第41話 遮止




 事情聴取が一段落付いた為、ユーディットの身柄は王都クヴェレへ移されることになり、テオフィルとフォルトゥナートは各々荷物の片付けに追われていた。クヴェンと打ち合わせがあると立ち去ったユーディットの背を見送り、テオフィルはフォルトゥナートと二人きりとなる。立ち去り際、ユーディットの何か言いたげな眼差しを受けたテオフィルは急かされているようで胸の中でじりじりと焦がれる思いに平静を装うのが難しくなっていた。降って湧いた機会に言ってしまおうか、と旅行鞄に一通り衣服や携行品を仕舞い込んだ手を止めて、出立の準備をしているフォルトゥナートの背を見詰める。視界に姿を捉える度に胸に生じる淡い感情はテオフィルの事情などお構いなしに肥大していき真っ当な思考を阻害していく。期待と予防線によって天秤は容易く傾き、その度テオフィルの感情を乱していく。

「フィル、どうした?」

 フォルトゥナートの声に意識を呼び戻されてテオフィルの焦点が漸く定まる。自分の動揺を悟られたくないのかへらりとぎこちのない笑みをテオフィルは浮かべて頭を振る。

「なんでもない」

 ユーディットが話したもしもの話をテオフィルは想起する。将来、フォルトゥナートの傍らに見知らぬ少女がいたら、と想像するだけで胸に靄がかかるのだから自分の肥大化した独占欲に呆れ果ててしまう。ユーディットが示した可能性は何も特別なものではない。男女が婚ぐありふれた愛の結末だ。それから逸脱している自分の執心をテオフィルは持て余しても居る。告げたい、という欲求を口には出したが、その行動の重さにテオフィルは怯臆する。公にした愛の告白ほど質の悪いものはない。自身だけではなく相手をも飲み込む渦のようなものだ。

「………………」

 ジッとこちらを探るような眼差しに晒されてテオフィルは内心、浅ましい期待を嗅ぎ取られることを恐れながら笑みを浮かべる。

「……何でもないのなら、良いが――」

 視線を外したフォルトゥナートは小さく息衝く。どこか歯痒さが滲んだその吐息にテオフィルは気付くが、フォルトゥナートの考えに至らず首を傾げてしまう。

「………………」

 再度、フォルトゥナートの双眸に捉えられてテオフィルは身を強ばらせる。頼りない笑みで覆い隠した本心は波濤のように胸の中で暴れ回っている。この制御不能な感情を手放して楽になってしまいたかった。

「ユーディットと何かあったか?」

「ななな、何かってなにそれ」

 ユーディットに詳らかにした恋著を思い出したテオフィルは頬に朱を散らした。伏し目がちにテオフィルは口の中で言葉をもごもごと転がす。言うべきか言わぬべきか天秤は定まらない。それでも、ユーディットに話したことを嘘にするわけにもいかず、テオフィルはフォルトゥナートを窃視する。

「……様子が少し、な。俺を除け者にするなんて酷いじゃないか」

「除け者になんてしてない。俺がユーディットに――」

「ユーディットに?」

「っ!!」

 先を促すようなフォルトゥナートの声に気付いてテオフィルは頭を振る。

「………………」

 フォルトゥナートの眉間の皺が一層深くなる。

「あの、さ」

「っなんだ?」

 躊躇いがちに言葉を漏らしたテオフィルの言葉にフォルトゥナートは即座に反応する。テオフィルに気取られぬようにフォルトゥナートは一歩、距離を詰める。床を彷徨わせていた視線を上げてテオフィルは臍に力を込めた。

「……うん。実は俺――」

「ちょっと待ってくれ」

 衝動のまま先案じを放擲して愛の告白をしようとしたテオフィルはフォルトゥナートの言葉に遮られてしまう。

「えっ?」

「待ってくれ」

 顔を背けたフォルトゥナートは口元に右手を当て、左の掌をテオフィルに軽く向けて眉根を寄せる。不慮の出来事に困却するような素振りにテオフィルの中の緊張感が頂点に極まる。自分に気付かれるような落ち度はなかった筈だ、とテオフィルは自分に言い聞かせる。

「……それは、今じゃなきゃ、駄目か?」

「……うん」

 歓迎されていない気配を察知しながらもテオフィルは自分の想いを告げるという一点においては未だ譲る気は無い。残酷にも退けられようとも伝えるという行為そのものに価値を見出していた。

「……どうしても、か?」

「どうしても」

 腹を決めたテオフィルは強く頷く。普段ならばフォルトゥナートを優先して折れるところだったが、覆蔵することに耐えきれず重荷を直ぐに下ろしたいという衝動がテオフィルにはあった。

「………………」

 自分の告白に気付き掣肘しているのではないかとテオフィルは案じてしまう。困ったように額に手を当てて嘆息したフォルトゥナートをテオフィルは見詰めると、やはり迷惑だったのだろうか、と胸宇に不安が過ぎる。一度生まれた負の感情は雪だるま式に途端に大きくなる。退くべきだろうか、と逡巡したテオフィルが口を開こうとした刹那、フォルトゥナートが顔をテオフィルに向ける。射貫くような鋭い眼差しにテオフィルの口から零れた声は宙に解けた。

「心の準備をする時間をくれ」

「えっ?」

「大事なこと、なんだろう? ちゃんと、聞くから」

 猶予が欲しいと言ったフォルトゥナートが真率だからこそテオフィルは拒む術はなかった。向き合ってくれたことは嬉しいが、これは望み薄の恋ではないだろうかとテオフィルは頭の片隅で考える。うまく笑えたのだろうかと頬の引き攣りを自覚しながらテオフィルは頷いた。


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