第44話 拙い愛の告白




 フォルトゥナートに手を引かれたテオフィルは黙って従う他なく、宮殿の外へと連れ出されて何処へ行くのかと不安が膨らんだ刹那、フォルトゥナートが立ち止まり拘束していた手を離し振り返る。何処かと顧眄したテオフィルは人気の無い建物に気付く。宮殿の外に建設された小さな館の一つは現在使用されて居らず、物静かであった。

「フィル」

 こちらを見据えるフォルトゥナートの双眸に捕らわれてしまいそうでテオフィルは目を逸らしたくなるが、此処が終着点であるのだという自覚がテオフィルを支えた。


 『貴方の恋心が可哀想よ』


 ユーディットの言葉がテオフィルの脳内に響く。

 ああ、とテオフィルは心で迎合を打つ。このまま、殺してしまってはあまりにも哀れだ。影のように寄り添ってきてくれた恋着を放擲するにはあまりにも惜しかった。結実しなくとも、在ったという事実だけは忘れてはいけないのだ。

「俺、話があって――」

 真っ直ぐに見返してきたテオフィルにフォルトゥナートは微かに顔色を変える。

「フォルトゥナートは驚くかも知れないけど、俺っ――」

「待ってくれ」

 一息に言ってしまえと心に従いテオフィルが気勢のまま告げようとした言葉をまたもフォルトゥナートが遮った。

「ちょっと、待ってくれ。俺も、フィルに言いたい事がある」

 真剣な顔でフォルトゥナートはそうテオフィルに声を掛けた。憖じ顔が整っているから凄みのようなものをテオフィルは感じ取ってゴクリと唾を飲み込んでしまう。

「おっ、俺の話を先に聞いてほしい」

 フォルトゥナートが何を口にするのかテオフィルには見当が付かなかったが、少なくとも自分にとって歓迎すべきものでは無いことのように思えた。熟視するフォルトゥナートの眸睛に困惑の色が滲む。

「フィル、俺は――」

 テオフィルの願いを無下にするかのように口を開いたフォルトゥナートにテオフィルはギョッとしてしまい、勢いに任せて両手でフォルトゥナートの口を塞いだ。

「俺、フォルトゥナートのことが好きなんだっ」

 勢いのまま告げた声は二人きりの距離間を考えれば大きなものだった。

 言ってしまった、とテオフィルは首を垂れる。達成感に伴う虚脱がテオフィルを包んだ。不思議と後悔は欠片も存在しなかった。それでも、どんな表情をしているのか知るのが怖くて、顔を上げることが出来ない。フォルトゥナートの唇を覆っていた両手が思いの外弱い力で掴まれ、ゆっくりと剥がされるのをテオフィルは頭を下げながら実感する。

「――フィル」

「ごっ、ごめん。迷惑だって分かってるけど、言っておきたくて。自己満足だって分かってるよ。フォルトゥナートやユーディットに迷惑かけるって分かってても押し黙ることは出来なかった。だって、フォルトゥナートは俺の窮地に駆けつけてくれて、助けてくれた。そこに他意は無かっただろうけど、俺は凄く嬉しくて救われたんだ。好きな人に助けられるってこんな嬉しいことなんだって、教えてもらった。監禁されて不安で、でも、フォルトゥナートは助けてくれるって信じてた。フォルトゥナートの手に頭を撫でられて本当に安心したんだ。ただ、俺が、フォルトゥナートを好きだってこと知って欲しかった。勝手に気持ち押しつけて、気持ち悪いよな。ごめん。いつも傍に居てくれてありがとう。職務に真摯に取り組んでいるところも、鷹揚に俺達を見守ってくれてるところも、凄く好きで、憧れた。でも、ユーディットに優しくする姿を見て、胸が痛くなった。勝手に嫉妬して、本当醜いよな。はは、俺何言ってるんだろ」

 言葉を封じられてしまう前に心底にあるものを全て伝えてしまおうとテオフィルは思いの丈をぶつける。口から零れた自己弁護に似た言い訳に辟易としながらテオフィルは臍を固めて顔を上げた。

