第34話 暴く男
威圧感がある、とユーディットは後ろを歩く男の気配を背中で感じ取りながら心の中でぼやいた。聴取は夜まで長時間行われたが、肝心な核心に触れていないことにユーディットは居心地の悪さを感じる。それを重要視していないのならばユーディットからすれば有り難かったが、自分がその立場であったのならば聞くことが普通なのだから気味の悪さだけが心に残る。配慮だとでも言うのだろうか、と思えば反発心のようなものが頭を擡げるのだから我ながら可愛げがない、とユーディットは胸に渦巻く黒い感情を持てあます。他人の善意を受け取って愛らしく微笑めば良いのに、未だ割り切れないことがあった。
窓の外は暗くなっており、灯りがまばらに煌めいている。
不意に立ち止まってユーディットは後ろに居たクヴェンを振り返った。
「ここで良いわよ。態々部屋まで送ってくれなくても」
「俺に仕事で手を抜けと言うのか?」
貴方の為だ、と言われれば振り払う術はいくらでもあるのに自分の為だと断言されてしまえばユーディットは二の句が継げない。
グルリと前に身体を向けたユーディットは足を進める。沈黙を肯定と受け取ったクヴェンはユーディットの後ろを付かず離れず一定の距離を保つ。
「じゃあ、本当にここで」
宛がわれた部屋の前で立ち止まったユーディットはクヴェンを見仰いでそう告げる。目覚めなかったユーディットの為の部屋は普段とは違いフォルトゥナートやテオフィルとは同室ではない。中から出迎えてくれる人も居ない、と鍵をドアノブに差して回してカチリと音が鳴ってユーディットはドアを開けた。
「なにして――」
帰ろうとしないクヴェンの様子に気付いたユーディットが声を掛けようとすれば、クヴェンはユーディットの腕を掴んでズンズンと奥へと入っていく。
「ちょっ、何よ」
ユーディットの抗議の声をにべもせずクヴェンはユーディットをそのまま部屋の中央に鎮座しているベッドに放り投げる。ベッドのスプリングでユーディットが数回跳ねた。睨み付けてきたユーディットを見下ろしてクヴェンは本題を口にした。
「何をされた」
その言葉にユーディットは唇を噛みしめて視線を外した。聴取は終わったと考えたのは早計だった、とユーディットは甘い考えを持った自分を内心叱責した。
「話した通りよ。テオフィルからも聞いたんでしょ?」
「テオフィルと合流する前の話だ」
肯綮を外さない男だと心の中でユーディットはぼやいてクヴェンを見仰いだ。ああ、これと同じ角度だった、とユーディットが認識した途端指先が小刻みに震える。
「――何も」
クヴェンに一歩距離を詰められてユーディットの呼吸は浅くなる。クヴェンの左手がユーディットの右手首を掴み、クヴェンの右手がユーディットの左肩を掴む。震えたユーディットの身体を気に留めずクヴェンは今度は右手でユーディットの左の膝頭にスカート越しに触れ、左手でユーディットの右肩を無遠慮に掴んだ。
「っ!!」
「こうか」
途端、這い回る気持ち悪さにユーディットは身体を強ばらせた。振りほどけない男の力にあの時の感覚が蘇ってくる。
「っ、放してっ」
「どこまでやられた? 素直に吐け」
一気に心で膨らんだ恐怖にユーディットは身を震わせて首を横に振る。肺から喉奥に這う漏れそうな声を押し止めれば、視界がぼやけてユーディットは無様な自分を晒したくないと咄嗟に顔をクヴェンから背けた。
「退いてっ、お願いっ」
暴かないで、惨めにしないで、と懇願を込めたユーディットの言葉をクヴェンは冷たくあしらう。
「言え」
クヴェンの右手がスカートを捲り素手でユーディットの太股を掴む。クヴェンがベッドに膝を付いて身体をこちらに重ねようとする様子に一層、身体を硬直させたユーディットが嫌だと頭を振る。
「っ――!! さっ、触られて、性器、太股で挟まされて、精液かけられただけ、だからっ」
色を失ったユーディットは半ば自棄になって叫んだ。
「っ!!」
ユーディットの告白にクヴェンは覆い被さっていた身体を起こしてユーディットから手を放す。
「既遂じゃなくて未遂か」
安慮に彩られたクヴェンの声は半泣きのユーディットの耳には届くことはなかった。組み敷かれた態勢からユーディットは上半身をやおら起こす。
「やめてよ。私を憐れんだら殴るわ」
ベッドの端に腰掛けたクヴェンを睨んでユーディットは怒りを訴えるがクヴェンは涼しい顔を崩さない。クヴェンの視線から逃れるようにユーディットは顔を俯かせる。上下する肩はユーディットの乱れた感情を示していてクヴェンは思わず手を伸ばそうとするが、途中で我に返って手を引き戻した。
「それで少しは気が晴れるか?」
聖女がそれで万全に務まるというのならば身体を預けても良いとすらクヴェンは思う。
「優しくしないで、調子が狂うから」
手の甲で目の付近を拭う仕草を見せるユーディットの姿にクヴェンのなけなしの罪悪感が刺衝される。気重になろうとも自分が優先したのはユーディットの安穏ではなく警備隊としての立場でニールマンを脅すよりもユーディットの口を割らす方が簡単だとクヴェンは判断した。気が差すなんてまともな人間のように思うことすら権利がないとクヴェンは密やかに自分を戒める。喉の奥に張り付くような苦いこれは選ばなかった者に与えられる悔いのようなものだ。
「満足でしょう。出てって」
慰藉を求めないユーディットの言葉に自分の立ち位置を教えられたようでクヴェンはベッドから立ち上がった。自分が立ち去って、きっと、この女は自分で立ち直せると確信に似たものをクヴェンは抱く。先程、あれほど震えた声が、芯のある声になっておりユーディットの頑強さの片鱗をクヴェンは目視する。
「ああ」
こちらを見ようとしないユーディットの強情さにいっそ感服しながらクヴェンは言い忘れたことを思い出す。
「別段、白地に調書に書く必要は無い。事実関係を知りたかっただけだ」
「………………」
言葉が返されない据わりの悪さを感じながら、素直に真情を吐露出来ないユーディットに哀情を抱く。何を告げるべきか、何が最適解か考えた果てに諦めて手放したのだろう。
「――聖女を運用する為に共有しなければいけないことでは?」
「ニールマンの言葉を借りればそんなことをしなくとも“聖女として問題が無い”からな」
ニールマンの名にユーディットの肩が小さく跳ねた。態と事実を伏せていた愉快犯を思い起こしてユーディットは沸々と怒りが沸き上がってくる。クヴェンの手酷い問訊はニールマンの所為だと心の中で罵倒する。
「聖女は何ら穢されていない。そうだろう?」
「――ええ」
頷いたユーディットの頭の旋毛が前後するのを目視してクヴェンは真っ赤になったユーディットの双眸を想像し、見えないことが少しだけ惜しく感じる。薄い皮膜を張って蕩けている蠱惑的なそれを直視せぬようにクヴェンはドアへ足を向ける。背後でホッと息を吐き出したユーディットの音を聞きながら、クヴェンは立ち止まった。
「聖女として何か必要なことがあれば言えば良い」
片意地を張る質のユーディットに何の意味の無い言葉だと思いながらクヴェンは振り返り、そう告げた。
困却した時に、聖女に踏み止まらせる縁になれば良いと期待を込める。
絡まない視線にクヴェンは納得して今度こそ部屋を後にした。
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