4.襲撃
燃えているのは集落の門と塀だった。
幸い、まだ家屋には燃え移っていない。しかし集落を囲っている塀がこのまま燃え続ければ、いずれは集落の全てに火が回ってしまうことは容易に想像できた。
が、この火を消そうとする住民の姿は見えない。
(ハカセ、あそこ)
森の木々に身を隠して様子を窺っていれば、頭の中で少年の声がする。
『彼』も気付いていた。壊され燃えている門の近くに、黒色の馬車が数台、包囲するように立ち塞がっているのを。
(……あの馬車、見たことがある……)
「奇遇だな。『俺』もお前の記憶巡りした時に見たことがある」
少年の記憶の中にもあった、黒色の馬車――少年が奴隷市で見かけた、グローリア国から来た貴族が乗っていた馬車に間違いがなかった。
今この体を少年に返していれば、少年の顔色は真っ青になっていたことだろう。グローリアの貴族が用も無くこんな辺境へ来ることなど有り得ない。何かしらの目的があり、その結果が集落の門の破壊と火事なのだとしたら。その目的とは、奴隷だった少年の捕縛だと真っ先に考えられるからだ。
しかし『彼』は、別の意味で血の気が引く思いを味わっていた。
「お前だけのせいじゃねぇよ……おそらく、『俺』も、呼び寄せたんだ」
そうだ。少年の記憶を巡った際に見たあの貴族は、かすかにエテルニアの気配を感じていたではないか。
『彼』は少年の首に下げている己自身を握りしめる。エテルニア同士が引かれ合う性質を、なぜ今まで失念していたのか。
「……とにかく、集落の皆が心配だ。裏の抜け道に向かうぞ」
小声で少年へと言い、『彼』はそろりと動き出す。
集落には様々な事態を想定し、住民にしかわからないようにいくつか抜け道を用意していた。その内の一つへと隠れながら進んでいけば、抜け道付近で数人の人影が同じように隠れているのを見つける。
「あ、ハカセっ!」
真っ先にこちらに気付いたのはレーヴェだった。
他にも見知った顔がいくつかいる。頭の中の少年と『彼』が同時に胸をなで下ろした。レーヴェの手招きに応じて小走りで駆け寄り、住民たちの顔を見渡す。
「レーヴェ、皆も、無事か」
『彼』が問いかければ、彼らは声を殺しながらも頷く。
しかし、集落の住民全員がいるわけではなかった。おろおろと泣きそうな目でレーヴェが訴える。
「オイレおじいちゃんが……! ボク、おじいちゃんを連れて来れなかった、ボクが傍にいたのに……っ!」
聞けば、貴族たちは唐突に大勢で集落へと押し掛けたと思えば、いきなり門を壊して火をつけたらしい。集落内が混乱した隙に住民の数人が貴族たちに捕らえられてしまい、辛うじて逃げ出せたのはここにいる者たちだけなのだという。
『彼』は少年の顔で眉を顰める。あまりに手際が良すぎる制圧であるように思えたのだ。手慣れている、とも。
嫌な可能性が、一つだけあった。すぐに『彼』は顔を上げ、その場にいる者たちへと指示を飛ばす。
「ここじゃ見つかるかもしれない。お前達だけでも先に、前に皆で決めていた避難場所へ移動しろ。火事のことは気にするな。最悪、集落が燃えようが生きてりゃどうにでもなる。まずは自分達の身の安全を優先。いいな?」
促せば、彼らは強ばった表情をしながらも頷いた。
しかしレーヴェだけが『彼』に縋り付く。
「ハカセ、ハカセは? どうするの?」
「『俺』は集落の中に入る。捕まった奴らをそのままにできないし、それに……おそらく、あいつらの目的は、エテルニアだ」
少年の記憶で見た男が予測通りにエテルニアを所持しているのだとすれば、奴の目的は少年の捕縛だけではない。より多くのエテルニアの回収が真の目的なのだろう。でなければこんな辺境にまで来る理由がない。故に、一部屋分を埋め尽くしたままになっている少年の記憶から生成されたあのエテルニアを、そのままにしておくわけにはいかない。
『彼』は不安げに見上げてくるレーヴェの頭を撫でてやりながら、言い聞かすように目を合わす。
「爺さんのことは『俺』がなんとかする。レーヴェは皆について行け。大丈夫だから、な?」
「……う、ん」
「よし。お前達、レーヴェを頼むぞ。門前にある馬車が全部なくなるまで、絶対に集落には戻ってくるな」
ほんの少しぼんやりとするレーヴェの背を押して住民達へと預け、『彼』は別の抜け道へと向かうためにその場を離れる。
