3.ゼーレの王
集落を出て南の方へ行けば、小さな岬がある。そこは集落の住民が漁をする場所でもある為、砂浜部分には小舟が人目につかないように隠されて置かれている。
早朝、まだ日も昇り始めていない暗闇の中で、宣言通りに少年の体を借りた『彼』は、単身でこの舟に乗り込んだ。
さすがに片目では危ない為、今だけ少年の両目は開かれている。代わりに襤褸布を頭から被り、顔を隠すことで目の力を押さえることにした。
その布をほんの少し押し上げ、『彼』は少年の目を通して海の向こうに浮かぶように見える、ゼーレ国を眺める。
「日の出前には地下へ潜り込めそうだな。風も進行方向に吹いているし、すぐに着けそうだ」
『彼』の独り言に答える声はなかった。やれやれと『彼』は息を吐く。
「少しは反応しろよ。何かを考えることも治療の一環だぞ」
(……えっと……)
少年は頭の中でも無口だった。思考力が戻ってまだ間もない為、仕方なくはあるが。
舟はゆっくりと進み、想定通り数刻も経たず対岸へと着いた。ゴロゴロとした岩で出来ている磯場に、舟が流されないようにロープで岩に括り付けた上で隠し、磯をよじ登る。
そうして見えてきたのは、ゼーレ国の周りをぐるりと囲っている天然の城壁の、その側面にできた切り目のような洞穴の入り口だった。
「っ、はぁっ……やっぱり、レーヴェだとここを登るのは無理そうだな……お前の体でなんとかってところだし」
洞穴の入り口で立ち止まって息を整え、登ってきた道を振り返る。潮が引いている時間帯であることもあり、改めて見下ろした磯場はかなり急斜面になっている。
(レーヴェだと、身長が足りない……?)
「そういうこった。レーヴェにはもう少し肉を食わせて力をつけさせないと駄目だな……さて、行くか。あぁけど、その前に」
『彼』は頭の中の少年へと声をかける。
「ここから先はお前には毒だから、ここを抜けるまでは寝てろよ」
洞穴に入れば、途端に視界は暗闇に包まれた。
壁面に手をつき、奥へと足を進める。目が暗闇に慣れてきた頃、奥側から青い光が零れてきているのが見て取れた。その光は徐々に強くなり、唐突に視界が開けたと思えば、そこは青い鉱石が全てを覆い尽くしている真っ青な空間だった。
壁面も地面も天井も、すべてが青く仄かに光る石で埋め尽くされている。それらの光はゆらゆらと不規則に揺れ、まるで意志があるように、空間へと足を踏み入れた『彼』へと集まりだした。
そして『彼』の――否、『彼』が借りている少年の体の、その足元に群がるように輝き出す。
『彼』は少年の顔で眉間に皺を寄せ、光を睨んだ。
「散れ。こいつは『お前ら』の餌じゃねぇよ。『俺』の得物だ。手出しすんな」
途端、『彼』の足元からサーッと光が散っていく。
『彼』の周りだけが暗くなり、一歩踏み出す度に光が避けていく。しかし少し進めば、散っていた光は名残惜しむように後ろをついてきた。パキリ、パキリと、『彼』を追うように背後から音が響く。
「おいこら、つまみ食いすんな」
少し戻って、今しがた出来たばかりの青い結晶を踏みつぶして砕く。再び光が逃げるように散っていき、その間に『彼』は駆け足で空間を横切り、突き当たりに現れた階段を駆け上る。
階段の先には、重たい鉄の扉があった。耳を宛て、扉の向こうの気配を探り、ゆっくりと押し開ける。扉は抵抗なく、小さく軋む音だけをたてて素直に開かれた。『彼』は素早く外へと身を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉める。
そうして大きく息を吐いた。目を瞑り、小声で頭の中へと呼びかける。
「おい、大丈夫か」
(……少し、頭が痛い……)
「だから寝てろと言っただろうが……あぁ、もしかして寝る方法がわからなかったのか? 集落の奴ら曰く、ちょっとコツがいるらしいから」
(うん……あの、あそこは、何?)
