第38話 冷眼と寒灰



 ノルドとエルラフリートの衝突に衝撃を受けた隊士達のメンタルケアという名の後始末をしたテオフィルとフォルトゥナートが歓談スペースで呆然としているユーディットを見付けたのは離れてから十五分ほど経った頃だった。傍らには共にしていたエルラフリートの姿はなく話が終わったことを示していた。

「ユーディット?」

 普段ならば近付けばこちらに顔を向けるだろうユーディットの無反応にテオフィルは訝しみながら声を掛けた。膝の上に揃えられているユーディットの両手が固く結ばれていた。

「っ、ぁ――テオフィル」

 声を掛けられて漸く気付いたと言った様子でユーディットはテオフィルの名を呼んだ。焦点の定まっていない双眸が自分を捉えたことにテオフィルは安慮しながら、先程と様子の違うユーディットが気に掛かってしまう。

「何か言われたか?」

「あー、うん。まぁ、そうね」

 エルラフリートと何かあったのだろうか、と自然の流れで問い掛けたテオフィルは、歯切れの悪いユーディットに意外性を感じる。どうとでも取れるような発言をユーディットは周囲にすることはあるが、自分に対しては明瞭だったことをテオフィルは実感していた。

「酷いこと言われたのか?」

 エルラフリートの聖女信仰をテオフィルは理解していたが、浮かない顔のユーディットから導き出される答えを口にした。

「いや、そうじゃないんだけど。そうね、なんというか――」

 どう感じたのかすらユーディットは持てあましているのかテオフィルに曖昧な言葉で濁す。

「分かっているのか分かっていないのか、よく分からないわ」

 我ながら抽象的だと思う言葉をユーディットが辛うじて紡げばテオフィルは怪訝な顔をするものだから、ユーディットは言葉選びの失錯を自覚した。

「想像していたよりも私のこと見られていた気もするし、そうでもない気もするし……複雑なのよ」

 少し噛み砕いたユーディットの言葉にテオフィルは咄嗟に頷くが、本当の理解には至っていない。ユーディットすら自分の判断に迷っているのだから、仕方がないことだとテオフィルは自分を内心慰める。

「見られていなかった、と思っていたから意外だったということか」

 傍らに居るフォルトゥナートの言葉に、ああ、とテオフィルは漸く自分の中で理解をする。

「それと、エルラフリートのことよく知らないって思い知らされたわ」

「自分は相手のことを知らない。そういう距離間だったから。だから、相手も自分を分かる筈がない、そういう認識か」

 ユーディットの躊躇いにも似た苦心を指摘をしたフォルトゥナートは薄く笑った。図星を指されたユーディットは気まずそうに顔を俯かせた。

「私の想像していた彼は実像とは少しちがうんじゃないかって思っただけ」

「仕方がないだろう。ユーディットは“国の犬”とは馴れ合おうとはしてこなかっただろう」

 フォルトゥナートの正論にユーディットは反論の言葉に詰まり、睨み付けてしまう。

「――まぁ、その警戒は間違いではないだろうが」

 用心は尤もだとフォルトゥナートが理解を示せば、ユーディットの表情が少しだけ和らぐ。

「エルラフリートは、ユーディットのこと監視とかそういう雰囲気ないけどな」

「甘いわね、テオフィル。口蜜腹剣て知らないかしら」

 即座にユーディットに否定されたテオフィルは首を傾げてしまう。

「だって――」

 いつかの光景がユーディットの頭を過ぎる。




 ■■■




 当事者なのにこの疎外感はなんなのだろうか、とユーディットは椅子に座りながら肩を落とす。豪奢な長机を挟んで目の前に座っている面々は聖哲局の人間である。せめて、傍にテオフィルかフォルトゥナートが居れば気分も違っただろうが、この場にはユーディットの側に立つ人間は居ない。部屋の入口には警備隊の隊士が名ばかりの警備をして、口を挟むことはない。贅を尽くした、と理解させる為の壁の装飾に、細工が施された調度品の数々に囲まれてユーディットは居心地が悪かった。ただでさえ気重なのに加えて、心が凋んでいく。ヒソヒソと書類で口元を隠しながら目の前で話されているのだからユーディットの気分も下降していく。ふと、こちらに視線が向けられてユーディットは居住まいを正した。