「えっ――」

 視界に飛び込んできたフォルトゥナートの表情にテオフィルは目を瞬かせた。瑞々しい思春期の少女のようにフォルトゥナートは目元を潤ませ頬を紅潮させている。それを隠そうと手で顔を隠す素振りをしているが耳はおろか首まで赤くなっているのをテオフィルは目視する。途端、テオフィルの胸に湧いたのは期待だ。

「ちょっと見ないでくれ」

 上擦った声でフォルトゥナートは訴えるが、テオフィルは視線を外すことが出来ない。赤面なんてそれなりの時間を重ねてきたがテオフィルには見覚えがなく、距絶を覚悟していたテオフィルの心の強ばりが解れる。

「これは想定外で――」

 そう声を漏らしてフォルトゥナートは咳払いを一つする。

「今の、本当か?」

 双眸に微かに滲む疑念の色に気付きテオフィルは力強く頷く。

「そうか」

 不安が雲散し怡顔したフォルトゥナートはテオフィルに手を伸ばして、

「俺も好きだ」

 万感の思いで抱き竦めた。

「えっ!?」

 力強い腕に引き寄せられたテオフィルは眼をパチクリとしてしまう。言葉が脳に到達しても理解に至らない。硬直したテオフィルは、言葉を反芻して、そうして、漸く、何を言われたか認識して爆ぜたように顔を上げた。

「ユーディットのことが好きなんじゃないのか!?」

「……なんでそうなる」

 フォルトゥナートの呆れたような眼差しに撫でられてテオフィルは、自分の見当違いの懸念をしていたことを咎められた気がしてしまう。

「だって、ユーディットに、その、優しいし」

「ユーディットのことは尊敬しているが、恋愛対象じゃないさ」

「でも……凄く、大切なものに触れるみたいに触ってたし」

「そりゃ、フィルの特別でもある。二重の意味で大切な存在だ」

「そっか」

 えへへ、と相好を崩したテオフィルはフォルトゥナートの背に怖ず怖ずと手を回す。厚い胸板に顔を埋めると、トクトクと早鐘のような拍動の音にテオフィルは気付く。この状況が夢ではない証左にテオフィルは安慮の息を吐く。

「フィル、好きだ。漸く言えた」

「漸く?」

 まるで長い時間思いを秘していたとでも言いたげなフォルトゥナートにテオフィルは聞き返し、顔を上げれば情念が燻る眼差しとかち合う。熱を孕んだ双眸を直視し続ければ火傷を負うのではないかと思うほど激しい。

「そう漸く。俺はお前が思うよりもずっと執念深くて、小心者なんだ」

 抱きしめる腕に力を込められてテオフィルは苦しさでフォルトゥナートの背に回した手で軽く叩くが力が緩められる気配はない。

「――本当に良かった」

 耳元で囁かれるフォルトゥナートの声は哀切を帯びていてテオフィルは向けられる好意の重さを自覚する。

 夢のような出来事だ、とテオフィルは心の中で呟く。残酷にも退けられるとばかり思っていた恋慕は受け入れられ、愛を注がれるなんて恵まれているのだろう。

「ユーディットが好きだと言うのかと思って生きた心地がしなかった」

「なんで」

「様子がおかしかったから。あんなことがあってユーディットに心を寄せて、責任をとって生涯面倒でも見るとでも言うのかと心配した」

 しおらしいフォルトゥナートの姿は常から掛け離れていて、自分にだけに見せる特別感にテオフィルは陶酔する。弱さを潔しとしないフォルトゥナートの気高さにテオフィルは心服していたが、躊躇いがちに自分に触れるぎこちなさが愛おしくて仕方が無かった。

