第29話 認めたくない現実
ユーディットの身柄を軍の医務室から宿舎へ移動させて警備隊の控え室に戻ってきたクヴェンは部屋の中でぽつんと椅子に座っているノルドを視界に捉えた。心做し気落ちしているようにも見えるが気の所為だとそれを一蹴する。次に誘拐犯の調書はどうした、という考えが過ぎるが未だ眠っているユーディットの証言が出揃わなければ実像は掴めないのは実情でクヴェンは休息を咎める気にもならなかった。気がかりなのは、普段ならば物音がすれば即座に反応しそうなノルドがぼんやりしていることだった。放置して問題はないだろうが、ほんの少しの懸念がクヴェンを動かす。
「何を呆けている」
「っ!!」
ノルドの反応で自分のことを無視していたわけではなく、気付かなかったのだとクヴェンは判断する。焦慮を容に滲ませたノルドは、クヴェンからすれば“らしくない”様子だった。
「隊長ですか。いえ、ただの休憩ですよ」
へらり、と笑みで動揺を覆い隠すノルドにクヴェンは難儀な奴だ、と心の中で呟く。
「聖女は未だ眠ったままだ」
「そうですか」
クヴェンの恬とした言葉に静かに頷いたノルドの容はその心奥にあるものを秘すように頑なな盾となっていた。当人が抱えておきたいと思うそれを積極的に暴こうという気はクヴェンにはない。ただ、感情が不安定になるならば話は別であった。
「何が不満だ」
「不満――?」
クヴェンの言葉を繰り返したノルドは皮肉げに口の端を歪めた。
「いやいや、あんなことがあってあんたよく落ち着いていられるな。常識的に考えておかしいでしょう!!」
堰を切ったかのように本音をぶちまけたノルドは部下の手前それをこれまで表にすることはなかった。人が人の腕をくっつけるなんて偉業、ノルドは簡単に受け入れられなかった。端的に言えば自分の功績を無にされたも同然だ。
「知見が狭いな」
あるがままを受け入れざるを得なかったクヴェンが窘めるように告げればノルドは反発するように頭を振る。
「いやいや、そういう問題じゃないでしょ。あんなの、まるで――」
言葉を途切り、自分の言おうとしたことに愕然としたノルドの言葉を引き継ぐようにクヴェンは口を開いた。
「正真正銘の聖女だな」
向けられるノルドの視線に険が孕みクヴェンは苦笑した。
「あれは前から聖女だ。何が変わったわけでも無い。俺達に見せていなかっただけで、最初からああだったのかもしれない」
「いやいや、ないでしょ。聖女ちゃん、普通の女の子だったじゃん」
凝り固まったノルドの考えに、案外常識的なノルドの一端を見たようでクヴェンは安慮する。真っ当な反応を返すノルドに対しての隔意のようなものが薄らいでいく。聖女の偉業に対して警備隊の隊士の咄嗟の反応は三種類に分かれている。ノルドのように“ありえない”のだと起こった現実との懸隔に混乱するのが一つ。クヴェンのように起こったことが認めがたくとも現実なのだと受け入れるのが一つ。そして、エルラフリートのように聖女なのだから奇蹟は当然だとでも言いたげな様子で平然としているのが一つだ。
「存外、凡慮だな」
喜色満面で聖女を崇拝するエルラフリートをクヴェンは思い起こして掛け離れているノルドの様子がなんだか愉快なもののように思えてしまう。
「堅実だって言ってくれませんかね。理に反逆するようなものでしょう、あれは」
ユーディットの起こした奇蹟に不服そうにノルドは反脣するとクヴェンを見遣る。当初からは大分落ち着いた様子のノルドの双眸にクヴェンは一安心する。
「実際、腕が繋がっているんだから仕方がないだろう」
「見ましたよ。あんなにスパッと綺麗に斬ったのにくっついているし、なんなの、あれ」
現実が受け入れ難い、と膝を叩いたノルドにクヴェンは若干同情する。斬った当人なのだから混乱が極まるのも当然だ。自分だったら、とクヴェンは想像するが心胆寒からしめられそうで脳内でそれを蹴散らした。