「――警備隊の報告によれば、予定時間を過ぎて施薬院のこども達と戯れていた、とあるが、その後、市長との顔合わせがあるのは把握していたのか?」

 右斜め前から鋭い眼光と共に掛けられた言葉は事実確認と言うよりは咎め立てるそれで、ユーディットは小さく息を飲み込む。

「はい。ですが、傷ついている子に――」

「理由を問うてはいない。計画の運行を阻害したという問題行動の話をしている。それ以上の発言は控えられよ」

 言葉を遮られて、尋ねられたことだけに答えれば良い、と暗に告げた軍人にユーディットはキュッと唇を噛みしめる。

「プロール殿、そう咎めなくとも宜しいではないですが。次の予定時間にも間に合ったのですし、不幸な子に慈悲深い聖女、それは民衆にとって歓迎すべき偽善ですよ」

 左斜め前の席に座る貴族から投げかけられた手酷い言葉にユーディットは膝の上に置いた両手をきつく握りしめる。自分の吐き出した言葉が毒に塗れていると、考えていないのか当の本人は柔和な顔を崩さない。

「ですが、予定外の行動は周囲に影響を及ぼす。特に警備隊の負担も考えるべきだ」

「それに対応するのが彼らの仕事でしょう」

「ハーネイ殿、警備隊は聖女のお守り係ではない」

「何を言います。今は、聖女に群がる民衆を制御するのが役目でありませんか。聖女を害そうとする賊などおりますまい」

「一事が万事ということがある」

「相変わらず、神経質な御仁だ」

 矛先が自分から離れてホッと一息吐いたのも束の間、ユーディットは目の前に座る、人好きのする笑みを浮かべた貴族と視線がかち合い、肝が竦み上がる。

「貴方の方から何か報告すべきことはありますか?」

 子細な報告が警備隊から聖哲局に日々送られていることを承知しているユーディットからすれば、付け加えることなどなかった。報告の中の自分はどんな風に描かれているのだろうか、それを知るのがほんの少しユーディットは恐ろしかった。

「いいえ。ありませんわ」

 頭を振ったユーディットに目の前に座る、ランプレヒトは笑みを深める。鳶色の目がこちらを見据えていて、後ろ暗いことがなくとも居心地が悪くユーディットは浮かべた笑みで誤魔化す。

「ブローチを、一つ紛失したと報告を受けています」

 ランプレヒトの言葉にユーディットは手放すことになったブローチを思い起こす。宝飾具の店によって作られた翡翠に金の縁取りがされたものだ。

「その通りです」

「そうですか、実は、ある隊士から、聖女が物乞いの子供にブローチを施したという通報を受けています」

 浮かべた笑みが強ばったのをユーディットは自覚しながら、頬に力を込めた。

 子供に強請られた時、その細い手首に胸を痛めて暫くの糧になればと手渡しのを見ていたのは傍に居た警備隊士だ。物腰柔らかく人好きのする笑みを浮かべた彼ならば、目溢ししてくれると思い込んだのはユーディットの事情だ。裏切られた、と勝手なことを思い、ユーディットは咄嗟に恨みがましげに入口に居る隊士に八つ当たりで睨んでしまうが、能面のように表情は崩れない。自分の行動が本当に筒抜けなのだと、ユーディットは思い知る。自由な時間もなければ、個人的な感情を差し挟む余地もない。

「紛失したと施した、では意味が違うのはおわかりですか? 報告は正しくなければならないのです」

「装飾品一つとっても、国の財産だ。しかも、物乞いになど――」

「誰に見られているわけでもないのに無駄なことをしましたね。パフォーマンスにもならないではないですか」

 善意を金品に換算するような物言いにユーディットは反論したくなるが、長机の端に座っている人間からも批難の声を浴びせられてしまう。彼らには人の血が通っているのだろうか、とユーディットは思いながら言葉の礫を受け止める。