「ん、あー……」
少年の問いかけに、『彼』はちらりと背後を見る。
今しがた閉めた扉の、その向こうに広がっている、青色の空間。この国の真下に広がる、エテルニアの大群――
「『俺』を捨てた、『俺』の同類たちの住処だよ……まぁいいや、帰りは問答無用で駆け抜けるか。お前の記憶をつまみ食いできないぐらいの勢いでな」
『彼』は早々に話を切り上げた。そうして改めて辺りを見渡す。
薄暗い小部屋だった。扉の周りは埃が積もり、長らく人の出入りが無かったのが窺える。 小窓も無い部屋だが、それでも目が効くほどには仄かに明るい。それは小部屋の出入り口にあたる壁面が生け垣で出来ており、葉と葉の隙間から日の光が辛うじて入り込んでいるからだ。その生け垣の下には人一人分の隙間があり、そこを這って潜り抜ければ、目の前にあるのは植物が生い茂っている庭であった。
手入れが隅々まで行き届いているのが見て取れる立派な庭園であり、中央には円形の花壇と、その周りをぐるりとベンチが囲んでいる。振り返れば今しがた這い出た生け垣は緑の葉が密集しており、うまく小部屋の入り口を隠していた。
(ここは……?)
頭の中で少年が尋ねる。『彼』はすぐ傍の木陰に身を潜めつつ、短く答えた。
「城の中庭だよ」
(……ここが、もう、城の中?)
「そういうことだ……誰もいないな。さては先回りされてたか」
辺りに人気がないことを確認し、木陰から離れて中庭に背を向け、すぐそこの回廊を行く。
日がようやく昇り始めた、まだ薄暗い時間帯。静まりかえった城内で、足音を忍ばせて歩く『彼』の目前に、その男は唐突に姿を見せた。
回廊の突き当たり。その身には不釣り合いである場所。
十二代目ゼーレ王、その人が、『彼』を待ち構えていた。
×××
「そっちからの出迎えは初めてだな、十二代目」
一国の王を前にしても気後れすることなく、『彼』は言う。
王は静かに佇んでいた。金色の髪を丁寧に結い、一目で質が良いとわかる金の刺繍が美しいコートを着こなしているゼーレ王は、しかし、回廊の薄暗さがそう見せるのか三十代の男性にしては老けて見える。よく見れば、顔色は良くない。青色の瞳には疲れが滲み出ている。
それでも、ゼーレ王は『彼』だと認識した途端、穏やかな笑みを見せた。
「……今朝は一段と足元が騒がしかったので、もしかしてと思ったのだ。それに、そろそろ貴方が来る頃かと、予測もしていた」
透き通るような、優しい声だった。まるで旧友に再会したかのような穏やかさで、王は杖をつきながら『彼』へと向き直る。
その動作だけで『彼』は理解した。眉をしかめ、王である男を睨み付ける。
「十二代目、あんた……その足は」
「残念ながら、貴方の想像通りだよ。王妃と同じ病だ。私の足は、時期に役に立たなくなるだろうね」
王は僅かに右足を引き摺っていた。
その症状がどういったものか、『彼』はよく理解している。王妃である女性が、今どういう状態なのかも、知っている。
思わず声を荒上げそうになり、咄嗟に口を閉じた。そんな『彼』に、今度はゼーレ王が問いかける。
「その子は初めて見るね。新しい子かい?」
子、というのは体を借りている少年のことだ。
『彼』は肩の力を抜くように大きく息を吐き出し、頭を振って思考を切り替える。
「あんたが作った、あの奴隷市の犠牲者だよ。本来ならグローリアの貴族に売られるはずだったんだが、何故だかこっちに来た」
今度は王が口を閉じる番だった。
目を見開き、息を呑み。
呑み込んだ息をゆっくりと吐き出したゼーレ王は、力なく笑う。
「はは……そうか……やはり、悪あがきは、どうやっても悪あがきにしかならない、か……」
その声には自嘲が含まれていた。肩を落とすゼーレ王は、更に老け込んでしまったかのように小さく見えてしまう。