「だから、俺が告白しようとしたのを妨げたの?」

 言葉を遮られたことを思い出してテオフィルはそう尋ねればフォルトゥナートは困ったように眉を下げて苦笑した。

「ああ。意気地がないだろ。自分がそういう対象では無いと思い知らされるのが怖くて、一秒でも遅くしようと足掻いただけだ。まぁ、フィルの心が他の誰にあっても、俺はきっと思うことは止められなかっただろうが。勝手に想い続けるし、護ろうとするだろう。だけど、チャンスがあるのならばそれに懸けたいとも思った。先に告白すれば、優しいフィルは惑うと思ったから、ユーディットとの約束を破ってでも伝えようと思っていた」

「ユーディットとの約束?」

 フォルトゥナートの言葉に引っかかり、鸚鵡返しすれば決まりの悪そうな顔をしたフォルトゥナートは眉根を寄せる。自分の知らぬ所でユーディットとフォルトゥナートに約定があったことにテオフィルは嫉妬してしまう。

「もう、言っても良いか」

 溜息を漏らすとフォルトゥナートは、一拍置いて、

「俺はユーディットに愛を乞うたことがあるからな」

「は?」

 フォルトゥナートの腕の中でテオフィルの身体が硬直する。

「ちょっ、やっぱ、ユーディットが好きなんじゃっ」

「話を最後まで聞け」

 身を捩って離れようとするテオフィルにフォルトゥナートの哀願の声が届く。はたと動きを止めたテオフィルからの射るような強い視線にフォルトゥナートは居心地悪そうに微苦笑する。

「聖女の騎士になりたいと思ったのは切っ掛けがあったからだ。中身の伴わぬ国の鼓吹役だとばかり思っていた。聖女騎士の応募も、まぁ、推挙されてあれよあれよと進んでいった。小娘一人御せるだろうと、高を括っていた。期待はしていなかったが、人間として不出来な聖女に仕えるのは矜持が傷つくから自分が仕える人間はどんな人間だろうか、と盗み見した時だ。鳥の死骸を抱えていた。小鳥を包む穢れがなかったであろう白い手巾は血に染まっていて、ああ、あの小さな身体では絶命しているのは想像に難くなかった。それを自覚しているのか顔は強ばっていたし、指先は震えていた。自分の出来る限りのことをしようとしていることが分かった。弔うことだ。誰一人に看取られることなく、その命の終わりを迎えるのは誰だって寂しいものだ。そうは言っても、聖女だ。亡骸なんて不浄なもの触れるのがおかしい。誰かにさせれば良いだけだ。弔った事実は変わらないのだから、それで終えれば良かった。だけど、そうしなかった心立てが清爽に思えた。小枝で木の根付近を掘り返して、埋葬して流した涙が美しかった。他者の視線を意識しないそれは、心底の結露だろう。小さな命ですら慈しむのだと感服した。こぼれ落ちる涙を拭いたいと思った。興味が湧いたのはそれが理由だ。ありふれた切っ掛けだ。苦しみを取り除きたいと、侍る覚悟をして、そうして、伝えて、笑われた。自信満々に私はそんなことしない、それは私じゃない、と告げられた。憐憫と憤懣の混じった眼差しを向けられて、減点よ、貴方、好きな相手を見誤るなんて節穴にも程があるわなんて言われて、聖女の影を教えられた。そこで漸く自分の錯誤に気付いた。俺が見ていた聖女は、フィルだった。なるほど、と思って観察すればするほど、フィルの優しさに惹かれていった。ユーディットを懸命に支えようとするその健気さを俺が助けたいと思った。自分のことではなく他人を優先する様を見て、俺が幸せにしたいと思った。だから、ユーディットは本来俺が告白した相手が誰か知っているから、俺の気持ちを知っているんだ。解任されるとばかり思っていたが、ユーディットは寛大だった。想いの強さで押し切ることを懸念して、フィルから同意を得ること、それまでは気持ちを伝えるなと言われた。色恋のいざこざに巻き込まれるのが面倒だからと可愛げの無いことを言っていたが、言葉の裏にはフィルのことを心配しているのは読み取れたから俺も了承した。格好悪いだろう? 告白を失敗しているんだ俺は」

