第35話 交わらない主張




 沈黙が怖い、とテオフィルは目の前の光景を見て思い、咄嗟に助けを求めるようにフォルトゥナートに視線を走らせる。部屋の壁に背を預けて扼腕しているフォルトゥナートはテオフィルの視線に気付くが、お手上げだと言いたげな様子で頭を振った。ならば他にこの状況を打破出来る人間は、とテオフィルは部屋の中央にいる当事者以外を見詰めるが、壁際に居るノルドはへらへらとした締まりのない笑みを収束させて真顔だし、エルラフリートも渋い顔をしている。益体無しから視線を外したテオフィルはこの部屋のひりついた空気を醸成しているユーディットとクヴェンに視線を注いだ。

「――この、分からず屋っ」

 沈黙に焦れたユーディットが自分よりも数段大きなクヴェンを見仰いで罵る。ユーディットには気負いはないが、傍から見れば仔猫が猛獣に食ってかかるようなものだ。ハラハラとしているテオフィルに気付くことなく、ユーディットはクヴェンを睨み付ける。

「どっちがだ。何度同じ事を言わせる」

 ユーディットの睚眥になんの痛痒も感じていないとクヴェンは平素と変わらずユーディットをあしらう。

「加害者に被害者を会わせてどうする」

 息を一つ吐いたクヴェンは呆れた声で何度目かになる言葉をユーディットに投げる。クヴェンの言葉でテオフィルはユーディットが誰かとの面会を望んでいることに漸く気付く。部屋に入室した時から先程の状況だったからテオフィルは合点がいった、と内心手を叩く。

「ちゃんと話さなきゃ駄目だと思うの」

 クヴェンを真っ直ぐに見詰めるユーディットの双眸は真摯で、それが正しいのだと疑っていない。聖女らしいその言葉にクヴェンは呆れ半分で何度目かになる言葉を紡ぐ。

「必要ない」

「マティアスが黙っているのは理由があるのよ」

 ユーディットの言葉に同意しながら、許可出来ないとクヴェンは心の中で迎合を打つ。

「自分ならそれをどうにかできると?」

 鼻で笑ったクヴェンにユーディットは馬鹿にされているようで慍色を顔に滲ませるが、気を取り直したのか得たり顔で胸を反らして手を這わせる。

「そうよ。私なら出来るわ」

 自信に満ち溢れたユーディットにクヴェンは溜息を漏らす。クヴェンとて変化をもたらすことは出来るだろうと算段している。だが、ユーディットを動かすべきかという一点において渋っている。

「確証は? まさか、幼馴染みだからなんて馬鹿げた理由じゃないだろうな」

 ユーディットの願いを退ける為にクヴェンが意地悪く問い掛ける。

「ぐっ……」

 急所を狙われたかのように押し黙ったユーディットはクヴェンから視線を外して渋面する。

「しかも、二人きりで会わせろだ? 頭がまともに動いていないようだな」

 ギロリとクヴェンの鋭い眼差しがユーディットの頭頂部に突き刺さる。

「それは――」

 自分でも無理を言っていると自覚しているのかユーディットは顔を曇らせる。

「被害者がそうしたいって言ってるんだから、別に良くない?」

 クヴェンの正論は分かるがユーディットの軫憂も理解出来るものだとテオフィルは思わず口に出してしまう。深く考えずポロリと漏れた言葉にしまったとテオフィルが思ったのはジロリとクヴェンの視線が突き刺さった時だ。

「ひぃぃっ」

 思わず漏れたテオフィルの細い悲鳴にユーディットはクヴェンを見上げる。

「そっ、そうよ。私が大丈夫って言ってるんだもの。会わせてよ」

 真摯で直向きな様子は健気で、願いを叶えてしまいそうになる。報われさせたいと一瞬過ぎった考えをクヴェンは頭の中で蹴散らし、咨嘆する。どうして会いたいのか、と尋ねることを無意識に避けている自分にクヴェンは気付いていなかった。

