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「え、ホンマに山辺が?あいつと何があったんです?」


思わず顔をしかめてしまったことで威圧感を覚えさせてしまったかもしれないと後悔

したが、それより彼女の次のセリフが気になった。


「少し長くなりますが…」


彼女はいかにも深刻そうな顔をして口を開いた。


――――今から3年前


上京してすぐのタイムはもちろん仕事をもらえるわけもなく、数少ない営業やアルバイトで食いつなぐ毎日。相方の山辺は


「まぁ少しの辛抱やって!俺も細井もおもろいねんからテレビも目つけてくれるやろ!」


と言っていたがえらく楽観的な相方と裏腹に細井は不安を抱えていた。どうすれば仕事がもらえるのか、戦略的に考えなければならないと一人で悩みを背負い込む細井は当時はあまりに自分達の将来を考えていない山辺に対して疑念をも感じていた。

その時くらいから、山辺は一人の女性と交際を始めた。それが石川紗季だ。


出会いはとある日の営業終わり。商業施設の特設ステージで漫才をしていたタイムを彼女は見つけた。大阪時代にしていた彼女好みの漫才が耳に飛び込んできた瞬間に彼女はそれを運命だと感じたらしい。

営業後にアルバイトを入れていた細井はすぐに帰り、山辺は細井の少し後に控室から出た。彼女はその時に山辺に声をかけた。


「タイムの山辺さんですよね!実は大阪で漫才やってる時から好きなんです。関東で営業やってるなんて知りませんでした!」


「え~!ホンマですか?それはありがたいです!いやぁ大阪から出てきてこうやって声かけられるのも久しぶりですよ。」


「東京はやっぱり厳しいんですか?タイムさんだったらすぐお仕事もらえそうって思ったんですけど。」


「そう簡単に行かないのが現実ですわ…最近は相方からも焦りを感じるんです。焦っても仕方ないんですけどね。ほら、あいつクソ真面目なんで。」


山辺は笑って言った。山辺は「何も考えていないようで考えている」の典型のような男だった。一言も口にしていない相方の焦りをネタ中や普段の言動から見抜き、すぐに相方を慰めるような立ち位置に立つ。当時の細井がこれを知ったとすれば、何を思っただろうか。どちらが「大人」かなんて意味もない押し問答を自分の中でしていたかもしれない。


「芸人さんの苦労って見えないけどすごいですよね。人を笑わせるのにどれだけ自分が苦労しなきゃいけないのか…とても私には出来ませんよ。」


紗季のこの言動は間違いなく山辺の心を動かした。


「ファンにこんな笑いも取れない苦労話して芸人失格っす。」


「いいじゃないですか!山辺さんだって芸人である前に人間ですから。苦労したことくらい私でよければひとりの人間として受け止めますよ。」


二人は近くにあるベンチに座り、山辺は沢山の苦悩を紗季へ吐き出した。東京という未知の世界で勝負するという事はそう簡単なことではないともしかしたら山辺は細井以上に理解していたのかもしれない。涙を必死にこらえて話す姿はまるで某青い狸に眼鏡の男の子がすがりつく、誰もが知るあのシーンさながらであった。恰幅のいい山辺の立ち位置は逆の方がしっくりくるのは明らかだが。


「恥ずかしい姿たくさん見せてしもてすんません。これからタイムの漫才見ても笑えませんよねこんなんじゃ。」


山辺は改めて自らを恥じた。なにせ紗季は彼らの一ファンだ。


「さっき人間としての山辺さんを受け止めるって言っちゃいましたもんね…あ、そうだ。私タイムさんがテレビに出た時まで営業にも見に行きません。これは別に悪い意味じゃなくて、そこまでは芸人じゃなくて、人間の山辺さんを支えますってことです!」


「つまり、お友達になりませんか?」


紗季はそう言って山辺と連絡先を交換した。そして彼と向き合った。


「改めまして、石川紗季です。今は高校三年生の受験生で、好きな食べ物はいちごと砂肝で嫌いな食べ物はピーマン。チャームポイントはつり目かな?」


三年後に細井にもした内容を詰め込みすぎな自己紹介。子供っぽいのか大人っぽいのかわからないミスマッチな食べ物の好みも彼女の性格なのだろう。


「知れば知るほどなんかおもろい人ですね。芸人の友達にはぴったりや。」


そこからの進展は早かった。話を聞いてもらうという名目で何度か食事をしたり、段々山辺と紗季の距離感は詰まっていく。そして、山辺から告白をして二人は付き合い始めた。

だが、紗季が未成年であることや、芸人としての悩みを彼女とはいえ、一ファンに打ち明けて慰めてもらっているということを含めると、山辺は周囲にこの事を言いづらかったのだろう。二人は内密に交際を進めた。


そして彼女の支援の甲斐もあってか、タイムは徐々に東京でも成功し始めた。新進気鋭という言葉が最も似合う芸人といわれるようにもなり、テレビ出演も日に日に増えた。


「ほらな?細井、俺言うたやろ?タイムはおもろいから東京でも成功するって!この調子でレギュラーでも一本くらい持ちたいなぁ。」


山辺は得意げだった。心のどこかで紗季の存在があったのかもしれない。


「ホンマにお前何の考えもなしに言うとったから怖かったぞ。まぁ結果オーライやな。でも俺らまだこんなもんちゃうで。」


いつでも細井と山辺は同じ方向を向いていた。「タイム」という名前は長針と短針はバラバラに回っても、いつか交わる。その瞬間を逃さないという意味で付けられたものだ。何に支えられていても、たとえ反対を向いたとしても彼らはいつか来る成功を一心に目指す男達だった。