 胸元に預けられたテオフィルの頭に重さを感じ取りフォルトゥナートは視線を下げた。

「――俺、鳥を埋めたなんて覚えてない」

 震える声で告げたテオフィルにフォルトゥナートは蟀谷に唇を落として、

「フィルにとって、それは当たり前のことで取り立てて記憶に留めておくようなことじゃなかったんだろう。フィルじゃなかったらあれ程までにユーディットが自信満々に言うわけないだろう。それに、今なら、分かるさ。ユーディットは泣かない」

「そりゃ、そうだけど……」

「仮に始まりが誤りだったとしても、今、好きなのは、フィルだというのは紛れもない事実だ」

 しんねり静かな愛の告白にテオフィルは顔を赤らめる。

「じゃっ、両思いってことで良いの?」

「一方的に告げて、どうするつもりだったんだ。言い逃げをするつもりだったのか?」

「違うっ、俺は、フォルトゥナートと一緒に、いたくて」

「俺だってそうだ。これからフィルと時を重ねていきたい。同じものを見て、共有して、幸福も痛みも分かち合って、命果てる時まで共に居たい。嫌か?」

 テオフィルの右手を掴んでフォルトゥナートは自身の左頬に手を引き寄せる。懇願するような眼差しと熱情を孕んだ声にテオフィルの脳髄がクラクラとする。

「いっ、嫌じゃないっ」

 夥しい愛の礫に音を上げたのはテオフィルの方だ。顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯けば、フォルトゥナートの眼前に晒される首の後ろが朱に染まっている。

「可愛い」

「ひゃぁぁっ」

 項に感じた柔い感触に悲鳴を上げたテオフィルは涙目で見上げる。涼やかな美貌を崩すことなく悠然と微笑む様に経験値のようなものを感じ取ってしまいテオフィルは口惜しく思ってしまう。

「俺のことからかって楽しいのかよっ」

 頬を膨らませ不満を訴えるテオフィルを見詰めるフォルトゥナートの眼差しは酷く甘い。一心に訴えかけてくる愛の強さにテオフィルは、どこにこんな執心を隠していたのだろうかと疑問に思ってしまう。今迄、フォルトゥナートの眼差しから、恋情の片鱗など感じることは出来なかったのだ。

「愛でているだけだ」

 テオフィルの背に回していたフォルトゥナートの右手がテオフィルの腰にするりと滑り、撫であげた。

「っ、ちょっ」

「なんだ?」

「右手がっ」

「右手が?」

 不服を訴えようとしたテオフィルは意地の悪い笑みを浮かべるフォルトゥナートに気付く。自分の知らぬフォルトゥナートを見られたようで、ときめく胸にテオフィルは目をキュッと瞑った。