途中、そっと目に手をやり、頭の中の少年へと声をかけた。
「……わりぃな。また目を使って」
(う、ううん。レーヴェ、ついてきたら危なそうだし……)
「ついでにお前の体、もう暫く借りるぞ。あの部屋のエテルニアを壊すにしても、多少はお前に記憶を戻してやらねぇと」
怯えた様子ながらも、頭の中で少年は頷いた。
×××
もう一つの抜け道は家の中へと直通している。
少年の療養で使っていた家だ。ここは元々、住民達の集会所として使用していた為、万が一の為にすぐ集落の外へと行けるように抜け道を繋げていたのだった。
集会所の中はまだ荒らされていない。そっと窓から外を窺えば、集落の中央に捕らえられた住民が集められているのが見えた。その中には、老人の姿も。
「爺さんもあそこか……」
どうやら逃げ遅れた住民はオイレ老人を含めて五人のようだ。そして、彼らの周りには見張りらしき男達が三人。更に数人が他の家屋の捜索をしている。この集会所へ押し入られるのも時間の問題だろう。
門前で見た時よりも火事の範囲が広がっているのを視界に留めつつ、『彼』は集会所内を進む。階段を上がり、問題の部屋へと辿り着く。
部屋の中は仄かに青い光で満ちていた。外に光が漏れないように窓を厳重に封鎖していて助かった。この処置をしていなければ、今頃はもっと酷い状態になっていただろう。
『彼』は大きく息を吸い、壁を覆う青い結晶へ、少年の利き腕ではない左手で触れる。
「……辛いかもしれねぇが、なんとか堪えてくれよ」
一言告げ、部屋を埋め尽くすエテルニアに意識を向ける。
少年の切り離したいほどの記憶、そして黒く染められるような激情。それらを巡り、回収し、取り戻す。
その間、僅か一秒。バンッと音を立てて、部屋を埋めていた全てのエテルニアは砕けた。青い結晶は効力のないただの砂となり、床へと崩れ落ちていく。
「う、ぐ……っ」
『彼』は左腕を押さえ、その場に蹲る。
少年の記憶と感情を回収することはできたものの、その反動は少年の体に大きく負担をかける。少年が拒絶した記憶なのだ。すぐに受け入れて体に馴染むわけでもなく、少年の左腕にはエテルニア結晶が青い鱗のように発生し貼りつき、覆い尽くしていた。
それと同時に、頭の中でも少年が呻く。
(頭……いたい……)
「っ、無理するな、本来だったら数年かけないといけない量だったんだ、何も考えなくて良い、今は意識を飛ばしてろ!」
そうは言うものの、頭痛は『彼』も共有して感じていた。全部ではなくいくつかはそのまま切り捨てたというのに、十二年分もの負の記憶が、思考を掻き回していっている。
『彼』は瞼を閉じて視覚情報を遮断し、痛みをやり過ごしながらもどうするべきかを必死に考える。この頭痛を無視して無理やりに体を動かすことは、体を借りているだけの『彼』には可能だ。しかし、少年にかかる負担を考えれば――
(いい、から……オイレさんたちを……)
「けど、お前が」
(いいから……っ)
頭の中の少年が焦っている。
この焦りは、恐怖から来るものだ。
あの男の前に引き出されるのを、少年はなによりも恐れている。
少年に急かされ、目を開けた『彼』はなんとか立ち上がる。なるべく体に負担をかけないよう、そろりと扉を押して部屋を出たところで、『彼』は思わず乾いた声を上げた。
「ハッ……なるほど、確かに……こいつはヤバイな」
無意識に声が震えてしまっていた。
部屋の外、階段の下に、待ち構えていたように見覚えのある貴族の男が立っていたからだ。
集落を襲撃した主犯格であり、少年の記憶の中にいた、あの男――
オールドー・ルベルが、そこに。
「……これはこれは。私はただ商品を受け取りに来ただけだったのだが、良い拾い物ができそうだ」
オールドーは階上の少年を見上げるだけで、その中にいる『彼』を見抜いていた。
日が落ち始めて仄暗い家屋の中、窓の外で勢いよく燃えている炎の赤い揺らめきが、男の不気味さをより鮮明に映し出す。男の紫色の瞳に暗く青色が重なって見えるのは、見間違いではない。それは間違いなく、エテルニアに侵されている者の目だった。
逃げなければいけない。しかし逃げ場はない。窓から飛び降りるにも、今の少年の体でどこまで堪えられるのか。
その迷いが、判断を鈍らせた。