「女の細首、男の片手で事足りる」

「マティアスはそんなことしないわ」

 随分と買っているではないか、とマティアスは返答しそうになるが言葉を飲み込んだ。ユーディットの返す言葉は容易に察しが付く。

「ほんの少しで良いのよ。ちゃんと向き合わなきゃいけないと思うの」

 誘拐犯を慮る言葉は助けた自分達を蔑ろにするものではないと分かりながら、胸に蜷局を巻くような不快感にクヴェンは顔を歪める。

「――会わせるだけだ」

 決して交わらない遣り取りに嫌気が差して投げ遣りのように告げたクヴェンにユーディットは曇らせていた顔を晴れやかにする。ノルドとエルラフリートからの落胆と失意の眼差しにクヴェンは、だったら口を挟め、と心の中で詰った。




「ねぇ、二人きりにして」

 ユーディットにクイッと袖の端を掴まれたノルドは笑顔のまま顔を硬直させる。途端、沸いた感情をノルドは押し込めて笑みを深める。

「いやいや、被疑者と被害者二人きりとかないから」

「ケチね」

 吝嗇家とかどうかはこの際関係ない、とノルドは心の中で突っ込んだ。クヴェンが根負けした所為で取り調べをしている部屋にユーディットをノルドは連れて行く羽目になっている。他の取り調べに行っているクヴェンとエルラフリートは離脱しているが後ろにはフォルトゥナートとテオフィルも控えている。

「姿見るだけ、だからね」

 未だ諦めていないユーディットに念押しのように告げるが手応えがなさ過ぎてノルドは、こちらに厄介事を放り投げてきたクヴェンに恨み言の一つでも言いたくなる。

「分かってるわよ」

 フイッと顔を背けたユーディットの姿にノルドの心に沸き立ったのは不安だ。なにかするのではないかという危惧が大きくなるが、創造で膨らませた懸念は手の打ちようがない。


 ――ガチャ


 狭い取調室の扉を開けて、中に居る人物をユーディットに一瞥させようとする。手荒いことが許されるのならば、本来ならば、こんな暢気な取り調べではなく拷問部屋に連れて行くべき人間だ。

「ほら、満足し――」

「ごめんなさいっ」

 謝罪をしながらユーディットはノルドの足を思い切り踏みつけ、両手でノルド押し退ける。ノルドの手からドアノブが離れる。バランスを崩しかけたノルドの手が再びドアノブに伸ばされるが、後ろから強い力で引かれてしまう。

「フォルトゥナート、宜しくっ」

 身体が引っ張られた、とノルドが挽回の動作に動こうとするのとユーディットの声は同時だった。無情に閉じられる扉の隙間から見えた、椅子に呆然と座っていた男の容に走った驚愕に、意思の戻った双眸に、ノルドは、目は心の窓だと言った誰かの言葉を思い出していた。


 ――カチャン


 無情にも鍵の掛けられた音にノルドはフォルトゥナートの拘束を振り解くには至らず、なんとか自由になった片手でドアを激しく叩く。

「おい、こら、クソアマっ!! 開けろ」

 ドンドンと繰り返される音にも部屋の中から返答は無い。

「くそっ。聖女になにかしてみろ、殺すぞ」

 ユーディットではなくマティアスにそうノルドは吐き捨てた。

 大きな音に隊士が数人何事かと近寄ってくる。

「鍵もってこい。直ぐ!!」

 フォルトゥナートの腕から逃れたノルドは舌を鳴らしてユーディットの企みの片棒を担いだフォルトゥナートを睨めかける。

「どういうつもりだ。聖女になにかあったらどうする!!」

「ユーディットなら大丈夫だ」

 恬として揺るがないフォルトゥナートの様子にノルドは苛立ちが募っていく。その反面、沸騰した感情が奇妙なほど静まりかえり、感情の水面は波紋一つない。

「何それ、聖女ちゃんなら大丈夫って」

「ユーディットだからな」

 理解者然とするのも気に食わないが、ユーディットを独りにすることを躊躇わないことにもノルドは理解が及ばない。

「それは信頼じゃなくて、無責任って言うんだよ」


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