第31話 経緯




「ユーディット、大丈夫!?」

 隊士からユーディットが起きたと聞いて矢も楯もたまらずユーディットに宛がわれた部屋に飛び込んだテオフィルはベッドの上で上半身を起こしているユーディットを視界に捉えた。

「大袈裟ね」

 テオフィルの声が大きいとでも言いたげな様子で蟀谷に手を当ててユーディットは声を紡ぐ。思いの外細い声はユーディットが病人だと言うことを強調するようでテオフィルは思わず口を手で覆った。

「病人だということを忘れないで欲しいな」

 ニールマンの注意にテオフィルは申し訳なさそうに頷くとユーディットに顔を向けた。

「ユーディットっ」

「フィル、少し落ち着け」

 背後からのフォルトゥナートの言葉にテオフィルは一旦気持ちを整えるように深呼吸をする。

「ユーディット、本当に大丈夫? どっか、痛いとことか、気持ち悪いとか――」

「大丈夫よ、本当心配性ね」

 捲し立てようとしたテオフィルの言葉を掌で遮るとユーディットはやれやれと首を竦める。

「だって、あんな――」

「ニールマン、起きたというのは本当か」

 ノックもせずにドアを開けて入室してきたのは警備隊の面々であった。クヴェンを先頭にノルド、エルラフリートと順に部屋に足を踏み入れる。

「まぁ、クヴェン様」

 三人を認識した途端笑みを浮かべて迎え入れたユーディットにテオフィルは思わず頬が引き攣る。この期に及んで聖女としての距離間を崩そうとしないユーディットのしぶとさには頭が下がるがクヴェンの蟀谷がひくついたのをテオフィルは目視してしまう。

「――私の所為で皆様に多大なご迷惑をお掛けしたことを改めてお詫び申し上げますわ」

 淑やかに微笑み力業でどうにか誘拐前の距離間に戻そうとするユーディットにテオフィルは余所事ながら肝が冷えていく。クヴェンが一層凶悪な顔になっているではないかとテオフィルは心で悲鳴を上げて助けを求めるようにフォルトゥナートに目を向けるが、力なく首を振られてしまう。

「………………」

「………………」

 見つめ合うクヴェンとユーディットだが甘さのようなものは欠片もなく、間近で見ているテオフィルは心の中で唸り声をあげてしまう。脱兎の如く逃げ出さないのは偏にユーディットへの軫憂だ。

