第37話 対蹠




 ユーディットの期待の眼差し、フォルトゥナートの同情の眼差し、テオフィルの怖じ気づいた眼差し、そういったものを一斉に浴びたクヴェンは、慌てて自分を呼びに来た隊士の説明とも言えぬ説明が、この状況によるものかと一瞬で把握した。他人を深入りさせない笑みを剥落させたエルラフリートと平素通り笑みを浮かべているものの眸睛に苛立ちが滲むノルドの二人をクヴェンは交互に見遣る。二人から事情聴取するのは得策ではない、と顎でクイッとノルドを呼び寄せて、空き部屋に招いた。

「僕は悪くないでーす」

 一通りの説明を淀みなく語った後のノルドの言葉にクヴェンは、否定の言葉を紡げず沈黙の肯定をする。それを正しく受け取ったのかノルドは更に言葉を重ねる。

「聖女ちゃんがおかしいだけなので叱っただけです。そしたら、過保護な奴が噛み付いてきただけですよ」

 悪びれもしないノルドの行動は確かに筋が通っていた。無茶を通したのはユーディットでそれを正そうとしたのがノルドだ。それが、傍から見て手荒なものだったとしても分があるのはノルドだ。少なくとも、クヴェンは個人的にノルドの行動を咎める気はない。ただ、警備隊の隊長としての振る舞いがある。

「護り手が聖女を脅してどうする」

「だって、あの子、分かってないんですもん。だから、イラッとしちゃって」

 軽いノルドの口吻が癪に障りながらクヴェンは溜息を漏らす。比較的他人と友好関係を築こうとするノルドの本音を引き出したユーディットの迂闊さにクヴェンは感心してしまう。

「世間知らずは元からだろ」

 昔に比べれば少しは垢抜けただろうが、クヴェンからすればユーディットは人の醜悪さを正しく理解していない。周囲に恵まれていたのだろうか、それとも善性に信服しているのかクヴェンには定かではないが、ユーディットの目算は甘いところがある。

「そうですけどね」

 同意したノルドはユーディットの甘さを疎んでいるのか苦い顔をする。厄介事を涼しい顔でこなしてきたノルドが珍しい顔をしていることにクヴェンは気付く。

「放っておけば良いだろう」

 以前と同じように、という言葉をクヴェンは飲み込んだ。ユーディットが変わったわけではない。ノルドがそれを許せなくなっただけだ。そんな単純なこと、指摘する義理は無い。

「いやいや、あれを野放しとか、状況を悪化させるだけですって」

 クヴェンの飲み込んだ言葉に気付かずノルドは頭を振る。踏み込もうとせず一定の距離を保っていたノルドを知っているクヴェンからすれば、今のノルドの方がどうかしている。

「だとしても、聖女を親愛しているエルラフリートの前ですることじゃないだろう」

 エルラフリートの底はクヴェンとて把握出来ているわけではないが、ノルドの行為が悪手だということ位は判断が付く。

「あれって、聖女ちゃんを縛り付けている呪いみたいなもんですよ」

「はぁ?」

「だってそうでしょう? 聖女様ならば、って暗にそれを選ばせている」

 クヴェンの返答は意味を問うたものではなく、何を言っているのだ、という意味だったがノルドは気にせず持論を展開する。

「信じているってことだろう」

 エルラフリートの言葉にそんな意味は孕んでいないだろうとクヴェンが弁明のようなことを告げればノルドは苦い顔をして頭を振る。恐らく言葉を尽くしてもノルドのその意見を翻すことは出来ないだろうと推察してクヴェンは発展性の無い会話を切り上げて話題の転換を図った。

「――っで、聖女の行動はあの男の沈黙を破ったのか?」

「……恐らく喋るんじゃないですか。目が違いましたし」

 マティアスがどう動いても構わないと言いたげなノルドは投げ遣りな反応をクヴェンに見せた。クヴェンとしてはユーディットの暴挙は警備隊の隊長として看過出来ないものであるが、対価としては十分なものだと感じていた。