「捕らえろ」
オールドーの冷たい声と共に、外にいたはずの男たちが一斉に集会所へ雪崩れ込んだ。
咄嗟にまだ動く右手で首から提げている己自身を掴んだが、目前の危機には間に合わない。加減もなく男たちに押し倒され、手足を拘束され、少年の首に下げている紐を引きちぎられてしまう。
(しまっ――)
少年の体から引きはがされ、強制的に意識の外へとはじき出される。
一瞬だけ少年が男たちに逆らい、『彼』へと手を伸ばすが、あえなく押さえつけられて殴られるのを見た。子供である少年にすら何の躊躇も無く暴力を奮う男たちに、『彼』は文字通り手も足も出せずにただ男たちの手に渡りもみくちゃにされる。
(このままじゃ、こいつだけじゃなく、集落の皆が……っ! 誰でもいい、意識を乗っ取って――)
しかし、そこでも『彼』は迷った。
相手の許可を得ずに体と意識を乗っ取ることに、抵抗を覚えた。
それは、この地へ、たった一つ落とされてから築いてきた、『彼』自身の倫理観が許すことではなかった。
ここで相手の許可なく体と意識を乗っ取ってしまう行為は、あの国の地下に巣くう同胞たちと同等に成り下がってしまうではないか、と。
――結果的に、この時の迷いは、最後まで『彼』を後悔させることになる。
誰かの体を借りることもできない石である『彼』は乱暴に振り回され、何も出来ないままに、気が付けば集落の中央へと持ち出されていた。
捕まった集落の住民たちが集められている場所である。拘束されて身動きがとれないオイレ達の前に、ボロボロになってしまった少年が捨てられるように投げ込まれる。
それを俯瞰で見て、ようやく『彼』は今、自身が誰の手の内にいるのかを把握する。
(よりにもよって、貴族野郎の手か)
体があれば思わず舌打ちをしていた。オールドーは『彼』自身を持ち上げ、少年と住民たちへ見せつけるように掲げてみせる。
「ほう、これは面白い。エテルニアを増殖させているのか」
オールドーが見下す先には、左腕をエテルニアに覆われたままの少年が転がっている。もうすでに体中が打撲痕だらけになってしまっている少年を、オールドーは髪を掴んで無理やりに上を向かせた。
「先程とは目つきが違うな。フ、ハハ、なるほど、お前が持っていたこのエテルニアは特別か。持つだけでも、これだけが他のエテルニアとは違うと、私にもわかる」
『彼』が自力で見える範囲では男の顔を確かめられないが、醜悪な笑みを浮かべていることだけはわかる。
対して見下ろせる位置にいる少年は、力加減が一切ない暴力を受けた上に、以前に奴隷市で恐怖を植え付けられた相手を目の前にしている状態だ。痛みで心身ともに怯えきり、体の震えが止まらない様子でいる。
更に事態は酷い。少年の強すぎる恐怖はすぐさまエテルニアへと変換され、左腕から首へと青い結晶の鱗が増えていく様を、オールドーへ見せつけてしまっている。それは、エテルニアを作るための必要な過程を男に知られてしまう結果になり。
それによってもたらされた男の結論は、『彼』ですら言葉を失わせた。
「そうか、わかった。こう使えばいいのか」
ふいに『彼』の視界が揺れ、自身を囲うように編み込まれていた糸がブチブチと引きちぎられる。
そうして直接取り出されてオールドーの手のひらに落とされた『彼』を、男は少年へと突き出した。
「呑み込め」
少年が耳を疑うように男を見上げる。
『彼』にもようやく見えたオールドーの表情は、やはり醜悪で最悪な笑顔だった。
「お前はエテルニアを身につければそれを増殖させられるのだろう。ならば元から一つにすればいいだけのこと……喜ぶがいい。貴様はただの使い捨てではなく、有効活用される奴隷になれるのだから」
男の発言は常軌を逸していたが、その目は本気だった。
当然、少年は震えながらも首を横に振る。しかし少年を恐怖で支配する男が許すはずもない。少年の奮い起こした僅かな反抗すら、根元からへし折るかのごとく、オールドーは嘲笑う。
「抵抗する気持ちはわかってやろう。しかし、お前がそうするのであれば、他の者にやってもらうまでだ」
オールドーの言葉の直後、集落の中央にさらに集落の住民たちが投げ込まれる。集落の外にまで逃げ出せていた者まで捕まってしまったらしい、その中には。
(レーヴェ?! くそ、逃げ切れなかったのか!)
