第4話 箱庭邸の夜


 死にかけの世界にも、夜というものは等しく訪れるらしい。

 日が傾き、庭園全体に薄い闇が広がる。

 私はか細いランプの明かりを頼りに、暗がりの部屋で書物を読み漁っていた。


「ゴンドルオンがもたらした破の魔術……過去に存在した大悪魔ジイナの秘術……」

「いい加減寝たら?」

 呆れきったアリシアが声を投げる。私は地べたに毛布を敷いて、その上に寝転がりながら書物のページを捲っていた。辞書のような分厚い本を枕代わりにして。


「でも、私は今までずっと眠っていたんでしょう? 少しくらい夜更かししても問題ないと思うのですが」

「正しく言うなら、封印されていたの。普通の睡眠とは訳が違うわ」

「……そういえば、ずっと気になっていたのですが、私は誰に封じられていたのですか?」

「魔王よ」


 アリシアは短く答えた。


「魔界の崩壊を予知したかの王は、侯爵を初めとした権威ある悪魔をこの部屋の書物に封じた。万が一に訪れるかもしれない、滅びの時に備えてね。そうして、あたしにこの土地の番を任せた」

「それで、最初に目を覚ましたのが、私……」

「そう、まあ不完全な目覚めだったけどね」

 アリシアはふっと自嘲するような含み笑いを零し、私の目の前に移動する。


「あんたが頼みの綱、魔界の命綱なのよ、ノイハ。……幸い、ここにはかの王が保管していた魔術書が大量にあるわ。その中に、マニュアルがある」

「マニュアル?」

「ええ、あたしに持たされた大切な書物よ。この世界を作り直すための説明書のようなものなんだけど、他の書物に紛れたせいか、うっかり紛失しちゃって。何千冊という本が溢れる部屋だから、どこに置いたのかも分からないときた」


 アリシアは宙を漂うよいながら移動して、私の隣にふわりと舞い降りた。

「分かったらさっさと今日は寝なさい。明日は忙しくなると思うから」


 アリシアはそれだけ言うと、沈黙した。

 

 眠ったのだろうか。私は何度かアリシアの名前を呼んでみたが、反応はなかった。


 ランプの淡い光が、部屋に影を生じさせる。

 私は読みかけの書物を閉じ、そっと息を吐いた。


「まだ、眠くないんだけどな」

 呟いて、なぜだか心細くなる。不安とは、また少し違う感情だった。自分の過去が思い出せないことが、どこか無性に寂しく思える。


 私はここで眠る前、何をしていたんだろうか。


 思い出そうと目を閉じて考えては見たけれど、結局何も浮かばなかった。しばらく考えこんでいる内に、私の意識はふっと沈んで闇に包まれた。



 寝起きはあまり良くなかった。

 床で寝たためか、背中の痛みで目が覚めた。蹴飛ばした毛布をたぐり寄せ、私はよろよろと起き上がる。


 黒い縁で囲われた窓から、陽光がほんのりと差しこんでいる。


「遅い」

 続いて、むすっとした声が背後から響く。振り向けば、宙に浮かぶ壺……アリシアがいた。


「今何時ですか」

「昼過ぎ」

「……見事に寝坊ですね」


 だいぶぐっすり眠っていたらしい。

 私は背筋を伸ばして、体をほぐしながら書物と骨董品に溢れる部屋をぐるりと見渡す。


「今日の目的は……マニュアルの確保」

「ついでに、邸宅と庭の様子見。時間に余裕があったらね」

 

 アリシアはそう言って、ふわあと間延びした声を上げる。

 どうやら欠伸をしているらしい。


「でも、そう簡単に見つかりますかね」

「部屋から持ち出してないもの、どこかにあるはずよ」


 私は眉を下げた。書物とがらくたでごった返している部屋は、大広間に負けないくらいだだっ広い。積みあげられた書物は千どころではないだろう。その中から一冊の書物を見つけ出せ、と。


「今日中に探し出せるか、不安なところです」

 私は溜息一つ、書物を一冊一冊検めていく。

 一日どころか一ヶ月かかっても見つけ出せる自信がない。

 そう、思っていたのだが。


 マニュアルと題された書物は、一日どころか半日も経たずして見つかった。

 私が枕代わりにしていた書物が、探していたマニュアルだったのだ。


「ええと……歪んだ空間の直し方。ああうん……空間魔術?」

 私がぺらぺらとページを捲っていき、アリシアが読み上げる。

 魔界を再建する手順――それは、魔力を糧として、悪魔の使役する魔術で魔界に力を取り戻すというもの。


「でもあんた、魔術の方は」

「からっきしです、腕が鈍ったのか、さっぱりで」

 私は肩を竦めた。

 

 魔界は、そこに潜在する魔力によって成り立っている。かの力は、重要なエネルギー源であり要となる。この土地においては魔力が土台であり必須の力……だという。


「つまり、魔術が使えないことにはどうしようもない、と」

 文様の施された表紙をなぞる。

 アリシアは、険しい声で「困った」と呟いて、鋭い舌打ちをした。

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