ゼーレ王が自ら考案し作らせた奴隷市――それは、表だっては奴隷を売買する場に見せかけていたが、実際はゼーレ国の民を国外へと逃がす為の避難所であった。
ここ、ゼーレ国にはある病が流行っている。足の皮膚が徐々に固くなっていき、まるで石のようになっていく奇病だ。治療法は今現在ない状態であり、症状が進行すれば歩けなくなってしまう。
しかし、患者はそれを何故か悲観することなく受け入れてしまう。それが一番の問題だった。治療法がないのも患者達が黙秘する為であり、例え他者の説得があったとしても、そもそも治そうとする意志を見せることがない。それにより、この奇病は国外へ知られることもなく、ゼーレ国の中だけで密やかに患者を増やしている。
この奇病の危険性を知らせたのは、他ならぬ『彼』であり。
その『彼』の話を聞き入れ、孤軍奮闘し足掻いていたのが、十二代目ゼーレ王だった。
だがしかし、その王もこの奇病に罹ってしまったということは。
「……あんたでも、『俺たち』の毒には勝てないってことなのか」
奇病の原因は、城の真下にある空洞の中。
『彼』を切り捨てた同類、エテルニアにある。
人の感情を食べ、地下で確実に数を増やして力を得たあの同類たちが、餌である人を物理的にこの土地から逃がさない為にと作り上げた毒――それが、奇病の正体である。
動揺して手のひらを握りしめる『彼』の言葉に、王は寂しげに微笑んだ。
そして小さく、「すまない」と、王は口にする。
今度は我慢することが出来なかった。『彼』は思わず声を荒上げる。
「だったら、あんたが率先して逃げろ! 嫁と娘を連れてこんな国から逃げちまえ! あんたが逃げれば、他の奴らだって目が覚めるだろうが!」
しかし、ゼーレ王は黙って首を横に振る。
「大声を出してはいけないよ。誰かが来てしまう」
諭され、『彼』はぐっと口を閉ざす。
途端に回廊は静けさを取り戻す。薄暗い回廊は明るくなった朝日に、落とす影が濃くなり始めていた。
誰も此処へ近付く足音はしない。王は口を開いた。
「……王妃は、症状が重い。もう歩くこともままならない。そして私も、この病に侵されてから、ようやく思い知った。貴方がいう毒は……エテルニアの毒は、貴方が思う以上に、猛毒だ。もはや王である私の声であっても、エテルニアの毒に蝕まれてしまった国民には届くまい……あと私に出来ることと言えば、エテルニアが国外へ持ち出されないよう、この国そのものを壊してしまうしか、もう手がない」
視線を落とした王は、しかし、すぐに顔を上げた。
ほんの少しの希望を、青い瞳に浮かべて。
「私に何かあれば、貴方には姫のことを頼みたい。あの子は……アリーヤは、エテルニアの毒に対抗できるだろう。あの子には、名という加護を与えているからね」
王が抱く小さな希望を、『彼』は黙って受け止める。
もうこれ以上の会話は無駄だった。
これ以上の交渉は、打つ手を出し切り絶望してしまっている王には、期待することすら悲惨すぎる。
『彼』は少年の目を伏せ、両目を隠すように頭に被っている布を引き下げる。
「……『俺』はもう、ここには来ない方がよさそうだな。十二代目」
王は無言で肯定した。
それを見届け、『彼』は王へ背を向ける。
すっかり日が昇って影が濃く暗い回廊を、少年の姿をした『彼』は去って行く。
その後ろ姿を、王は見えなくなるまで見送った。回廊の向こう、襤褸布を纏った姿が日の光へと紛れて消え、王はゆっくりと息を吐く。去ってしまった旧友の影を名残惜しむように首を振り、回廊の更に奥側へと足を引き摺りながら進む。
と、ふいに顔を上げた。前方から足音が聞こえてきたからだ。
「陛下、こちらにおいででしたか」
声を掛けてきたのは、屈強な体躯をした騎士だった。精悍な顔つきをしているこの騎士は、王の元へと駆け寄るときっちりとした一礼をする。
よく見知った顔の騎士だ。ゼーレ王は肩の力を抜き、口元を緩める。