大人達に混じってまだ十歳のレーヴェまで、乱雑に放り込まれた。
ここに来るまでの間に痛めつけられてしまったらしい、頬には大人の力で殴られた青痣ができている。レーヴェにとっては人生初めての、あってはならない大人による暴力だ。経験も耐性もあるはずがなく体を丸めてガタガタと震えるその姿は、『彼』にはもちろんだが、その恐怖を身をもって知り尽くしてしまっている少年にも耐え難い光景であった。
「っ……ゃ、やめ、て……っ」
少年が声を発する。
それは消え入りそうに小さく震えていたが、男の耳には届いたようだ。
男の口角が醜く吊り上がる。
「声を出すなという命令は、まぁ今は許してやろう。それで? お前は何をする。この状況でお前は何を選び、どのように私の役に立つというのか」
理不尽な質問をするオールドーに。
少年は、自己を犠牲にする。
「やる、から……ここの人たちには、手を出さないで、ほしい」
震える声で嘆願した。
見下す男は、満足げに嘲笑する。
(っ……ここまで、か)
『彼』には何もできない。
ただ自我があるだけの石ころである、『彼』には。
見るのを、やめる。
『彼』はそこで一度、意識を閉じた。
×××
……最初に人の体を借りたのは、いつのことだったか。
よくは覚えていない。その頃の『自分』は、自我が形成され始めたばかりだった為、記憶が曖昧になっている。
まだ、エテルニアである意識の方が強く、人をモノとしか見れなかった、あの頃。強く覚えている言葉がある。
――お前は人を、何だと思っているのか。
――もしかしてお前も、人に、なりたいのか。
そんなことはない。
そんなはずは、ない。
人なんて、あんな欲の塊。『自分』が面倒を見てやらないと、あっという間に同胞たちに根絶やしにされる存在だというのに。
それなのに、いざ『自分』が、同胞たちと同じような方法で、人に危害を加えようとした時。思わず動揺してしまった。
同情してしまった。
……本当に、どうしてしまったのか、『俺』は。
「……おぉ、目が覚めたか」
声がした方向へ目を動かせば、オイレの姿が見えた。
薄暗い部屋の中にいるようだった。目を懲らしつつ、体を起こす。
「じいさん、無事か」
「っ、ハカセ、かい? ハカセなのだな、うむ、ひとまずは、良かったと言うべきか……」
オイレ老人は安堵しながらも、困惑したような曖昧な表情をする。
それもそうだろう、と思う。『彼』は現状把握の為に辺りを見渡す。
薄暗いこの部屋にあるのは簡素なベッドが二つだけで、窓には鉄格子が嵌まっており、重そうな鉄の扉が出口を塞いでいる。絵に描いたようなわかりやすい牢獄だ。
次に『彼』は体を見下ろす。散々男たちに暴行を受けていた少年の体は、血も流していたはずだったが傷は塞がり、骨も折れている様子はない。というのも、少年の手足には青い結晶、つまりエテルニアがあちこちに貼りつき、傷を癒やしているようだった。
(この症状は『俺』としても初めてだな……いや、これは『俺』単独の症状か? 体に適応する為に、体の自由を奪うよりも体を癒やす方向へと作用するようになった、ってことか)
そう冷静に『自身』を観察しながらも、思わず感情が少年の体を借りて顔に出る。きっと今、『自分』は少年の顔で酷く嫌悪したような顔をしていることだろう。
溜め息を吐く『彼』に、オイレが問いかける。
「その体の子は大丈夫なのかい?」
「あぁ、ひとまずは大丈夫だ。今は眠っている……というか、暫くは眠らせておいた方がいい。だいぶ怯えていたし、今目覚めたらそれが全部エテルニアになっちまう。またあの部屋みたいになったら大変だしな」
「そうか、そうか……それならば、良いのだが……」
今度こそオイレは胸をなで下ろした。
『彼』は再度辺りを見渡し、鉄格子が嵌まっている窓を見上げて空の暗さを確かめる。
空はすでに日が落ちきり、白い月が昇り始めている。
「じいさん、あれから何があった。『俺』は途中から記憶が途切れているんだ。教えてくれ」
――あの後。
オールドーの手によって無理やりに『彼』を呑み込まされた少年は、胸と喉を押さえて苦しみ、そして気を失った。