「――襤褸が出ているのに未だ続けるつもりか。下らない茶番に付き合う義理は無い。様付けとか薄気味悪いことにいい加減気付け」

 ぴくり、とユーディットの頬が動いたのをテオフィルは目の端で捉える。

「失礼にも程があるんじゃないっ!! 人が折角気を遣っているのに何なのその言い草!!」

 ビシッとクヴェンに指を突き付けたユーディットの声は先程よりも大きく、テオフィルは一抹の不安が掻き消えた。

「――無理に誤魔化そうとしたのはユーディットの方だろう」

「フォルトゥナート、こいつの肩持つの!?」

 溜息を漏らして正論を放ったフォルトゥナートにユーディットは頬を幼子のように膨らませて食ってかかる。

「肩を持つとかではなく、理に適っているかどうかの話だ」

「冷静に言わないでよ。私がまるで感情のままに振る舞っている馬鹿みたいじゃない」

 ベッド脇のフォルトゥナートに身体を向けてユーディットは自分の主張を曲げず、不服そうに恚怒する。

「いや、あのままどうにかなると思っているのは存外馬鹿だろ」

 宥めようとするフォルトゥナートの努力をふいにするかのようにユーディットの神経を逆撫でするクヴェンの言葉が部屋に響く。

「はぁ!?」

 ベッドから立ち上がろうとしたユーディットの肩をフォルトゥナートは押さえ込んだ。

「ユーディット、落ち着け」

「だって――」

 文句を言い足りないのか鼻息荒くフォルトゥナートの服の袖を掴んだユーディットは尚も言い募ろうとする。

「彼女は本調子じゃないということ忘れていないかい?」

 質の悪い見世物を見せられたようだ、と心の中でぼやいたニールマンはクヴェンに刺激することを控えるように眼居で訴える。

「ユーディット、この間のあれから聖女スマイルじゃ不自然すぎるって」

「何よ、テオフィルまであいつの肩持つの!?」

 涙目になって不服を訴えてくるユーディットはまたもや、クヴェンを指差す。肩入れをしているのはユーディットだと告げたところで、どうして同調してくれないのだと不満を募らせるのだから質が悪いとテオフィルは乾いた笑いを漏らす。ずっと眠っていたからか聖女としての振る舞いが剥がれているような印象をテオフィルは感じてしまう。視線を外して、そうして、テオフィルは扼腕しているノルドの姿を捉える。この輪の中に積極的に入ろうとしない様子にテオフィルは違和感を抱いてしまう。隣に立っているエルラフリートは元より聞き役に回ることが多いが、ノルドは話を進める側だ。いつもだったらノルドが何か口を挟んでも良いのに、その視線がユーディットを熟視している。

「君、病人を興奮させて何の為に来たのさ」

 凡そ病人に対しての配慮がない、とニールマンはクヴェンに呆れた眼差しを向けた。

「聖女の間抜け面を拝みに来ただけだと思うのか? 取り調べだ」

 クヴェンの付け加えた言葉にフォルトゥナートに愚痴っていたユーディットの動きが止まり、一つ息を吐き出しクヴェンに身体を向けた。

「医者として長時間は許可出来ないな」

 真っ当な医師のような言葉を告げたニールマンにユーディットが胡散臭いものを見詰める目を向けるがそれは誰に知られることもなかった。

「触りだけで良い。誘拐された時の状況についてだ」

 クヴェンの言葉にユーディットは知らず溜息を漏らして頭の中で適切な言葉を拾い上げようとする。

「彼らはなんて?」

「迷子になった聖女を保護していただけだと嘯く奴も居る」

 自分の罪状を如何に軽くするかに被疑者の主眼は置かれている為、被害者であるユーディットの証言は重要である。だからこそ、クヴェンはユーディットに負荷を掛けると知りながら聞き取りを断行せざるを得なかった。

「――マティアスは?」

 少し顔を俯かせたユーディットの表情が誰の目にも晒されることはない。

「マティアス……白銀の奴か、黙りだ」

「っ………………」

 躊躇うようにユーディットの口が、はく、と動くが掠れた音が漏れるだけだった。

「奴が、主犯と言ってる奴もいるが――」

「違うわ!!」

 言葉を遮って強い言葉で言い切ったユーディットの姿に勘ぐるなと言うのが無理な話ではないか、とテオフィルは思う。あんな目に遭ったのに、庇い立てようとするのが相手を特別だと思っている証左だ。

「テオフィルから聞いている。中心となっていたのはヴェンデルとルーヘンでそいつは使われていた」

 確認を取るようにクヴェンの目がテオフィルに向けられる。言葉の通りだ、とテオフィルは頷けばクヴェンの視線は再度ユーディットに注がれる。

「あれは、お前の何だ」

「古い、知り合いよ」

 クヴェンの力強い視線に気圧されて視線を外したユーディットはぽつり、と事件のおこりを語り始めた。




 ■■■




 テオフィルの助力を得てユーディットはエンテの大通りを歩いていた。出歩くだけで目的の人物に出会えるなんて偶然ある筈もなく、ユーディットは目的の人物を探した。白銀の髪の持ち主と言えば、思っていたよりも簡単に情報は収集出来て、彼が出入りをしている酒場まで分かったものだからユーディットの足取りは軽かった。この分ならば、テオフィルを身代わりにしたことすら気付かれずに済むかもしれないなんてユーディットは思い上がっていた。大通りから脇道に分け入り現れた猥雑な歓楽街にユーディットは一瞬顔を顰めるが、ここまで来たのだから、と費やした時間と労力を惜しんでしまって足を進めた。陽も高いうちにアルコールを酌み交わす人々の姿に怖じ気づけそうになる。

