第33話 浅ましい願い




 目覚めたユーディットに配慮はあれど聴取の時間が設けられたのは当然で、必然的にテオフィルはユーディットと話す時間が削られていた。目覚めてから一晩経っただけではないか、もっと休息を与えれば良いのにとユーディットを慮るような言葉がテオフィルの脳裏を過ぎるが、その実、身勝手な願いを孕んでもいた。本当は聞いて欲しいことがあるなんて、そんなただの自己都合優先されるべきではないと理解していても頭の中に蜷局を巻いているのはユーディットとフォルトゥナートの関係だ。今更ながら気付いた自分の甘さや鈍さは疎ましいばかりでテオフィルは気重になる。ロマンス小説のように聖女と騎士なんて相応しい主人公、身近にいるのに直視しようとはしてこなかった。自分の気持ちですら向き合ってこなかったのだから、その他に対して手緩いのも当然のことであった。思い返してみれば恋慕の片鱗など二人の関係性には窺えなかったではないかとテオフィルは気を取り直して、宿舎の廊下を進む。部屋で待機しているのも窮屈で、かといって外出するのは拘束されているユーディットに対して気が差してテオフィルは廊下をウロウロとしていた。

「何やってるの?」

 怪訝な声が背後から掛けられて、漸くテオフィルは人の気配を察して振り返った。

「ノルド…さん」

 ユーディットとクヴェンの遣り取りを思い出してノルドを呼び捨てにすれば良いのか迷った挙げ句テオフィルが小さく言葉を重ねればノルドはやれやれと首を竦める。

「隊長が呼び捨てで僕がさん付けとか気持ち悪いでしょ」

「まぁ、そうですけど」

 あっさりと割り切れているノルドに対してテオフィルは気を揉む。

「っで、何やってるのさ。先刻からウロウロと」

 目撃されていたのかと羞恥で顔を紅潮させたテオフィルを気に留めることなくノルドは顎をクイッと動かしてテオフィルを誘う。

「暇ならちょっと付き合ってよ」

「俺が?」

「そっ、話し相手。ちょっと考えが纏まらなくてね」

 話し相手として適確なのだろうか、とテオフィルは一瞬思うが深く考えず、肯定と受け取ったのか先を進んだノルドを追い掛けた。

「ってか、ノルドも忙しいんじゃないの?」

 警備隊は捕縛した誘拐犯達の調書作成に取り掛かっている筈だから、当然浮かんだ疑問をテオフィルは口に出す。

「休憩だよ、流石に長時間は疲れるし。ほら、他の奴に引き継いだし」

 手近の空き部屋に足を踏み入れたノルドはテオフィルが入室したのを確認すると扉を閉めた。

「誘ったのにお茶とかなくてごめんね。持ってこようか?」

「別にいいし」

 待機室の一つなのか寝具が設置されておらずソファが部屋に幾つも整然と置かれていてテオフィルは手近にあった一人掛けのソファに腰を下ろした。

「話し相手って何? 俺が役に立つとは思わないけど」

 自分で言うのもなんだが、益にはならないとテオフィルは言葉を続ければノルドは薄く笑った。

「影ちゃんは、本当良い子だよね」

 テオフィルの近くにあった一人掛け用のソファに腰を下ろして、ノルドは身体をテオフィルの方へ向ける。

「ずっと思ってたんだけど、その影ちゃんっていい加減止めてくれないかな。舐められてるみたいだし」

「じゃあ、テオフィルちゃん?」

 好転していない、とテオフィルは項垂れると諦めた方が精神衛生上良いかもしれないと思い直す。

「なんでちゃん付けなんだよ。俺、男なんですけど」

「だって、可愛いし」

 童顔なことを婉曲して言われたような気がしてしまいテオフィルは反脣すれば、ノルドから生暖かい視線を返される。

「もう、勝手にすれば良いよ。それで、何?」

 主題に水を向けたテオフィルの言葉にノルドは笑みを収束させると、視線をテオフィルから外して、再度テオフィルを捕らえる。ノルドの見せた逡巡に平素とは違う様子を感じ取りテオフィルは首を傾げる。これまで付き合ってきたノルドは尻込みする様子は見せてこなかったし、思い切りが良かった筈である。

