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細井はあの日から山辺と向き合えずにいた。彼の内情を知ってしまっていることがどこか後ろめたく、コミュニケーションをする上での障壁となってしまうのだ。

細井は今まで自分が山辺とどう向き合ってきたか振り返った。大阪の養成所で出会ってから二人はお笑いがあるから友人になれたといっても過言ではない。芸人仲間としてこれ以上ない相方だった。


だが、お笑いがなければどうだっただろうか?人間としての山辺大樹と心から向き合ったことがあっただろうか?胸の奥底から過去の自分に対する嫌悪が溢れた。

自分だけで考えていても埒が明かないのでこの状況で唯一頼れる男に連絡をし、とある居酒屋で会うことになった。


翌日 駅前居酒屋にて


「おう細井!お前と飲むなんて久々だな」


時間ぴったりにやってきたガタイのいいこの男は同期の高岡蒼佑。最近じゃなかなかの売れっ子芸人でタイムとは上京してすぐからの友人だ。

特に細井とはよく気が合い、芸人仲間では数少ない相談相手として頼っている。


「いきなり呼び出してすまんな。高岡に相談したいことあんねんけど。」


「全然いいけど。どうしたんそんな怖い顔して。」


怖い顔と言われて少しドキッとした。やはりこの男は頭が切れる。そのうえ人付き合いも上手く、彼が周囲の人の心の内をよくわかっているように感じる瞬間がしばしばあった。

いつでも人の顔色を窺わなけばならないこのテレビ業界ではその力は遺憾なく発揮される。これが彼が売れっ子芸人である所以だろうと細井は感じていた。


「山辺が自殺願望持ってるらしいねん。」


「はぁ?やまちゃんが?てか「らしい」ってなんだよ。はっきり本人から聞いたわけじゃねぇの?」


「いやまぁそれは話せば長くなるんやけど…」


高岡に細井は全てを話した。紗季のことや山辺の悩みなどを高岡は真剣に聞いた。そして全て聞き終えた高岡は一言発した。


「で、お前それ信じんのかよ?」


細井にとってまさかの返答だった。高岡は一瞬でこの事件を根幹から見つめ直していることを気づいてはいたが細井は自らの意見を言わずにはいられなかった。


「人間って全員仮面かぶってるって俺思うねん。どんだけ心から信用してるとか付き合いが長いからって素顔で居られる人間なんて家族以外に一人おったら奇跡や。惰性で生きている人間の笑顔でも魅力的に感じるから人は群衆の中でも生きてられんねん。というか、そうじゃなきゃ生きていかれへんねん。」


細井は久しく心に秘めていた思想を吐露した。もはやそれは高岡に反論する言葉ではなく自らの中に反芻する思いを落ち着けるためのもののように思えた。

芸人で居続けることに拘り、お笑いに魂をささげた細井だが、どこかでは人間という生き物の弱さを理解してそこから目を背け続けるためのお笑いという逃げ道を作っただけだったのかもしれない。


その後も高岡は細井の話を黙って聞いた。まるで赤子をあやす親のように。


「これはお前がしっかり考えんと始まらんぞ。何が正しいかなんて俺にはわからんけどお前が後悔してる顔だけは見たくない。」


高岡が去り際に放った言葉が胸焼けのように残ったまま店を出た。道端でゲロを吐いているサラリーマンを横目に、自らも群衆の一員として人間を演じていることをいつになく意識した。そして、酔いが回っている中であの日が近づいていることを過敏に鼓動で感じた。


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