「調書が捗るな」

 職務に誠実そうなクヴェンの言葉にノルドは口をもぞっと動かすが、音はまろび出ることはない。

「言いたいことがあるなら許可する」

 薄く笑みを漏らしたクヴェンの視線に促されるがノルドは頭を振る。

「いえいえ、隊長を煩わせるような些細なことですよ」

 吐き出せない言葉を舌の上で転がして、ノルドは言葉を飲み下した。

「そうか」

 それ以上の追及をしないクヴェンにノルドは笑みを見せた。




 クヴェンがノルドを連れて立ち去った後、お見苦しいものを見せました、とエルラフリートに恭しく頭を下げられたユーディットはそのまま見送るわけにいかず、エルラフリートを引き止めた。何処か静かに話が出来る場所、とユーディットはエルラフリートを連れて取調室から離れたが軍の施設の内部に詳しくなく直ぐに迷ってしまう。そんなユーディットをエルラフリートが慣れた仕草で歓談スペースにエスコートをしたのが数分前だ。利用している人間は居らず、ユーディットは椅子に腰を下ろした。飲み物を、と気遣うエルラフリートを無理矢理、隣の椅子に座らせてユーディットは何を話せば良いのか、と悩んでしまう。薄い皮膜越しにしか関係を構築出来ていないから、話の切っ掛けすら浮かばないことを自覚する。いっそのこと、フォルトゥナートとテオフィルを連れてくれば良かったかとユーディットは思うが、後処理をする為には二人には残ってもらうのが得策だと判断したのはユーディット自身だ。

「………………」

 ユーディットは横目でエルラフリートを確認する。臈長ける涼やかな相貌を曇らせていて、彼のファンならば誰もが胸を痛めるだろう、とユーディットは現実逃避に近いことを思ってしまう。クヴェンがエルラフリートを置いていったのならば、ノルドよりもエルラフリートの方が鎮めやすいと判断してのことだとユーディットは推察していた。だが、実際問題、何をどう告げれば良いかユーディットは言葉選びに苦慮する。自分の非は認めながらも聖女としてはそれを公言するのは憚られてしまう。エルラフリートの介入はユーディットからすれば大きなお世話だった。ノルドの怒りは全き正しく、それを受け止めるのがユーディットの出来る最大限の誠意だった。少なくとも、ユーディットはそう考えていた。言葉を吐き出せないつらさを理解しているユーディットはノルドに発散させる為にも真っ向から受けて立った。それを中断させたのはエルラフリートだ。エルラフリートの行動に善意が前提となっているのが分かるだけに上辺だけの礼を告げるべきか、ユーディットが脳内でシミュレートしていると横の空気が動く。

「余計な事をして、申し訳ありませんでした」

 想定外の謝罪がエルラフリートからもたらされてユーディットは瞠目する。

「えっ?」

 駭遽を笑みで覆い隠したユーディットは右隣に座るエルラフリートに顔を向ける。こちらをジッと見詰める鮮やかな翡翠のような双眸をユーディットは直視してたじろいでしまう。

「聖女様は怒りを受け止めようとしていました。それを邪魔をしたのは俺です」

 エルラフリートの言葉にユーディットは内心驚いてしまう。自分の行動の意図を正しく読んでいるとは考えていなかったのだ。ユーディットからすればエルラフリートは過剰に聖女を持ち上げていた為、自分の行動を都合良く受け取るとばかり考えていた。エルラフリートには自分はノルドに怯えているように見えていたから立ち入ったのだと勝手に思い込んでいたユーディットは目を瞬かせた。

「だって、私が悪いのよ」

 否定の言葉が返ってくるだろうか、とユーディットは思いながらエルラフリートの言葉を待つ。

「確かに、褒められた行動ではありません」

 エルラフリートの肯定の言葉にユーディットはまたも自分の持っていたエルラフリートの印象を覆されてしまう。聖女の言葉に肯うきらいがあると思っていたエルラフリートから漏れ出た言葉は窘めるそれだ。こんなこと今迄あっただろうか、と思い返してみるがユーディットには心当たりはない。エルラフリートに向き合ってこなかったユーディットは彼の理想とする聖女像から逸脱していないから認められている、という認識しかしていなかった。期待からはぐれた時に彼の地金が見えるのだろうと、ある種諦観もしていた。だが、刻下、それが見え隠れしている。