「とにかく、駄目っ、だから」

 自身の左腰に触れる不埒な手を掴んで、テオフィルはフォルトゥナートの頬に添えた右手も離す。

「フィルは清い付き合いをしたいのか?」

 密着していたフォルトゥナートからテオフィルは身体を離して、

「そっ、それは、違うけどっ」

 明け透けな言葉に顔を赤らめて首を垂れる。

「付き合うって、そういうことだろう?」

 テオフィルの手に自身の手を絡めてフォルトゥナートは当然のことのように笑った。

「そうだけどっ」

 自分の自由意志などなく翻弄されてしまうとテオフィルは、フォルトゥナートに抗言しようと顔を上げて、色気のある笑みに気圧されてしまう。

「?」

 太い首筋に、しなやかについた筋肉に、性的なそれを想起してしまいテオフィルは顔を赤らめる。繋いだ手の甲を撫でる触り方にそわり、と立毛筋が反応する。

「っ、ちょっ」

「ああ」

 分かっていてやっているだろう、とテオフィルが咎めるようにフォルトゥナートを睨めば悪戯が成功した子供のように笑うものだから毒気を抜かれてしまう。

「フォルトゥナート、なんかいつもと違くない?」

「こういう俺は嫌か?」

 フォルトゥナートの言葉にテオフィルは掉頭した。

「浮かれて調子に乗っているのは自覚している」

 苦笑してフォルトゥナートは、それに、と言葉を続け、

「フィルが俺を好きだって言ってくれているのも半信半疑で急いて既成事実を作ってしまえ、と思ってもいる」

「はぁっ!?」

「フィルは優しいからこのまま流されて俺で頭をいっぱいにしてくれれば良いと考えている」

「俺の気持ち信じてないの?」

 軽んじられたような気分に陥りテオフィルは反脣し、睨み付けた。戯けたように首を竦めたフォルトゥナートは苦笑する

「夢見心地なだけだ。叶うはずがないと思っていたんだから」

「それは、俺の台詞なんだけど……」

 望み薄だったのは自分の方だろうとテオフィルは視線を外す。

 これがどれ程の僥倖かテオフィルは理解をしている。

「無理強いはしないが、俺はフィルの全部が欲しい、独占したいと思っていることを知ってくれ」

 熱っぽい声でフォルトゥナートはテオフィルの耳元で囁く。剥き出しの欲望に、自分も同じだと、テオフィルは心の中で迎合を打つ。ユーディットに譲りたくないと、自分を誰よりも最優先して欲しいなんて究極の我欲だ。

「俺は、フォルトゥナートのことちゃんと好きだよ」

「ノルドより?」

 拗ねたようなフォルトゥナートの声にテオフィルは目を丸くする。

「なんで、そこでノルドが出てくるのさ」

「最近、気安いだろ。それに距離が近い」

「妬いてるのかよ」

「そうだ」

 臆面もなく頷いたフォルトゥナートにテオフィルは更に瞠若する。一刺しのように揶揄する為の軽口だったが、フォルトゥナートの言葉の重さにテオフィルは顔を真っ赤にして視線をウロウロと彷徨わせる。

「うろちょろして目障りだったから、何度か手が滑りそうになった」

 フォルトゥナートの剣呑な言葉にテオフィルはギョッとして見詰めれば、フォルトゥナートはやんわりと片笑む。

「あのさ、ユーディットの警護なんだからさ仲良くしなよ。ってか、ノルドは俺のことそういう意味で好きじゃないだろ」

 ノルドが関心を持っているのはユーディットだとテオフィルとて理解している。正の感情であれ負の感情であれノルドが軫憂しているのは肌感覚で分かることだった。

「――先刻だって近かった」

 肩に手を回されたのは初めての経験でテオフィルも正直なところ驚いたが、何よりも困惑したのはノルドの申し出だった。

「まぁ、正直、助かった」

 あのままノルドに押し切られて娼館に連れ込まれた果てを考えるとテオフィルはげんなりとして、

「色情を明け透けに言うのはなんというか、聞いてるこっちが恥ずかしいし。それに、なんか軽かったし。ちょっとは見直したというか、真面目なのかなと思ったけど、ヘラヘラしてて、女遊び激しそう。がっかり」

「軽佻浮薄なところは前からだろう。女遊びだって激しいのは有名な話じゃないか? 娼館に出禁を喰らったという噂も聞いたことがあるし、清廉潔白な男というわけじゃないだろう。だが、情欲は健全な男な証拠だ。普遍的な情動だ」

 ノルドの在り方に一定の理解を示しているフォルトゥナートに対してテオフィルは渋面を崩さない。春機が薄いからか、独占欲は理解出来ても生存本能に直結する部分にテオフィルは鈍感だった。