「……あいつら、生かしておくんですか?」
声色が変わったノルドにクヴェンは視線を向ければ、強い視線とかち合ってしまう。
「聖女がそれを望んでいる」
クヴェンの言葉にノルドは瞠若すると、意地の悪い笑みを浮かべる。
「従うんですか?」
そんな殊勝な男ではないだろうとでも言いたげな様子のノルドにクヴェンは小さく頷く。首肯したクヴェンにノルドは不服そうな表情を隠さない。
「誘拐なんてなかったことにすれば良い。証人を全員黙らせればそれで終わる。国にとっても聖女ちゃんの為にも、それが最適解だ」
ノルドの反論に応える正しい言葉をクヴェンは持ち合わせていない。殺さない方が良いなんて曖昧な考えなだけだ。合理的に考えればノルドが示した方法が一番理に適っている。傷を覆い隠して無かったものとして扱おうとするノルドに対してクヴェンは傷を傷として認めようとしている。
「聖女に余計な負荷をかけるつもりか?」
「聖女ちゃんが知らないところで終わらせれば良い。お誂え向きに未だ目覚めないじゃないですか。こちらの暴走として処理すれば良い。流石に聖女ちゃんでも死者を蘇らせるなんて出来ないでしょ」
冗談のように最後に付け加えられたノルドの言葉にクヴェンは同調は出来ない。可能性は必ずしもゼロではないのだ。人の腕を繋ぎ合わせたのだから、命を泉下から呼び戻すことが出来ないとは言えない。
ユーディットの背負うものを少しでも軽くしようとするノルドの気遣いは分かるが、それを黙って許容する女ではないことをクヴェンは知っている。
「あの女を侮りすぎだ。それは聖女の負担を軽くすることにはならない」
聡い女でなければノルドの言った手段もとれたかもしれないとクヴェンは思う。何の瑕疵もない、どうしようもなかったことだと慰めれば事が済む。だが、ユーディットは容易く気付いてしまう。聖女の傷を最小限にする為に誘拐犯を犠牲にしたと理解して、また一つ心に傷を負うのだ。クヴェンから言わせれば大儀な女である。
「それに、聖女の奇蹟の体現者を国が殺すのを認めるとは思えない」
重ねて続けたクヴェンの言葉にノルドは考慮していなかったのか目を瞠ると行儀悪く舌を鳴らす。
警備隊士に腕を切り落とされて、聖女に救われた人間など紛うこと無く奇蹟の証人であり証拠だ。聖女を自分達の為に使おうとする国が有為な存在の喪失を指示するとは思えないというクヴェンの言葉は尤もだった。
「国民の人気取りに聖女は有益な存在だ。憎悪を向けられた時の矛先にも便利だろうよ」
国に仕えている人間としては明け透けな言葉をクヴェンは躊躇いも無く告げる。王室の失態を挽回するように、欠点を補い埋め合わせをするような存在として聖女は使われている。国民の感情を制御する為の道具に過ぎない。そこに聖女の人間性は欠片も思慮されない。
「………………」
ノルドの眉間に皺が寄る。
国の繋鎖から逃れられない聖女というものを今更ながら思い知らされている。
「……じゃあ、どうすれば良いんですか」
ノルドの声に苛立ちが滲む。膝に置かれた手が憤りを押し込めるかのようにきつく結ばれる。
「何をしたところで警備隊の失態を取り消すことは出来ない」
稽失を認めながら告げたクヴェンは、ノルドの心の主眼は何処にあるのだろうか、とぼんやりと考えたがノルドの身に巣くう苦患を知ったところで詮無いこと、とクヴェンは思考を切り替える。
「その頭はなんの為にある。自分で考えろ」
他人から差し出された答えなどに価値はないだろう、とクヴェンは突き放すようにノルドに告げた。
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