「確かに、あいつの怒りに一定の理解はあります」

 あいつ、と粗野な言葉遣いをするエルラフリートにユーディットは思い返してみるが荒い口吻には覚えがなく恐らく初めてではないかとユーディットは頬を引き攣らせた。

「なら、止めなきゃ良かったのに」

 助けられて可愛げのないことを言っていると自分を苛みながらユーディットは言葉を紡いだ。ノルドの好きにさせれば、幾許か気も晴れただろう。

「それは駄目です」

 はっきりとしたエルラフリートの言葉がユーディットの耳朶に触れる。

「女子供に手を上げるのは許せない?」

 清廉潔白で、育ちの良いエルラフリートならば道義的なことだろうか、と推断してユーディットは軽やかに告げる。

「いいえ、必要ならば俺もそうするでしょう」

 エルラフリートから漏れたらしくない言葉にユーディットは、本当にエルラフリートの何も知らないのだと思い知らされる。

「ならば、何故?」

「俺が個人的に気に食わなかったからです」

 随分と俗な台詞が出た、とユーディットは内心驚く。順法することに苦を抱かないエルラフリートにしては珍しく感情を優先していた。

「本来ならば、聖女様の望みを叶えるべき場面でした。黙って見守っていれば良い。あの男も本気で傷付けはしないと頭では分かっていました。けれど、聖女様へのあの態度、どうにも腹に据えかねて我を忘れました」

「ノルドのあれは、間違いではないわ」

「――ですが、あれはあまりにも子供の癇癪ではないですか」

 正当な怒りを癇癪と頑是無い子供の振り回す主張としたエルラフリートにユーディットは瞠若し、噴き出しそうになるのを押し止めた。

「非は私にあるわ」

「思い通りにならないから八つ当たりしただけですよ」

 エルラフリートのような考え方もあるのかとユーディットは暢気な事を考えながらこの場に居ないノルドに対して気が差す。

「謝らなきゃ駄目ね」

「謝る必要はないですよ」

 妙にきっぱりしたエルラフリートの言葉にユーディットは俯かせていた顔をあげてエルラフリートを見詰める。

「だってもし同じ場面に遭遇したら同じことをするでしょう?」

 悔いの一欠片もないことを見抜かれてユーディットは容に一瞬、遽色浮かべる。ユーディットを見詰めてエルラフリートは笑う。

「それは――」

「間に合わせの謝罪は聖女様らしくないです」

 聖女らしさ、を口に出されてエルラフリートの中の聖女とは一体どういう存在なのだろうかとユーディットは少し気に掛かる。

「私は、貴方の思うような聖女じゃないわ」

 キラキラと穢れのないものを見詰めるその目が負担でユーディットは思わずそう言葉を漏らしていた。

「………………」

「………………」

 沈黙が落ちてユーディットは、不用意な言葉は失錯だったかと自分を内心責めてしまう。

「面白いことを言いますね」

「は?」

「貴方自身が聖女なのだから、在り方が揺らぐなんてことはないでしょう?」

 額面通りの言葉なのだろうか、とユーディットは不安に思いそれが隠すことが出来ず表情に出してしまう。

「聖女様は自分の心の美しさをもっと自覚するべきです」

 エルラフリートの誉めそやす言葉は面映ゆさよりも居心地の悪さをユーディットに与えた。自分に自信が無いのは過去の自分を誇れないからだ。眉を顰めるような狡さだって、卑しさだって自分の中に巣くっているのをユーディットは自覚している。等身大の自分の矮小さと乖離した聖女像は背負うには重い。

「貴方だから、彼を救いたいと思ったんです」

「濡れ衣は可哀想でしょう?」

 緘黙したまま、主犯になんて祭り上げられてしまえば最悪の不幸が待ち受けているのは目に見えて分かることだ。どうかしたいと願うのは大凡の人間が持っているであろう、善心だとユーディットは思っている。

「可哀想だな、と思うだけですよ。俺は」

 淡々とした物言いのエルラフリートが気に掛かったが、ユーディットは自分と同じことだろう眼居で訴える。

「思うのと動くのでは決定的に違いますよ」

 別物として扱うエルラフリートに納得出来ずユーディットが首を傾げればエルラフリートは薄く笑った。

「自分の犯した罪に対する罰を背負うべきだと思うの。だから、他人の罪を負わせられるのは正しくないと思うわ」

 ユーディットの言葉にエルラフリートは視線を落とす。膝に置いていた両手を所在なさげにエルラフリートは動かした。

「そう、衒い無く言える貴方は誰よりも“聖女”ですよ」

 言葉に嘘が濁っていないことが尚更質が悪い、とユーディットは苦笑いの裏でそう思う。肥大化する聖女像は首に纏わり付き、何れ、縊られそうだ。そうありたい、と願う気持ちは誠なのだからとユーディットは凋んだ気力を奮わせた。




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