「仲が良い男同士ならそういう話は割とするだろう? どういう女が好みだとか、どういう嗜好があるとか」

「そうなのっ? 俺、そういう話題振られたことない」

「そりゃ、フィルは子供扱いされているだろうし、加えて、容貌がユーディットに似ているからな」

 酷似していることにそういった話題から爪弾きされていた要因があるのかとテオフィルはキッと眥を上げてフォルトゥナートを見詰めた。

「聖女ユーディットを想起して気まずいし、顔立ちが可愛いからな、新雪を汚したくないのと同じだろう」

「だからって仲間はずれは酷いだろ。ノルドは、誘ってくれた、けど」

「あの程度の遣り取りで顔を真っ赤にして物馴れていないんだから、無理をするな」

「無理なんてしてないしっ。俺だって――」

 繋いだ掌がじっとりと汗ばむ。手を離そうと引き戻す仕草をしたテオフィルの手をフォルトゥナートは逃がそうとはしない。更に指が強く絡められる。

「歩調は合わせるさ。嫌われたくないし」

 顔を真っ赤にして涙目になっているテオフィルの眥にフォルトゥナートは唇を寄せた。

「これぐらいなら、大丈夫か?」

「っ!!」

 ピシリと身体を硬直したテオフィルに、先は長いとフォルトゥナートは気落ちする。

 遠ざかった顔にテオフィルは拍動が大きくなったことを自覚する。長い睫毛は瞬きする度に音がしそうだし、薄い唇は艶めいていて誘惑してくる。

「だっ、だだだ、大丈夫だからっ」

 子供扱いされたくなくてそう告げるが、フォルトゥナートの顔を直視することは出来ずテオフィルは顔を俯かせた。頭上でフォルトゥナートが笑った気配にテオフィルは気恥ずかしくなる。悔しくて空いている手を握りしめて胸板を叩くが、耳朶に届いた忍び笑いに頬を膨らませてしまう。

「フォルトゥナート、酷いっ」

「悪い。存外、可愛らしくてな。安心してくれ。無理に事を進めようなんて考えてはいない。それでフィルの良さを損なったら元も子もないだろう。俺は、ユーディットや周囲の為に頑張る無鉄砲なところも気に入ってるし、浅慮なところも可愛いと思っている。何かあったら、俺がフォローするから好きなように振る舞えば良い」

 思えばフォルトゥナートのフォローに助けられていた、とテオフィルは過去を思い起こす。不手際をフォルトゥナートに補助されるのは珍しいことではなかった。どれも、自分が困却して悩んでいる時に救いの手が差し伸べられるものだから、理解されていることをテオフィルは実感する。

「今回だって、俺の軽はずみな行動で捕まったわけで褒められたことじゃないけど。俺は、なんも出来なかったというか、足手纏いだったし」

「積極的に褒めるつもりはないさ。同じことをしようとしたら咎めるかもしれない。他に良い手があるだろうって。フィルも捕まって、警備隊は頭を抱えていたけれど、フィルがユーディットを慮って行動しているのは誰だって分かる。それに、人質となって孤独だったユーディットにとってフィルの姿が見えたのはきっと意味のあることだった。軽挙を肯定することになるから口には出さないだろうけれど、感謝している筈だ。フィルが居て、きっと気を強く持って虚勢でもなんでも対峙しようとした。フィルはちゃんとユーディットの心を救えた。俺は、そう思ってるよ。自分が無力だなんて責める必要はない。フィルはちゃんとユーディットの力になれた」

 警備隊の一部から快く思われていないことをテオフィルは自覚している。今回の誘拐について詳細は警備隊の末端にまでは通達されていないが、要因となっているユーディットの出奔に一枚噛んでいることは推察されている上に、身柄を誘拐犯に拘束されていたのだ。咎められても不思議ではないし、今後どんな罰があるかテオフィルとて覚悟している。

「ユーディットが、一人で大丈夫って言っても俺も一緒に行くべきだった。それか、フォルトゥナートを待つべきだった。今、考えたらそれが最善だって分かるのに、どうしてか、あの時は、問題ないって思ってしまったんだ」

「………………」

「ユーディットが幾ら、度胸があって弁が立ってしっかりしてても、ノルドの言うように女の子なんだよな。俺がもっとしっかりしてなきゃいけなかった。嫌だって言われても、しつこくすべきだった。ん? どうした?」

