第6話 魔犬と料理と片付けと
「……なにしてるの?」
魔犬を仲間にして、体感で2,3時間程過ぎた頃。
アリシアが、呆れと心配を半々にした声で私に問いかける。。
私は頭に血を上らせながら、少しばかり震えた声で答えた。
「さ、逆立ちです」
「見て分かるわ。なんでまた、そんなことしてるの」
「し、修行です。体と精神を鍛えるためには、まず逆立ちをすることが重要かと、お、思って」
「……冗談? それとも本気で言ってる?」
「こ……これが冗談を言っているように見えますか?」
腕がぷるぷると小刻みに震える。やはり、目覚めたばかりで体力も落ちきっているようだ。私は半ば倒れ込む形で逆立ちを中断させた。
「はあ、やはり体は鈍っている……」
「とりあえず、修行は中断よ中断。こっち向いて」
アリシアが呆れきった声でそう促す。私は逆立ちをしたせいか若干ふらつきながら、アリシアに向き直る。
「……ううん……やっぱり魔力の残量が……うん」
「えっと、どうしたのですか」
アリシアが、壺を傾けつつ唸る。私はよく分からないと小首を傾げた。
「あんたの魔力を測っていたのよ。目視で分かるかぎり、結果は……」
「結果は?」
私はごくりと唾を飲む。
「……ほぼゼロに等しいわ。魔力が枯渇しきっている」
「はあ、やっぱり……ですか」
薄々、そんな気はしていた。
「ということは、今の状態では魔術は使えないってことですよね」
「ええ、そうでしょうね」
「……つまりは詰み、ということですか」
この世界を復活させるには、魔力がいる。
けれど私に宿る魔力は、ほぼゼロ。
加えてこの土地に宿る魔力も、枯渇しきった状態。
すなわち、八方塞がり。
「いいえ――まだ可能性はあるわ」
しかし項垂れる私とは対照的に、アリシアの声は明るかった。
「マニュアルに記されていたわ。ここには、膨大な魔力が眠っている」
「でも、ここは壊滅の一歩手前じゃあないですか。こんな荒れ果てた庭園のどこに……」
「場所じゃなくて、物に宿っているのよ。……魔術書という名の書物にね」
アリシアの一言に、私は「あっ」と間抜けな声を漏らした。
書物とがらくたの部屋にて。私は溢れかえった書物を一冊一冊、丁寧に仕分けしていた。
「アリシア、この本はどちらに……」
「それは料理のレシピ本。魔術書とは関係ないからそっちの本棚に」
「料理本ですか。そういえばお腹が空いてきたかも」
腹がまたもやぐうと鳴る。アリシアは軽く息を吐いて、
「きりの良いところで一旦休みましょう。あたしもちょっと疲れてきたところだし」
「アリシアって、お腹は空いたりするんですか」
「食事は必要ないけど、気分転換に食べることはあるわ」
「へえ……」
山のように積み重なる書物を次々手に取っていきながら、私はちらりとアリシアに目を向ける。
アリシアは、私から受け取った書物を空中に並べては内容を確認していた。
壺の姿で、なんとまあ器用なことをする。……私はアリシアを横目で眺めつつ、そっと息をついた。
――そうして太陽が真上に昇った頃、私は黙々と続けていた作業を一旦打ち切って、魔術部屋を出た。
「ワウワウッ」
私がふらりと廊下に出て行った直後。黒い毛玉が丸っこい尻尾をぶんぶんと振りながら、私の足下に走り寄ってくる。
私は毛玉……魔犬というその生き物を両手で抱き上げた。
「ああ、そういえば忘れてた……あの、アリシア、この子のお世話はどうします?」
「世話? なんでそんな面倒なことしなきゃいけないの」
アリシアは、理解できないというような口調で壺を左右に振った。
「でも、ご飯を食べなきゃ死んじゃいますよね、この子」
「そういうわけでもないんじゃない? だって、いつの間にかここに棲み着いているのよ? あたし、この子の世話なんて今までにした覚えもないし」
「それはそうですけど……」
しきりに尻尾を振る毛玉。私は観察するよう目を細めると、毛玉をそっと地面に下ろす。
「……アリシア、この子は私が預かります。ご飯も、私の分を減らしてこの子にあげるということで、許可してくれませんか」
私がアリシアを見つめ魔犬を見下ろす。
アリシアは数秒沈黙した後、仕方ないわね、と諦めたように言う。
「まあ、空腹で襲いかかられても困るし、もしかしたら良い番犬になってくれるかもね。……ノイハ、ちゃんと面倒見なさいよ」
「分かってます」
私は頷いて、廊下を渡って広間に出ると、その隣に接している厨房へと移動する。
食材は、保存するためにある程度加工されており、私はひとまず貯蔵庫の中身を確認した。
「……そういえば私って、料理はできるんだろうか」
干した羊肉を取り出しながら、私が唸る。
しまってあった包丁は、幸い錆も見当たらない。私は包丁を手に、まな板の上に置いた羊肉に向く。
こうなったら、やってみるだけやってみよう。
「ノイハ、あんたって料理の腕は……って、ちょっと、血だらけじゃない」
それから体感で、三十分程度。私の手は切り傷だらけのボロボロになっていた。
「……あの、包丁ってどう使うんですかね」
困り顔で私が聞く。
どうやら私は、料理の腕もからっきしのようだった。
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