オールドーはその様子を満足そうに眺めた後、従者の男たちへと少年を回収するように指示を出す。そして集落の者たちを眺め回し、蹲って震えているレーヴェへと目をつけた。
「そこの子供はつれていく。それも回収しろ」
レーヴェの肩が大きく跳ねる。上手く声が出ないのか、恐怖で引き攣った顔で必死に首を横に振る。
咄嗟にオイレは口を開いた。
「待たれよ。連れて行くのはこの老いぼれにして頂きたい」
え、とレーヴェが声を漏らしたのと同時に、オールドーがじとりと目を向ける。
鋭く射貫くような目だったが、オイレはそれを年の功で受け流した。
「お主が欲しいのは人質であろう。その少年を脅して言うことを聞かすための人質が。その子は優しい子だ、この老いぼれであっても効果は充分すぎるほどにある。それに、儂は元は医者だ。お前さんは確信があって、あの石を少年に呑み込ませたのだろうが、それでも体に何が起きるかわかったものではない。医者の知識は必要だと思うが?」
オイレの説得に対し、オールドーは口を開く。
が、それを遮るようにオイレは言葉を続けた。
「儂は知っておるよ、お主が利口であることを。のう、ルベル家の跡取りよ……そう、確か名はオールドー、だったかの」
オールドーは口を閉じる。
少年の記憶を巡っていた『彼』はその名を知っていたが、オールドー自身はこの集落では自身のことを名乗ってはいない。
それを言い当てた老人に、オールドーは逡巡の後、改めて口を開いた。
「……口の回る老人だな」
それだけを呟き、オールドーは従者たちへと指示を出す。
オイレの拘束を解き、無理やりに立たせる。レーヴェが縋るように手を伸ばしたが、オイレはその小さな手をそっと押し返した。
「おじいちゃん……ボク、ボクは……」
「大丈夫じゃよ、レーヴェ。心配するでない。皆と集落のことを頼んだぞ」
そうして、少年とオイレ老人は男たちが乗っていた馬車に放り込まれ、連れ去られてしまったという訳だった。
馬車には窓がなかった為、どこをどうのように走ってきたのかはわからない。が、かなりの悪路を走ってきたようだ。おかげで体があちこち痛く、この牢獄に放り込まれて逆に安心したところだ、と老人は苦笑する。
『彼』は頭を抑えた。
「爺さん……あんたって奴は……」
「まあまあ、そう気にしなくて良い。ルベルの者とは一度、きちんと話をしてみたくもあったしのぅ」
「あんたが『俺』に引き寄せられることになった一番の要因じゃねぇか、ルベル家。だから爺さんにはあいつの名を言わなかったのに」
「しかし、レーヴェが連れてこられるよりはマシじゃろうて。儂で良かったのだよ、なぁ、ハカセ」
「……」
『彼』は呆れと罪悪感で、息を吐く。
今のオイレに反論したところで、結果はすでに起こってしまった後だ。言いたい言葉を全て呑み込み、『彼』は小さく声を出す。
「レーヴェのこと、ありがとうな」
「なに、当然のことよ。さてハカセよ、聞かせておくれ。あの男を見て、何を感じたのか」
オイレは冷静に、少年の顔をした『彼』を見つめる。老人も感じていたのだろう。オールドーの違和感に。
『彼』は男の目を思い出す。紫色の瞳に混じって見えた、青い光。
オールドー・ルベルは、エテルニアの影響を受けている。それも、ゼーレの国民とは比にならないほどに、強く。それによってエテルニアのことを熟知し、どう扱えばいいのかを把握し、それを実行できている。
嫌な予感はしていた。それがどうやら、当たってしまっていたようだった。
「オールドーはエテルニアに意識を乗っ取られている。本人は気付いていないだろうが……だとしたら、次の行動は、おそらくエテルニアを使用した武器の製造だ」
「武器を? 一体何をするつもりなのだ、あの男は」
「決まってるだろ」
『彼』は少年の顔で、酷く嫌そうに言い捨てた。
「『俺たち』の餌は、人が抱える負の感情だ。だからそれを回収するために……虐殺するんだろうよ。おそらく、ゼーレ国を」
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