 フォルトゥナートのフォローに喜びながらもテオフィルは自分の落ち度を思い出して反省し、フォルトゥナートの何か言いたげな視線に気付く。

「フィルは、そう思ったんだろ?」

「そうだけど」

「……なら、何故、押し負けたんだろうな」

「なんでだろう」

 質問にテオフィルが素直な感想を零せば、満足のいく回答ではなかったのかフォルトゥナートは不服そうな顔をしている。その様子にテオフィルは出来るだけ丁寧に返事をしなければと、

「――ユーディット、いつも我慢してばっかりだろ? だから、細やかな願いなら叶えてあげたいって思って」

 口早にそう告げるが、フォルトゥナートの色差しは曇ったままだ。

「まぁ、俺が気にしすぎなだけだな。ユーディットに甘いフィルなら、受け入れても自然だったか」

「甘いって、普通だろ」

「傍から見ると甘いぞ。嫉妬するぐらい」

 フォルトゥナートの悋気の片鱗が言葉の端々に見え隠れすることに気付きテオフィルは面映ゆくなってくる。

「あのさっ、ちょっと気になったことがあるんだけど」

 誘拐騒ぎで頭からすっぽ抜けていたことを思い出してテオフィルは問い掛けるが、その声は期待を滲ませていた。

「競技会の時の顕彰の時さ、口が――」

「当てたな」

 あっさりと認めたフォルトゥナートにテオフィルは肩透かしを食らうが、フォルトゥナートの耳がほんのり色づいていることに気付く。

「態と?」

「意識してくれれば良いと思って。あの程度ならばユーディットにも言い訳がつくだろう? 約束は違えていないさ。あの時分はノルドと近かったからな」

「だって――」

「だって?」

 鸚鵡返ししたフォルトゥナートにテオフィルは脊髄反射でぶちまけようとしたことを押し止めた。ノルドがユーディットを嫌っていたのは誤認だったのだが、笑顔が嫌いだという告白にテオフィルは余所事ながら怯臆した。ノルドを探るような眼差しで見ていた自覚がテオフィルにはある。あの当時は、警備隊の人間とユーディットの関係を円滑にしたくて、悪感情をどうにか取り除きたいとテオフィルは考えていた。結局、一人相撲を取っただけの空回りだったことを考えてテオフィルは自分の情けないところを披露するのも気が進まないが、渋々と口を開いた。

「ノルドが、ユーディットの笑顔嫌いだって俺に言うからっ、俺心配して」

「それで変に意識してたのか」

 得心いったとフォルトゥナートは頷いた。

「ユーディットの笑顔はユーディットの傷を隠すものだって、それが嫌だって。ユーディットに幸せになって欲しいから、愛の逃避行でも歓迎するとか警備隊としてあれなこと言うし、それは嘘っぽくないし、俺、ノルドの考えてることよく分からない」

「……余所行きの顔が気に食わないと言うことか。聖女であろうがなかろうが誰にだってあるものだろう。確かに、胸襟を開いていない相手に対してはあの笑みだがな」

「同情してるのかなって、思う。聖女という仕組みが気に食わないって言ってたし。警備隊の人がそういう風に思ってくれるの多分初めてじゃないかな。ユーディットを気遣ってくれて嬉しいけど、侮られてるような気もしてモヤモヤする。ユーディットは頑張り屋で、格好良いんだよ。そんじょそこらのことじゃ、泣き言言わないでしゃんとしてるんだよ。俺、ユーディットのそういうところ好きなんだ。年下だけど、凄いって、素直に尊敬してるんだ。だから、無体なことやられても、ユーディットの芯の部分を信じて応えられる」

「俺もそう思う」

 テオフィルの言葉にフォルトゥナートは嬉笑して、それに、と、言葉を重ねた。

「そう言えるフィルも凄いと思う」

 肺腑を衝かれたようにテオフィルは目を丸くすると、やおら、表情を収束させて微笑んだ。

「ありがとう――まぁ、掌の上で踊らされていたのは、思うところがあるんだけど」

 沸々とした怒りのような気配を察知したフォルトゥナートは苦笑した。


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