「あっ……――」

 陽に煌めく、白銀を視界に捉えてユーディットは小走りで駆け寄った。

「ねぇ、貴方。マティアスでしょう?」

 ユーディットの声に男は振り返り、瞠若した。

「………………」

「私が誰だか分かる?」

 気安くそう話しかけたが返される言葉は無くユーディットは焦れる。一拍置いて、自分の勘違いで別人だったのではないかという考えがムクムクと脳内に湧き上がりユーディットの心には気まずさが生じる。しくじったのか、と一歩右足を後退させ脱兎の如く離脱するかとユーディットが算段し始めたその時に目の前の男が口を開いた。

「あっ――」

 その声にユーディットの足は引き止められてしまう。男の次の言葉を待って顔を向けるが、逡巡し口をモゴモゴと動かすばかりだ。

「あっ、その、待って、俺」

 不安定な口吻はユーディットの確信を揺るがしていく。不安が募り始めて、どうするかとユーディットは頭の片隅で考え始める。自分の記憶違いかと引き際を見定めたユーディットの腕を男は掴んだ。

「ユーディット」

 名前を呼ばれて爆ぜたように顔を上げたユーディットは自分に誤りがなかったことに嬉笑した。

「ふふ、そうよ」

「本物、か?」

 偽物が量産されてそうな口ぶりにユーディットは慍色を浮かべると、マティアスは弁解するようにユーディットの腕から手を離して弁解をするかのように両手を振った。

「違う、そうじゃなくて。だって、そうだろ――聖女様だ」

 マティアスの吐き出した言葉は諦念に彩られているようで、驚嘆を予想していたユーディットは怪訝な顔をしてしまう。

「そうよ。どう?」

 出鼻を挫かれたが一歩距離を取ってユーディットは胸を張って目の前でくるりと一回転してマティアスに自分をアピールする。

「………………」

「なによ、昔みたいに言い負かしにこないの? 私だって少しは討議の勉強だってしたんだから」

 幼い頃の横暴さは鳴り潜め、そこに在るかすら確信が持てないほど希薄な存在にユーディットは興を削がれてしまう。求めているものの姿がそこにはなかったのだ。

「いや、凄いな。ユーディットは」

「………………」

 あまりにも精気がなさ過ぎて、苛立ちと共に心に湧いたのは憂慮で何があったのだろうかとユーディットはマティアスを見遣る。すいっと外された視線に違和感と不満が募っていく。

「自矜を何処に置いてきたの? そんな覇気のない、お座なりの賞賛で私が満たされると思っているの? 私はもう泣き虫じゃないのよ」

 誇らしげに微笑むユーディットに反してマティアスの表情は暗い。

「そっか、そうだよな」

 片腕をもう片方の掌で押さえ込んで背を丸め俯いているマティアスの今の姿が気に食わなくてユーディットは発破を掛けようとするが何を言っても風の前の柳のように流されるだけだ。

「もう、なんなのよ!!」

 もっと対応に苦慮する場面は数多あったが、幼馴染みという一点でユーディットの冷静さは平素の通りに発揮出来ない。成長した自分を誇りに来たというのに、これでは甲斐が無いではないかとユーディットは頬を膨らませる。

「ユーディット?」

 遣る瀬無さでこの場を立ち去ろうとしたユーディットの細い手首を再びマティアスは掴んだ。

「……なによ」

 不機嫌を隠しもせず低い声を漏らしたユーディットにマティアスは一瞬、怖じ気づくが掴んでいた掌に力を込める。

「待って、もう少し、時間をくれ」

「嘘。私に興味ないでしょ、マティアス」

 薄い反応を繰り返されれば心はどんどんと萎れていく。開かない扉をどれだけ叩き続けてもやがて人は諦めを抱く。開かないことを承知して扉を叩き続けるのは覚悟を決めた者だけだ。

「そんなことない!! ユーディットは俺の自慢なんだ」

 否定の言葉は今迄よりも大きな声でユーディットは目を瞠るとマティアスを振り返る。漸く、視線が一定の時間絡む。その双眸からは嘘の臭いはしない。そう認識すると足先に込めていた力をユーディットは緩めた。