―――――だが、針は容易に狂うものである。


いつしか、山辺と細井の間にコンビ格差が生まれ始めた。細井は高学歴芸人ということもあり、その頭脳を生かしてクイズ番組にワイドショーのコメンテーターと何でも器用にこなした。


「細井さんに密着取材の依頼来てます。『謎多きインテリ芸人の素顔に密着‼』って企画らしいんですけど、どうですかね?」


マネージャーの羽田さんから告げられる仕事はほとんどが細井のもの。そんな現状が山辺にとっては耐えがたい苦痛だった。

かといって、山辺には頼れる武器もない。今まで培ってきたのはツッコミのスキルと芸人向けのその体型だけだ。

思わず山辺は紗季に愚痴を漏らすことが増えた。


「毎回細井ばっかだよ…じゃない方芸人ってのは一番つらいもんだ。」


「やまちゃんにだって魅力はたくさんあるって…!」


「魅力があったらとっくに仕事が来てるやろ。根拠のない励ましはいらんねん。」


山辺の精神状態はもう既に限界を迎えていた。


「…ごめん。言い過ぎた。」


飲む酒の量と比例して心のモヤも増えていく。


「…俺がいなくなったら細井はどう思うんやろな。」


「やまちゃん縁起でもないこと言わないで。」


山辺は独り言を言っているかのように続けた。


「俺のこれからに希望は見えん。やけど、細井は成功する。俺の相方やしな。でも二人が別の方向向いてたらな、タイムは二度と漫才できへんねん。漫才できへん俺らのビジョンしか見えへんなら俺がいる意味はない。」


それが人間としてか、芸人としてかどちらなのか紗季にはわからなかった。だが、山辺はお笑いに命を懸けてきたという事実を踏まえると嫌な予感が頭を駆け巡った。


「俺な、借金あんねん。俺が生きてくためにはこのまま芸人として成功するしかなかってん。やけど、もう俺には何したらええかわからへん」


嫌な予感がさらに近づいてくるような足音がした。


「私もやまちゃんがそんな風じゃ何したらいいかわかんないよ。」


山辺と細井が違う方向を向いている現状と自分達の関係を紗季は照らし合わせた。自分は山辺の気持ちを理解できるはずだと自らに問いかけ、山辺についていくと決心した時のことを思い出した。


彼女がたどり着いた結論は一つだった。そして、山辺に最も近しい相手に最後の頼みを託すことにした。それを自らの願望と置き換えて。


――――――――「これが私が細井さんに送ったメッセージの真意です。」


思わず言葉を失った。紗季の話す話に引き込まれていくうちに頭の中で数々の風景が補完されていくが、それが現実であることに対して否定したい気持ちが先走った。


そして、自分の知る近頃の山辺の様子を思い出した。普段と何も変わらない笑顔と自分のピン活動を応援してくれる言葉はすべて噓だったのだろうか。


「山辺が将来に不安を抱いていることはわかりました。でもだからってあいつは死ぬような奴ちゃいますよ。ちょっと思い込みがあるんとちゃいます?」


「そう信じたいんですけど、やまちゃんのデスクのメモ帳に『首吊り× 練炭× 飛び降り○?』ってあって。」


妙にリアルなその描写に吐き気すら覚えた。そして、自分の身近な人物でさえ、知らない一面がこんなにあるものなのかと人間のかぶる仮面の分厚さに啞然とした。


「仮にあいつが死にたがってるとして何であなたまで死なないかんのですか!一緒に死ぬことが幸せなんて間違ってますよ!」


「私ももうどうしたらいいかわからないんです。だから不幸の連鎖が続く前にやまちゃんを説得してくれませんか?」


「今すぐあいつに電話かけます。」


そう言って細井が携帯電話を取り出した瞬間に紗季が彼の腕を掴んだ。


「今言ってもやまちゃんは聞きません。それどころか二人の関係に支障が出ちゃいます。」


紗季はそう言い切った。細井は反論することすら出来なかった。彼女の山辺との話を聞いている限り自分よりも山辺の理解者としてふさわしいとどこかで感じてしまったからだ。


「かといってどうするんです?僕に山辺をいつ説得しろと?」


細井は彼女の指示を待った。いつしか彼女にこの事件解決の主導権を握られていることを彼は疑問に感じなかった。


「実はメモには『九月一日 二十一時 シャインヒルズ屋上』とも書いてありました。たぶんやまちゃんはそこで…」


細井は驚いた。シャインヒルズは細井が住むマンションだ。相方に少しでも理解してほしいという気持ちからだろうか?それともほかの何かを訴えているのだろうか?

数々の疑問とおぞましさが彼の脳みそに溢れた。


「なので、彼が飛び降りようとするであろうその時間に細井さんはそこでやまちゃんを説得してほしいんです。寸前に相方である細井さんに説得されればやまちゃんも考えを改めると思うんです。」


紗季はそう言った。彼女はよく人の心をわかっている。先ほどエピソードを話した時も細井や山辺の心情をまるで知っているかのように自らの中で解釈していた。そして、それはあながち間違っていなかった。


「わかりました。僕が山辺と紗季さんを助けます。任せてください。」


細井の発言を聞いて紗季はゆっくりとほほ笑んだ。笑った彼女の顔はまるで西洋の彫刻のように綺麗だった。


「今日はほんとにありがとうございました。これお代です。」


彼女は自分の注文した分の代金をぴったり出した後に一礼して店を出た。


「山辺…」


食いしばった歯から声が漏れた。しばらく紗季が完食したいちごパフェの器を見ながら細井は彼女の表情を思い出していた。


だが、思い出すことができたのは最後の笑顔だけであった。





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