒い影が高速で飛んできたと思えば、気付いた時には『彼』は空を飛行していた。

 茶色の羽毛に、頭の一房だけが鮮やかな翡翠色をしている、小さな鷹のようだった。

 猛禽類特有の鋭い嘴に『彼』を咥えたその鷹は、一度急降下し、地面へと降り立つ。その隙に。

(悪い、暫く借りるぞ)

 意識を乗っ取った。

 鷹の体、鷹の目線で、足の爪で『自身』を掴み、落ちてきた場所――施設の小窓を見上げる。

 一瞬、戻ることも考えた。

 しかし『彼』は、鷹の体でふるりと首を振った。

(今ここで戻ったら、あいつらの覚悟を無駄にしちまう)

 自傷してまで『自分』を切り離し、自身以外を助けることを求めた、少年と。

 その少年の心情を理解して『自分』を送り出すことに賛同し、少年と同じ道を行くことを決意した老人を。

 これから起こる事に対して荷担することになってしまうと覚悟した二人の、人としての尊厳を守るための最後の抵抗を。

 無駄にするわけにはいかない。

 『彼』はその場で翼を広げる。飛び方を思い出しながら、軽く助走をつけ、空へと飛び上がった。


 ×××


 その日は、一見すれば何事もなく終わるはずの、いつも通りの日常だった。

 カツン、カツン、と、ゆっくりと杖をつきながら、ゼーレの王は城内を行く。

 道中、城内を巡回している兵士たちに声をかけられるが、王は一人一人に挨拶をするだけで、傍につかせることはしなかった。少し一人にさせてくれ、外の空気を吸わせてくれ、と言い訳をしつつ、中庭へと向かう。

 時刻は夕刻前。もう少し経てば、空は黄昏の朱色に染まっていくことだろう。

 ようやく辿り着いた中庭に入り、誰もいないそこで、王は深く息を吐いた。

(……病の進行がやけに早い。国には患者が溢れかえり、王妃はもはや起き上がることもできなくなってしまった……そして、私も)

 王の右足は、関節で曲げることも困難なほどになっていた。あの日、『彼』と別れて僅か二日間で、である。

 半ば諦めていても尚、少しでもエテルニアに対抗するべく病状の記録をとり続けていた王にとって、この進行の早さは異常であり、不吉だった。地下のエテルニアがそれほど活発的になってきているのか、それとも。

(何かが起こる、前触れか……)

 暗雲とした思考で自身の足元を見つめた。

 その時、ふいに大きな羽ばたきの音が間近で聞こえた。

 頬に風を感じ、顔を上げる。いつの間にか目の前を一羽の鳥が羽ばたいていた。突然のことに驚きながらも目が合えば、その鳥はやや不器用に中庭の花壇へと着地する。

 ゼーレ国では見ない種の小さな鷹だ。確か、隣国であるグローリアの固有種ではなかったか。そんな小鷹が何故ゼーレに――とまで思考したところで、鷹の足に、青く光る結晶があるのを見つける。