「こんな俺にでも誇れるものがあるんだって、知り合いに自慢したいんだ。来て」

 マティアスの言葉を深く考えず腕を引かれてユーディットは大人しくついていった。




 ■■■




「――という具合かしら?」

 ユーディットの説明にテオフィルの口がムズムズと動く。感情のままに突っ込まなかったのはユーディットが万全の状態ではないからと、部屋に支配する妙な緊張感故だ。クヴェンやノルドの方から何とも言えない圧のようなものをテオフィルは感じ取り、心の中で項垂れる。ユーディットとマティアスの関係性にも確信は持てないし、ユーディットにしてはらしくない手落ちにテオフィルは引っかかりを感じた。抑も、ユーディットは根本的な理由を語っていない。それがテオフィルの疑問の主眼になってしまう。会いに行った理由をユーディットは曖昧なままぼかしている。意図しているのかそれは定かではないが、肯綮を外されて据わりが悪い。クヴェンを見遣れば心做し眉間の皺が深くなっているし、ノルドは奇妙なほど沈黙を貫いていてテオフィルは冷や汗が流れる。唯一の救いは、顕著な変化が見えないフォルトゥナートとエルラフリートの存在だ。

 有り体に言えば、気まずい。

 それに尽きた。

「………………」

 この沈黙を打破しなければという一種の責任感を持ったテオフィルは胸の靄を晴らすようなユーディットの言葉を引き出そうと口を開いた。

「ゆ――」

「それぐらいにしたらどうだい? 病人には長時間は毒だ」

 言葉を遮られてテオフィルは思わず目を向ければ心做し口元が弛んでいるニールマンを視界に捕らえる。テオフィルの視線に気付いたニールマンは笑みを深くして返した。

「肝心なことは聞けていないだろう」

 耳朶にクヴェンの声が触れ、尤もだ、と納得しかけたテオフィルは頷く。クヴェンにテオフィルが視線を走らせればニールマンを睨み付けているのを確認する。

「聖女の身が優先だろう?」

 本心から告げているわけではないのをクヴェンは察して行儀悪く舌を鳴らした。

「さぁ、引き取りたまえ」

 犬猫を追い払うようにニールマンはシッシッ、と声を漏らして手を振った。その雑な扱いにテオフィルの中で軽い反発心が頭を擡げたが、医者として患者を守るのは当然のことだと思い直す。ニールマンに尊敬の眼差しを向けるテオフィルにフォルトゥナートは呆れたように溜息を漏らした。

「……細かいことはまた後で聞き取る」

 譲歩を見せたのかクヴェンは一瞬の躊躇いを見せた後嘆息しながらそう言葉を漏らした。

「君もしつこいな」

 ニールマンのぼやきを聞き流したクヴェンはユーディットに一旦視線を向けた後、渋い顔のまま扉へと足を向けた。クヴェンが部屋を去ったことで付き添っていたエルラフリートとノルドも自然な流れで扉へと向かう。後ろ髪を引かれるようにノルドはユーディットを振り返るが近くに居たテオフィルに目を向けていたユーディットが気付くことはなく、ノルドは何事も無かったかのように立ち去った。

「ユーディット大人しくしてろよ」

「あら、私はいつも大人しいわよ」

 テオフィルの言葉に薄い笑みを浮かべてユーディットは答える。その芝居がかった口調に傍らで見ていたフォルトゥナートは日常を取り戻したことに安慮するが、ユーディットの内奥に思いを馳せてしまう。

「――私は大丈夫よ」

「ユーディット」

 フォルトゥナートの痛心を汲んだのかユーディットは顔を向けると柔らかな笑みを浮かべる。それが虚勢なのか判断が付かず覆蔵しているものを探ろうとフォルトゥナートはユーディットを諦視する。笑みの皮膜に覆われた心底に触れることは出来ず、遣る瀬無さから視線を外したフォルトゥナートの容に滲む無念のようなものを目視したテオフィルは痛む胸を掌で軽く押さえた。




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