第45話 見守ること




「ユーディット!!」

 扉を荒々しく開いたテオフィルは部屋の中で椅子に腰掛けていたユーディットに焦点を合わせる。テーブルに置いてあるデザート皿の上の半球体状のゼリーをスプーンで掬い上げていたユーディットは驚いた様子もなく、スプーンを口に運んだ。

「何よ?」

 咀嚼して飲み込んで悠然と答えるユーディットに対してテオフィルの内には焦慮のようなものが燻ってる。

 テオフィルの後を追い掛けて入室したフォルトゥナートがドアを静かに閉めた。

「最初から、全部知ってたな」

「なんのこと?」

「フォルトゥナートと、俺が両思いだってっ」

 苛立ちの滲んだテオフィルの声にユーディットはやれやれといった様子で頭を振る。

「だからあの時、言ったじゃない。まさか振られることはないわ、って」

 自分を励ます為の言葉だと認識していたテオフィルは、ユーディットの真意など知らず感極まっていたが、内幕を知ればユーディットは俯瞰して見る立場にいた唯一の人間だ。

 テオフィルの剣幕に応じたユーディットは手にしていたスプーンをテーブルにおいた。

「はぁっ!? 俺がどんだけ悩んでたと思ってるんだよっ!!」

 八つ当たりだと理解しながらテオフィルは恥ずかしさも手伝って、そう声を荒げる。今迄笑みを浮かべていたユーディットは、それを収束させてキッと眥をさいて、

「見当違いの遣り取りで、あの気まずい空間に巻き込まれてるのよ。なんなのあの苦行? 互いに相手を意識しているのに怯んでうじうじと情けないわね。両思いなのに、なんでこんなことになってるのよ。大体ね、私が全てを知っていたけれども、私がフォルトゥナートの感情をテオフィルに告白したら筋が通らないでしょ。確信持てるまで黙っていろって私が言ったんだから」

 正論を振り翳したユーディットにテオフィルはグッと返答に窮してしまう。

「まぁ、勝手に進められたら今後の身の振り方を考えるかな」

 ボソリと告げたフォルトゥナートの言葉はテオフィルに同調するものではなく、テオフィルは項垂れる。

「ほら、フォルトゥナートだってこう言ってるじゃない。私は最善手を打ってるわよ。私は何も悪くない」

 自分の振る舞いに瑕疵は一つすらないと誇らしげに胸に手を当ててユーディットは笑顔で告げる。キラキラと燦然と輝く聖女の笑みにテオフィルはそれ以上言い募ることが出来ずテオフィルは押し黙る。全面的に降伏できないのはテオフィルの感情の話だ。

「だからって、さ、黙ってて――」

「私が双方の感情を知っていて、進展をほくそ笑みながら見守ってたなんて意地の悪いことをしたと思ってるの?」

「そんなことはないっ!!」

 食い気味に否定したテオフィルにユーディットは表情を緩める。

「でしょ?」

「………………」

 ジトッと自分を探るようなテオフィルの眼差しに軫憂のようなものが紛れていてユーディットは、口を開く。

「何よ?」

「――俺、小鳥を埋葬したなんて――」

「ああ、それ。私がそんな感傷的なことやるわけないじゃない。それとも何? もう一人、私と同じ顔をした人間が居るとでも言いたいのかしら?」

「そうじゃないけど」

「私じゃない、つまりは必然的にテオフィルということよ。忘れっぽいから一つ一つ覚えていないのでしょ。貴方、私のベッドに嫌がらせで置かれていた猫の死骸だって可哀想だって言って埋めてたじゃない。回数なんて両手を超えるでしょう?」

「あの時は、ユーディットだって泣きそうな顔してたじゃん」

 フォルトゥナートが騎士として聖女に侍る以前のちょっとした事件をテオフィルは思い出した。聖女教育を受ける為にユーディットが部屋を離れた隙に鍵の掛けられていた部屋に何者かが侵入し、贈り物を置いていった。発見したユーディットの細い悲鳴をテオフィルは隣室で拾い上げて駆けつければ、顔面蒼白なユーディットを目撃した。ややもすれば生きているようにも見える扼殺された黒い猫にテオフィルより先にユーディットが手を伸ばして、体温が失われていることを確認した。

「……私を痛めつける為に、その命を散らされたとしたらね、私にも責任の一端はあるもの」

「ユーディットは何も悪くないだろ。悪いのは猫を殺した奴だ」

 正しい言葉を当然のように告げるテオフィルにユーディットは眩しいものを見詰めるような眼差しを向けた。向けられた眼差しの意味に思い至らずテオフィルはきょとんと見返せばユーディットはふうわりと笑い、視線をフォルトゥナートに向けて、

「良い子でしょ?」

「知っているさ」

 ユーディットの言葉にフォルトゥナートは力強く頷く。

「何二人だけで、わかり合ってんだよ」

 不服そうに頬を膨らませたテオフィルにユーディットとフォルトゥナートは顔を見合わせると薄く笑う。

「テオフィルに教えるには難しいのよ、これは」

 仲間はずれにされた疎外感を微かに抱きながらテオフィルは救いを求めるようにフォルトゥナートに視線を向ければ淡い笑みを返されるだけだった。本当の意味で排除されているわけではないことを本質的に理解しているテオフィルは矛を納める。それは、二人の思案に理解が及ばないのは学がない自分の所為だという自責の念がテオフィルに僅かなりでもあるからだ。

