第11話 封印すべきもの

 魔女のすすり泣く声が、庭園中にこだまする。

 それは、およそ人の発する声ではなかった。絶望を嘆く獣のような、泣き声。


「……嫌な声ね」

 アリシアが呟く。けれど魔女は変わらず泣き続けている。

 私は一瞬の隙を突いて駆け出し、邸宅の玄関に転がり込んだ。


「あれを、あの魔術書を探さないと」

 息つく暇なく廊下を一気に駆け抜け、見慣れた魔術部屋に飛び込む。

 そこには床に放置されたままの辞書と書籍、そしてあの魔術書が散り散りに落ちていた。

 私は迷いなく赤い表紙の本――「魔女を滅ぼす程度の大魔術」と題された古本を手に取る。

 素早くページを捲る。書かれている内容は魔女の封じ方。だがその全てを読みこみ理解することは難しい。

「アリシア!」

 私は窓を叩きつけるように開けると、庭園に向かって叫んだ。

 アリシアはそこでようやく我に返ったらしい。慌てたように私のもとへ飛んできた。


「ノイハ、あの魔女を深淵に落とす方法を……」

「いや、それよりもっと確実な方法があります」

 私は書物を広げてアリシアに見せる。


「……魔女の滅ぼし方……中々にえぐいわね」

「庭園を守るためです。……彼女はもう、肉体も帰る場所もない。このままここにいても永遠に苦しむだけです」

「本当の死を与えてあげるわけね」

「恐らく、彼女も望んでいるのではないでしょうか」


 私は庭園に目を向ける。魔女は既に、考える思考さえも失っているようだった。黒い靄を全身に纏わせ、嘆くような声を上げながら体を震わせる。声にならない悲鳴を、庭園中に轟かせていた。


 しかし――彼女はふと顔を上げた。生命力の欠片もない双眸を、邸宅に、私に向ける。視線が交差する。

「まずい……。アリシア、後は頼みました」

 私は魔術書をアリシアに押しつけると、窓枠に足をかけた。アリシアが慌てたような声で引き止める。


「ちょっとあんた、何をするつもり」

「ただ注意を引くだけです。アリシアはその本を」

「でもあんた」


 アリシアはそれでも制止の声を上げていたが、私は無視して窓から飛び降りる。

 なんとか受け身を取って、よろよろと顔を上げる。そこには切れ切れに言葉を発する女が佇んでいた。

「お前も、私の敵……ああ、敵だ。悪魔は皆同じ……。滅してやる……」

「あなたとは分かりあえない。……ここから出て行って貰います」

 私はモップを構えて相手を見すえる。女が引きつった声を上げれば、その体にまとわりついていた黒い靄が、黒煙のようにどっと噴き上がる。


 私は邸宅から引き離すように走り出す。後から女が叫びながら追いかけてくる。

「呪ってやる……末代まで続く呪いを貴様らに……」


 女の白い手が、私の背中を掠める。瞬間、がくりと足の力が抜けて、私は思わず膝をつく。

「呪いだ……私にできうる限りの呪いだ……」


 うわごとのように呟きながら女が私に歩み寄る。私は無駄だと分かっていたものの、モップを盾にするように構えた。

 正直言ってかなりまずい状況だ。


「……私一人を殺しても、何一つ解決しませんよ」

「ええ……分かっている。でも、やらなければ私の気が済まない」

「八つ当たりをしても、虚しくなるだけです」

「……命乞いのつもりか。そんなことはとうに分かっている、ただでは殺してやらない」


 にた、と女が笑みを浮かべる。私は冷静を装ってはいたもの、内心ではかなり焦っていた。

 かなり危機的状況である。けれど、まだ望みはある。

「……やりきれないという気持ちは、分かっているつもりです」


 私が呟くように言う。女が首をもたげ、私の喉元に白い手を滑らせる。

 その、直後だった。邸宅の二階の窓が、軋んだ音を立てて開かれる。

 窓から姿を現したのは、本と共に宙に浮かぶアリシアだった。


「魔女イリズスアシエイラ。あなたを悪魔術の儀によって滅ぼす」

 抑揚のないアリシアの声が、淀みきった庭園に響き渡る。瞬間、目の前の女が目を剥いて叫んだ。


「何故、私の名前を」

「一から二、二から虚、魔を祓ひて」

「……その忌まわしい呪い言は、まさか」

「生を過ぎて死を迎えへ、生き死にを経て魔を受けたもう。全てはあらずの儀の一つであり……」

 呪文のような言葉だった。アリシアが紡む声に、魔女は身を捩りながら奇声を上げる。

 ――そして、アリシアが次に叫んだ名前により、魔女は完全に消滅する。


「イリズスアシエイラ。私があなたに永遠の休息を与えよう」

 彼女がそう唱え終わった刹那、魔女は絶叫と共に膝を折り、蒸発するかのようにかき消えていった。

 やがて、その場に残さたのは、泥だらけになって座り込む私と、アリシアだけ。


「……アリシア、魔女は」

「沈黙した。……終わったわ」


 アリシアが疲れたように言った、その直後だ。宙を漂っていたアリシアが……壺が、力が抜けたように地面に落ちて転がる。


「アリシア、どうしたんですか」

 私が驚きに目を見開いて、アリシアに駆け寄る。

 だが、アリシアは返事をしなかった。

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朽ちた魔王の箱庭邸 明日朝 @asaiki73

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