「やぁ、レントゥス。君に見つかってしまったか」
「陛下、姫様が心配してお探ししておられました。部屋にお戻り下さい」
「わかった。君に見つかったことだし、ここは素直に戻るとしよう……しかし君には苦労をかけるな。お転婆な姫のことだ、一緒に私を探しているうちに、今度はあの子を見失ってしまっているのだろう?」
「へ、陛下……」
まったくその通りだったようだ。肩を落とす騎士に、王は笑い声を上げる。
「はは、良い、良い。私は部屋へ戻らせてもらうよ。あの子を見つけたら、そう伝えておくれ」
「は、畏まりました……あの、陛下。お聞きしたいことがあるのですが」
「許そう。何かな?」
「何故、私を、姫様の護衛に据えたのですか? 私はこの国の出身者でもなく、大きな実績があるわけでもないというのに……」
純粋な、心からの疑問だったのだろう。
この騎士――レオウ・レントゥスを姫の護衛にと使命したのは、王本人である。王は目を伏せ、床についている杖の先、その下へと、意識を向ける。
「レントゥス。君には、足元からの声が聞こえるかね?」
「は……足元……ですか?」
「いや、良い。それで良いのだ。だから私は君を選んだのだ」
ゼーレ王はどこか嬉しそうに笑いながら、部屋へと向かって歩き出す。
その場に残された、まだ毒に侵されていない異国から来た騎士は、王の言葉の意味を知るわけもなく、ただ首を傾げるしかできなかった。
×××
明るくなった中庭は見通しが良く、城に招かれていない侵入者である『彼』が堂々と歩くには、さすがに無理があった。
最初に隠れた木陰に身を潜め、『彼』は少年の顔で溜め息を吐く。来た道を戻らなければいけない憂鬱さに加え、先程までの王との会話が、尾を引いてしまっている。
(えっと……ハカセ?)
「あん? ……ってか、お前まで『俺』をハカセだとか呼ぶようになったか」
(違うの?)
「集落の奴らが勝手に呼んでる『俺』のあだ名だよ。まぁ、呼びたきゃ呼べ。別に困ってるわけじゃねぇしな」
(う、うん……その……さっきの、王様の話、おかしいところがあったような、気がして……)
おずおずと頭の中で問いかけてくる少年に、『彼』は少し難しい顔をする。
先程の会話でゼーレ王は、「エテルニアが国外に持ち出されないようにする」と言っていた。
しかし、実際にはすでに持ち出されているはずなのだ。その証拠に、少年の記憶の中にはエテルニアを所持している男が確認されている。
あの、少年を買い取る予定だったグローリア国の貴族だ。
「……十二代目の様子じゃあ、本当に把握できていないようだったな。あの王が、持ち出されるぐらいなら国を壊す、とまで言ってのけたんだ。こうなると後は『俺』の方で調べていくしかない……とりあえず今は、早く集落に戻って――」
と、『彼』は口を閉じた。身を隠している木陰から僅かに顔を覗かせ、中庭を窺う。
パタパタと、軽い足音が聞こえてきていた。朝日が照らして活力があふれ出している中庭に、現れた人影は無防備に入ってくる。
少女だった。
腰元に届くほどに伸ばされている髪は金色であり、朝日を受けて輝いているかのように少女を包み込んでいる。離れていてもわかる滑らかな肌は健康そのものであり、中庭に群生している植物よりも生命力に溢れていた。
そしてゼーレ王と同じ色の瞳は、王よりも深く澄んだ、泉のような青色であり――
『彼』は咄嗟に瞼を閉じた。どうにも目の映りが悪い気がする。いや、これは、少年の目がそう見せているのか。
(ハカセ、あの……)
頭の中で少年の声がする。『彼』は息を吐き、極力声を潜めて返答する。
「……ミスティル・アリーヤ・ゼーレ……ゼーレ国の姫さんだよ。十二代目が呼んでいたアリーヤ姫ってのは、そこの奴のことだ……あのなぁ、こんな時に見とれてんじゃねぇよ。見つかったら面倒くさいだろうが」
(え……見とれて……?)