「聖女ともあろう方が、嘘を吐くなんて、なんとも情けない」

「物乞いに本当に渡したのですか? まさか、掠め取ったのではありませんよね?」

「本物の聖女だろうか、聖女でなかろうが、どちらでも良い。国の為になれば、構わないさ」

「聖女様、よいですか? 我々の計画通りに行動して下さい。そうすれば、全てが上手くいくのです」

「失礼だが、聖女様は物を知らない。貴方が出来ることはせいぜい我々の望み通り動くことだけですよ」




 ■■■




「ユーディット?」

 言葉を途切り何かに思いを馳せている様子のユーディットにテオフィルは声を掛けた。

「………………なんでもないわ」

 隊士とは国に忠誠を誓っている存在で聖女が勝手出来る存在ではないと思い知らされた出来事を想起してユーディットは苦い顔をする。

「エルラフリートの語ることが全て本当だと安易に信じるのは危険だということよ」

「でも、ユーディットに対して害意ないだろ」

 崇拝と呼んでも差し支えないエルラフリートの様子を思い出してテオフィルはフォローするようなことを言えばユーディットは鼻で笑う。

「貴族だもの。腹芸は得意でしょう」

 額面通り受け取るわけにはいかない、と頑ななユーディットにテオフィルは手を焼いてしまう。警備隊に今迄隔意を抱いてきたユーディットの芯の部分を容易く解せるとは思わないが、誘拐事件を切っ掛けに好転すれば良いとテオフィルは考えていた。ノルドの発言に翻弄されたが、その裏にあったのは憂慮だったことをテオフィルは既に知っている。

「貴族って、そっか、そうだよな。エルラフリート偉ぶってないし、あんま印象無かった」

 ユーディットの言葉に今更なことをテオフィルは思い出す。

「警備隊は近衛隊と軍から選出された混成部隊だからな」

「えっ、そうだったの?」

 フォルトゥナートの言葉にテオフィルが驚きの声を上げればユーディットは額に手を当てて力なく頭を振る。

「何年私の傍に居るのよ」

「いや、だって、気が付いたら警備が付くようになってたから――」

 民衆にもみくちゃになる聖女の姿を見て聖哲局が取り計らったというのが端緒であるが、それはあくまでも表向きの理由であった。

「ノルドとエルラフリート、毛色が違いすぎるでしょうが」

 比較された二人を思い起こしてテオフィルは、ああ、と納得する。

「っていうことは――?」

「エルラフリートが近衛隊に所属していた貴族で、ノルドは軍所属の平民、でしょう?」

 詳しくは知らないのかユーディットは確認するようにフォルトゥナートの目を遣る。同意するように頷いたフォルトゥナートの顔を見てユーディットは、テオフィルに得たり顔を浮かべる。

「なんだよ。ユーディットだって詳しくないじゃん」

 思わずテオフィルが声を漏らせば、ユーディットは不服そうに唇を尖らせる。

「どこ出身か聞くなんて、品が無いでしょ。それに、立ち居振る舞いでなんとなく分からない?」

 実践向きの剣が軍のもので、剣舞にも似た優美な剣が近衛隊というユーディットの判断はあながち間違ってはいない。

「因みにクヴェンは下級貴族だが、軍所属経験者だ」

 フォルトゥナートの情報にテオフィルは感心したように頷く。

「よく知ってるな」

 数年一緒に居るが、そんなこと知らなかった、とテオフィルは自分の無関心さに少し驚いてしまう。

「まぁ、立場上、色んな噂も耳に入るからな」

「フォルトゥナートが女官達に人気で良かったわ」

 黄色い声援を受けているフォルトゥナートの姿を思い出してテオフィルは、彼女達が情報源か、と納得する。途端、胸に生じた黒い靄に心当たりがありすぎて、落ち込みそうになる。

「取り立てて何かをやったつもりはないが?」

「いいのよ。自然体で」

 怪訝な顔をするフォルトゥナートにユーディットは笑みを返した。

「あのさ、軍と貴族ってそんな仲悪いの?」

 対立軸として話されているがテオフィルとしては身近な話ではない為、現実感が全くと言って良いほどない。目の前で諍いがあったわけでもないし、可視化された嫌悪というものは承知していなかった。だからこそ、テオフィルは自然と告げたのだが、面食らったようなユーディットとフォルトゥナートの顔を見て、自分のしくじりを自覚する。

「貴族でも軍閥貴族は別だろうな。領地経営をしている貴族じゃなくて、文官と言った方が良いか」

「予算の取り合いとか噂でよく聞くわ。派閥が存在しているようだし」

 フォルトゥナートとユーディットの説明でぼんやりとだがテオフィルは理解する。

「聖哲局内でも軍寄りだったり貴族寄りだったりあるわね、うん」

 げんなりとして告げたユーディットには実感が籠もっていて、自分の知らぬ時に何かあったのだろうかとテオフィルは軫憂の眼差しを向けてしまうが、ユーディットは片笑んだ。



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