「んー、あのさ――」


「――聖女ちゃんって騎士様好きなのかな?」


 テオフィルの脳天に雷霆が落ちる。

「は?」

「いや、だってさ、気安いしね。騎士様には触れるみたいだし、あのマティアスが外れなら、そうしたら騎士様かなって」

 ノルドの言葉がテオフィルの右耳から左耳へと通り抜けて脳へと到達しない。ただ、ユーディットがフォルトゥナートを好きだという可能性がテオフィルの脳を揺さぶった。

「影ちゃん?」

 反応せず硬直したテオフィルに、聞いてるのかとノルドは声を掛ける。

「ふぉ、フォルトゥナートは、違うんじゃないのかなぁ……」

 願望を込めたテオフィルの声は酷く弱かった。テオフィルの動揺を汲み取ることが出来なかったノルドは追い打ちを掛けるような言葉を続ける。

「そう? ずっと傍に居て自分を守ってくれる男なんて普通の女の子は惚れるでしょ。しかも、あんだけ顔が良かったら尚更だよね。なんか聞いたことない?」

 こちらの心底を窺うようなノルドの眼差しに耐えながらテオフィルは混乱極まる脳内でなんとか言葉を拾い上げようとする。

「しっ、知らない。俺、そんなの知らない。なんで、そんなこと聞くの?」

「いやだってさ、例え聖女ちゃんが好きだったとしても、騎士様はお薦め出来ないでしょ。あれは、粘着気質っぽいし。幾ら強くたってちょっとね――」

 フォルトゥナートを貶すノルドにテオフィルの中の邪心が浅ましい期待を囁いた。

「応援しないの?」

 恋路を妨害するのかとテオフィルはノルドに言外に問い掛ければ、ノルドは溜息を漏らした。

「ビジュアルはお似合いだし、聖女ちゃんがどうしてもって言うなら考えないでもないけど、騎士様ね――」

 想望を裏切るノルドの言葉にテオフィルの膨らんだ気持ちが一瞬で収縮する。あっけなくぺしゃんこにされたそれは、他人を当てにすることの虚しさを教えるようだった。

「ユーディットが誰かに恋してるとか、そんなの、俺、知らない」

 聞かされていない、と言葉を重ねたテオフィルは衝撃を受けていてノルドは仲が良いように見えたが外れだったのか、と自分の悪手を疎んだ。

「そっか。ごめんね、変なこと聞いて」

 これ以上会話を続けても新たな情報は収集出来ないだろうとノルドは諦めを抱いて話を切り上げようとする。

「そっ、そんなに二人お似合いかな」

 お前は違うのだと言われた気分に陥ったテオフィルは咄嗟にそう尋ねてしまう。脈絡のない言葉にしくじったとテオフィルの顔に焦りが滲むが考え込むノルドに気付かれることはなかった。

「そりゃ、肩書きも釣り合ってるし、二人共顔立ち整ってるし。民衆が諸手を挙げて歓迎しそうなカップルだよね」

 大多数が祝福するだろうと告げるノルドの言葉からは本人が除外されているがテオフィルは気付くことなく額面通り言葉を受け取って更に意気阻喪としてしまう。

「まぁ、聖女ちゃんが恋しているって前提の話だけれどね」

 ノルドの言葉に一縷の望みを得てテオフィルは顔を上げれば思案顔のノルドを視界に捉える。

「マティアスっていうのに固執してたからそうなのかなと思っただけ。ただ、それも僕的にはなんかしっくりこないなぁって思って」

 自分の中の考えが纏まっていないのか思考の断片をノルドは披露する。だが、ユーディットがフォルトゥナートを好きかも知れないという可能性を提示されたテオフィルからすれば一大事である。

「ユーディット、幼馴染みに会いたくて俺に協力を仰いだから、ただの幼馴染みなわけではないと俺も思ったけど……」

 甘ったるい雰囲気はなかった、とテオフィルは心の中で言葉を続けた。

「でしょ? やっぱそうなのかな。それならそれで良いけど」

「なんでそんなこと気にするのさ」

 ユーディットの恋愛事情を把握しておきたいとでも言いたげな様子のノルドにテオフィルは疑問を抱く。

「僕はあの子には幸せになって欲しいって言ったでしょ」

 何を疑問に思うことがあるのだとノルドは何時かの言葉を繰り返す。あの時とは違って、テオフィルの心の中に否定する感情は頭を擡げないが理解に至らず首を傾げる。


 『――ユーディットちゃんには幸せになって欲しいんだよ』


 そこには嘘はないのだろう、とテオフィルは言葉を受け入れる。

「女の子の幸せとしては恋愛、結婚、なんて最短で端的でしょ。あの子を幸せに出来る度量があるかどうかは別だけど」

 恋愛の果てに幸福があると信じているノルドは見た目よりも余程常識的だ。それに固執しているのならば柔軟性に乏しいとしか言えないが、幸福の一欠片には違いは無かった。

「ユーディットはちゃんと自分で幸せを見付けられるよ。誰かに幸福にしてもらおうなんて思ってないよ」

 洪福は誰かによってもたらされるものだとテオフィルの知るユーディットは恐らく思っていない。自分から行動しないのは受け身ではないかとテオフィルはノルドに注意するがノルドは深くは受け止めない。

「彼女は幸せになるべきだ。あの歳の子の幸せはそんなもんだよ」

 違うと抗言出来る程の自信があるわけでもなく迷った挙げ句テオフィルは口を閉ざすことを選択した。付きまとう違和感の正体に確証を持てずテオフィルはノルドからもたらされた言葉に心を重くするほかなかった。



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