 その見慣れた青い光に、王は瞠目する。

「まさか……貴方なのか」

 先日別れた旧友を、呼ぶ。

 『彼』はこの城に現れる際、いつも誰かの体を借りていた。故にそれが鳥の体であっても、不思議では無い。

 問題は、もう来ないとまで宣言していた『彼』が、鳥の体を借りてまでここへ駆けつけた、という事。

 目の前の鷹は翼を広げ、ケッケッと甲高く鳴き声を発する。人の言葉は話せない様だが、『彼』が言いたい言葉を、王は理解する。


 何故なら、足元がざわめいているのだ。

 『彼』が来た直後から、動かなくなってしまった右足を通じて、地面の下が、地下が、ざわめていている。


「……すまない、友よ」

 ゼーレ王は全てを悟る。

 全てを、悟ってしまった。

「危険を顧みずに知らせに来てくれて、ありがとう……けれど、すまない。駄目なのだ、もう、私たちは」

 パキリ、と王の足元で音が鳴る。

 右足の病状が、急激に進行している。

 もはや奇病に擬態する必要もなくなったと言わんばかりに、パキ、パキ、と、ソレは右足を伝って昇ってくる。

 王は持っていた杖を振り上げ、鷹を払い除けるように振り回した。驚いた鷹が飛び上がるが、王の傍を離れようとはしない。

 そんな『彼』へ。

 王は懇願する。

「行ってくれ、友よ。私たちを置いていけ。この国はもう終わる。ああ……友よ、頼む。せめて、このようなことが二度と起こらないよう、この国を――」

 まるで王の言葉を遮るように、鷹が鋭く鳴くが、王は構わずに言い放った。


「この国を、燃やしてくれ」


 鷹は押し黙った。

 少し離れたところに着地し、じっと王を見つめる。そして、まるで人の様に、小さく首を振った。

 今の体が鷹ではなく人であれば、きっと、『彼』は失望の言葉を告げていたことだろう。怒鳴りつけてきたかもしれない。もしくは、泣いていたかもしれない。

 鷹は大きく翼を広げ、その場から飛び立った。空高く舞い上がり、上空で弧を描き、飛んでいく。

 その姿が見えなくなるまで見送った王は、長く、息を吐く。

「……あぁ……そうだ……」

 呆然としそうだった思考を、無理やり働かせる。

「アリーヤ……せめて、あの子を……」

 杖をつき、右足を引き摺り、左足だけで城の中へと戻る為に進む。


 空はすでに、赤く染まり始めていた。


 ×××


 その頃、ゼーレ国から遠く離れている牢獄の中でも異変が起きていた。

 唐突に少年が胸を抑えて苦しみだしたのだ。呼吸するのが苦しいようで、ヒュゥ、ヒュゥと明らかに異常がある呼吸音をさせている。

 すぐさまオイレは少年をベッドへ寝かせ、体を診る。少年の胸から喉元にかけてエテルニアが結晶となって貼りつき、圧迫している。先程までは苦しがる様子がなかったところを考えると、この結晶は今しがたできたばかりであり、しかも突然急速に少年の体を侵食し始めたようだ。

「何が起こっている……ハカセよ……」

 少しでも少年を落ち着かせるために背を撫でてやりながら、オイレは小窓を見上げる。


 『彼』の意識を切り離した結晶を掴んだ鳥が、ゼーレ国の方向へと飛んでいくのを、少年とオイレは共に確認している。

 あの鳥の翼でゼーレ国まで、どれだけの時間がかかるものなのだろうか。未だ『彼』が戻ってくる気配はなく、今の少年の症状が『彼』の意識がなくなった影響によるものなのか、それともゼーレ国へ向かった『彼』の身に何かがあったからなのか、判断がつかない。


 空はもう赤く染まり始めている。少年とオイレの悪あがきもここまでだとばかりに、牢獄へと近付く足音が響いてくる。

 無情にも開かれた鉄扉の向こうには、二人を見下しているオールドーが立っていた。

「時間だ。来い」

 オールドーの声が冷たく牢獄内に響く。

 そっとオイレが少年の前に立つが、年老いている自身がこの男に敵うわけがないことは理解している。よろよろと起き上がろうとする少年の体を支えてやりながら、オイレは声を抑えてオールドーへと言う。

「この子の症状が悪化している。自力で歩くことも困難な状態だ。無理をさせれば命にかかわるかもしれない」

「関係ない。元より使い捨てる予定だった奴隷だ。どうなろうとも構わない」

「ならば、儂も一緒に連れて行け。医者として、この子を医療知識のない者に任せることはできない」

 オールドーは暫し口を閉ざした。が、すぐに答える。

「いいだろう」

 僅かに眉を顰めながらも許可をする男の言葉をしっかりと聞いてから、オイレは少年に腕を回し、肩を貸すようにしてゆっくりと立ち上がらせた。

 少年はぐったりとしながらも、荒い呼吸の合間に小さく声を発する。

「……オイレ、さ……来たら、だめ……」

「子供のお前さんだけが背負うことはない。儂の我が儘じゃ、お前さんに付き合わせておくれ」

 この状況下であってもこちらの心配をしてくれる優しい子に、オイレは肩を貸してやることしかできない。それがなんとも、心苦しく。己の不甲斐なさに腹が立つ。

 少年の体を支えて足を動かしながら、オイレは前を行く男の背を見る。


 この男は気付いているのだろうか。オイレの胸の内に宿っている憎しみに。

 否、気付くどころか、興味すら無いのだろう。昔、幼い子供を奴隷市から引き取って養子としたルベル家の夫妻、その母方の祖父にあたる老人のことなど。


(子を引き取ってすぐ、娘は病に罹り、亡くなった。見たこともない症例だった……儂は医者であったのに、何もできず、見ていることしかできなかった)

 自身の娘を救うことができなかったオイレは医者を辞め、グローリアを去ってゼーレへと渡った。

 そして、『彼』と出会った。いや、おそらく、娘を助けられなかった後悔が『彼』へと引き寄せたのだろう。

 『彼』を知り得たことによって、娘の病がゼーレに蔓延っていた奇病であったと、その時初めて知った。ゼーレ国内でしか起こりえない奇病が、グローリア人である娘になぜ発症したのか。考えれば考えるほど、あの時娘が引き取った養子が原因であるとしか思えなくなっていった。

 そして、今。

 成長した養子とこんな形で再会し、胸に秘めて墓へ持って行くと決めていた憎しみを、今こうして思い起こすことになるなんて。一体誰が予測できただろうか。

「オイレさん……待って……」

 大きな扉の前まで来た時、ふいに少年が力を振り絞るように足に力を入れ、オイレから離れる。

 なんとか一人で立つものの、今にも倒れそうな少年へ手を伸ばしたが、オイレの手を、しかし少年はそっと押し返した。

「オイレさんは……来ちゃ、ダメだ」

「何を言っておる、儂は」

「来ちゃ、だめ」


 その時、少年の目が、オイレを射貫いた。

 頭の奥が一瞬ぐらりと揺れたような感覚と共に、オイレの足が床に縫い止められたかのように動かなくなる。

 これは、まさか。


「お前さん、目を」

「オイレさんまで、巻き込みたく、ない……っ」

 少年が、自身の意志で初めて使用した、目の力だった。

 オイレが手を伸ばす。

 が、少年はその手から逃れ、オールドーに引き摺られるようにして扉の奥へと消えていく。

「待て、待っておくれ、儂は……儂は、また何もできないのか……」

 一人、残されたオイレの声が、虚しく響いた。


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