「無自覚かよ、まったく」
呆れながらも呟き、この場を脱する為にそろりと動く。地下に続く扉がある場所への最短距離の位置に少女がいる為、大回りしなければならない。そう考えて少女へ背を向けた時、ふいに中庭に声が響き渡った。
「誰かそこにいるの?」
よく透る、澄み切った声だった。
確かめようもなく、その声は少女から発せられているようだった。動きを止めた『彼』は、肩を落として盛大に溜め息を吐く。
「はぁ……やれやれ」
そうしている内にパタパタという足音と共に、少女がこちらに近付いてくる。『彼』は頭に被っている布を僅かに押し上げ、小声で少年へ呼びかけた。
「お前の目、使わせてもらうぞ」
(え、まって、ハカセ……)
「貴方、誰なの?」
再び声をかけられる。
『彼』は頭の布をずらし、振り向くと同時に少年の目を使った。
少年の目――見るだけで相手を催眠させる力を、少女へと向ける。少女の感情を刺激し、あわよくば記憶を混乱させ見逃してはくれないかと期待する。
が、少女はきょとんとするだけだった。
『彼』は肩を竦めた。
「……へぇ、この目が効かないのか。さすがはこの国の姫君ってところかな」
予測はしていた。事前にゼーレ王が言っていた言葉を思い出していたからだ。「あの子には名という加護を与えている」と。
(ミスティル・アリーヤ・ゼーレ……自身の魂を束縛する意味の名、か。そりゃぁ、他者から魂を揺さぶられる催眠系の能力は効きずらいはずだよな。それに、『俺たち』への免疫も、生まれながらに持っている)
名でもって、守られる。
『自分』にはできない。
意志を持つだけの、ただの石ころである、『自分』には。
自嘲の笑みを浮かべながら、『彼』は少年の顔でにこりと笑みを浮かべた。
「ちょうどいいや。教えてくれよ、ゼーレ
の姫さん。あんたは、こいつに何という名をくれてやるのか」
そう言いながら『彼』は少女へと一歩踏みだし、頭の布を背へと落とし。
木陰から抜け出た『彼』は、何も遮るモノがない状態の少年の目で再度、少女を射貫くように見た。
×××
地下洞を走り抜け、岩場を下って隠していた舟に乗り込み、出発地点だった砂浜に戻って来れた時。日は真上から少し傾き始めていた。
「やれやれ、結局ほとんど一日掛かりになっちまったか……」
舟を元の場所に戻し、『彼』は呟く。
その呟きに返事はない。それどころか頭の中で少年がずっと黙りこくっていることに、『彼』は溜め息を吐く。
「あー……悪かったよ。勝手にお前の目を使って。でも、さっきので大体使い方は理解できただろ?」
(……)
「姫さんなら大丈夫だって。ほんの少しぼんやりしてはいたが、白昼夢を見たような感じですぐに意識を取り戻しただろうし、あの後すぐに城の騎士が気付いて走ってきていたし。あのまま放置していても平気――」
(あの子、目を見ても、何もなかった)
「――って、なんだ、気にしてたのはそっちか」
少し呆気にとられる。無茶な目の使い方をしたことを嫌がっているのだと思っていたというのに。
あの中庭で『彼』は少年の目の力を最大限に引き出し、姫である少女へ無理矢理に叩き込んだ。本能を刺激するに留まらず、こちらの要望を目を通して相手に強制させたのだ。
暫く忘れろ、という暗示をかけ記憶を奪う、使い方によっては危険な行為だったのだが。
「お前、さっき『俺』がやった目の使い方を咎めたりしねぇの? あれ、下手をすればガチの魅了能力にもなれるんだが?」
(? ……さっきの、なんか疲れたし、興味ない)
「……この目の持ち主がお前でつくづく良かったよ。まったく、奴隷だった癖に健全すぎる……」
もはや呆れ返り、肩を落としながら砂浜を後にする。集落へと続く細い道を辿り、歩きながら『彼』は少年へ答える。
「あの姫さんには名の加護がある上に、『俺たち』の真上で生まれ育った経歴があるからな。お前の目のような能力には人一倍耐性があるんだろうよ。まぁ、さっきみたいに全力を使って暗示をかければ、辛うじて混乱させることぐらいはできるようだが――」
と、『彼』は足を止める。
唐突に歩みを止めた『彼』が見る方向、それに少年も気が付いた。
(煙……?)
少年の動揺した声が頭に響く。
前方、集落がある方向。
不穏を告げる黒い煙が立ち上っていた。
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