「二人がくっついたなら、後顧の憂えはないわ」

 テオフィルとフォルトゥナートの顔を交互に見詰めてユーディットは満足そうに笑った。儚いそれに、テオフィルは駭汗としてしまう。

「まるで、居なくなるみたいな発言は控えてくれ。フィルが顔面蒼白になっているだろう」

 フォルトゥナートの言葉にテオフィルは、ハッと我に返る。自分の抱いている憂慮を明確に形にしてくれたフォルトゥナートに感謝してテオフィルはユーディットの顔色を窺う。

「そんなつもりはないわ。ただの言葉の綾よ」

 テオフィルの危惧を一笑に付したユーディットは手をひらひらとさせる。まるで蝶が翅を羽ばたかせるような優雅な仕草だ。

「ユーディットはさ、俺がフォルトゥナートを好きになるって分かってたのか? 俺が好意を持つまで待てなんて」

 テオフィルがフォルトゥナートに好意を向けなければ、想いは一方的なもので延々と燻り続けなければならなかった。終止符を打つことが出来たのが幸運に他ならない。

「酷いと思う? でもね、その程度辛抱出来ない男に大事な親戚を預けるわけにはいかないもの。好きになるかなんて分からないわよ。ただ――」

 言葉を途切るとユーディットは頭を振った。

「何でもないわ。それより、話はこれだけかしら? 王都に戻ってきたから色々とあって疲れたのよ。落ち着かせてくれるかしら?」

 再びスプーンを手にしたユーディットはゼリーに手を伸ばす。言外に疲れていると伝えてきたユーディットに疲憊の一因であることを思いだしてテオフィルはサァッと顔色を変える。

「ごっ、ごめん。馬車で、ユーディット困らせた」

「あんなのは二度とごめんよ。ああいうのが嫌だから、フォルトゥナートに迫るなって言ったんだから」

 軽口を叩くユーディットにテオフィルは安心するが、容に疲憊の色は確かに見受けられて一人にさせようかとフォルトゥナートに退室を促そうとする。

「――聖哲局の連中に何か言われたか?」

 フォルトゥナートの言葉に、テオフィルはユーディットの掌で踊らされていたことに気を取られていて、気がかりだったことをを思い出す。聖哲局の人間の眼前に連れて行かれたユーディットが窮地に立たされたのはテオフィルの想像に難くない。

「まぁ、やらかしたから色々と聞かれたわ。想定の範囲内よ。心配しないで大丈夫よ。いつも通りのお小言。何も、いつもと変わらないわ」

 平坦な声から嘘を嗅ぎ取ることが出来なかったテオフィルはユーディットの言葉が素なのか演技なのか判断に悩んだ。踏み込むべきだろうかとテオフィルがフォルトゥナートに目を向ければそれに気付いたフォルトゥナートと見交わした。テオフィルの意を汲んだフォルトゥナートはユーディットに視線を向けると、

「俺達に強がる必要はない。信頼を置かれていると自負しているんだが、自惚れだったか?」

「信頼してるわよ。それに、本当にいつもと同じよ。勝手な事を言って、勝手に決めて、勝手に押しつけて自分の望みに事が進むと一毫も疑っていない様子。私よりも、フォルトゥナートは自分の心配をなさいな。どうせ、呼び出されて意見を聞かれるわよ」

「俺に尋問したところで碌な返事がないというのは先方も分かっているだろう。だから、警備隊に目と耳の役割を担わせているんだ。奴らの余計な仕事を増やした一因は俺にもある」

 聖哲局にとって聖女騎士とは聖女を監視する役割を兼ねてもいた。当初、懐柔しようと聖哲局も躍起になったが、色よい返事をしないどころか拒否を鮮明にしたフォルトゥナートに聖哲局は次の手として警備隊を活用することにした。傀儡にならぬ不自由な聖女騎士よりも自分達の指揮下にある警備隊をよりよく重用したのは合理的な判断だった。

「……悪いわね。面倒事に巻き込んで」

「巻き込まれることを覚悟しての行動だ。二人のことで関係の無いことなんてないだろう」

 テオフィルに視線を向けて、ユーディットにも視線を滑らせたフォルトゥナートは淡く笑った。真顔が冷ややかな印象だから笑うとほんの少し幼さが見え隠れする。

「聖女への風当たりは変わりそうか?」

「どうかしら? 彼らの思考は懸隔していて想像するだけ無駄だもの。ただ、そうね――」

 宮殿を歩いただけで向けられる視線の強さを思い出してユーディットは言葉を途切る。白地な嫌忌に畏怖、好奇に慢易といったものの強さを改めて思い知らされた。突き刺さる視線は火箭のように苛烈で、想いの強さで心が炙られる。聖女としての覚悟になんら変わりがあるわけではない。対象の捉え方の問題はユーディットに何かができるわけもない。

「――少し、怖いわね」

 閉じた目蓋は青ざめており、弱音らしい弱音を吐いたユーディットにテオフィルは思わず近付くとユーディットの手を掴んだ。

「テオフィル?」

「俺は、ユーディットの味方だから。怖いって言うなら、俺が助ける。俺の出来ることなんて限られてるけど、でも、一人で頑張らないで欲しい。今回もへましたし、頼りないのは分かってるけど。ああ、上手く言えないな。俺はさ、ユーディットのこと信じてるから――」

「俺達、だろう」

 言葉選びに迷ったテオフィルが言葉を途切るとフォルトゥナートがそっと言葉を添えた。

「その在り方に敬意を払いたいと思っている。頼って欲しい。可能な限りは応えよう」

 真っ直ぐな言葉が面映ゆいのか顔を伏せたユーディットは、数拍して顔をあげて笑った。

「――ありがとう」

 年相応のその笑みにテオフィルは安慮してフォルトゥナートと見交わした。




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