第28話 見えない心
「じゃあ、あの馬車の大破も警備隊が仕組んだことなの!?」
驚きの声を上げたテオフィルにフォルトゥナートは頷いてテオフィルの座っているソファの傍の椅子に座った。
先行したユーディットとクヴェンを追って漸くエンテに戻ってきた二人は、エルラフリートやノルドのように尋問などを任されることはなく滞在先の宿舎に返された。監禁されていたテオフィルは埃塗れになった身体を拭いたいと風呂に浸かって一息ついたところで内幕をフォルトゥナートによって披露される。
「ああ、侯爵領に誘導する為に道を塞いで行き先を絞らせた。ヘルツベルク侯爵とは黙過するという取引を警備隊がしたみたいだからな。それより、誘拐犯に捕まるとは迂闊にも程があるだろ」
フォルトゥナートの注意にテオフィルは不服そうに反脣する。怪しい人物を追って必死だったが、浅慮だったと言われれば反論の言葉もなく、ぐぬぬとテオフィルは呻く。
「――無事で良かった。二人共」
真っ直ぐに向けられたフォルトゥナートの双眸に浮かぶ安慮がこそばゆくテオフィルは、頬を緩めながら視線を下げた。
「ごめん。ありがとう」
フォルトゥナートの顔を直視出来ずテオフィルはそれとなく視線を外せばそれに気付いたフォルトゥナートが首を傾げる。
「どうした、フィル」
「いや、別に……なんでもないし」
二人きりの空間ということを認識してしまい照れが勝ち平素のように振る舞えないとテオフィルは視線を頼りなく彷徨わせてしまう。
「フィル、なにか――」
「そういえば、先刻、ニールマン先生を見かけたよ。ユーディットの為に駆けつけてくれたなんて良い人だよな」
見た目通りの篤実な人間だと思っているテオフィルは口早に告げればフォルトゥナートの眉が小さく跳ねる。
「そうか……来ていたか」
「鼻から血流してたけど、ユーディット大丈夫だよな?」
不安の滲むテオフィルの声にフォルトゥナートは頷く根拠もなく静かに目を伏せる。
「――ずっと、監禁されていたんだ。蓄積された疲労が一気に出た可能性もある」
テオフィルの心を軽くする為の方便をフォルトゥナートは一つ吐く。途端、パッと安慮に彩られたテオフィルの顔を見て、楽になりたかったのは自分もだ、とフォルトゥナートは心の中で独りごちた。
「そうだよな。大丈夫だよな」
不安が拭えないテオフィルは自分に言い聞かすように、声を漏らす。本能的な部分でテオフィルは最悪の可能性を察知しているのではないかとフォルトゥナートは思う。それを直視したくなくて選択肢から排除して視野を狭めているようにも思えた。ユーディットがされたあり得ることを指摘すべきかフォルトゥナートは困却する。伝えた結果が容易に想像出来るのもフォルトゥナートを悩ませる点であった。テオフィルは平然と嘘を吐くことが出来ない素直な性格をしている。ユーディットを殊更気遣おうとするのは目に見えて分かる。一方、ユーディットの性格を考えれば過度な配慮はいっそ傷を抉るも同然でフォルトゥナートは曖昧なバランスで保たれた均衡にかける他選択肢がない。
「何かあったのか?」
渋面をし、口を噤んだフォルトゥナートに気付いたテオフィルが首を傾げて尋ねた。膝の上に置かれた手が手持ち無沙汰なのかズボンを掴んだりしている。
「いや、ユーディットが中々起きないと思っただけだ」
テオフィルが納得するであろう言葉を紡いだフォルトゥナートは足を組み直してホッと息衝く。
「そうだな。隊士に聞いたら、こっちの良い部屋にユーディット運ぶって言ってた」
目覚めを待つ身というのも焦れったいばかりだとテオフィルは気落ちするが、待つしか出来ないというのも理解している。
「――誰も死ななくて良かった」
ユーディットの期待を裏切るような結末にならなかったことがせめてもの救いだとテオフィルは喜色を浮かべる。
「……殺すことに傾いていた筈なのにな」
少なくとも、生かさなければならないと警備隊が考えていないのを同行していたフォルトゥナートは肌で感じていた。実際、それが理に適った行動であった。だが、蓋を開けてみれば生かして捕らえているのだから想定外にフォルトゥナートは軽い驚きを抱いた。ユーディットのあの言葉が契機となっているのは明白で、聖女の持つ特殊な力というのを信じたくなる。
不意にドアがノックされる。
「聖女様がこちらに運ばれました」
そう隊士に声を掛けられてテオフィルとフォルトゥナートは立ち上がり、ユーディットが運ばれる部屋へと向かった。
「聖女は未だ目覚める気配は無いよ」
付き添っていたニールマンは部屋に飛び込んできた二人の姿に驚くことなく淡々と告げる。ニールマンから焦慮を見受けられない二人はユーディットには火急の危機はないのだと無意識に判断してしまう。
軍の医務室からの移動にもかかわらず覚醒することなく目を伏せているユーディットはベッドに横たえられており、病人であることを一層印象づけた。
「致命的な負傷はないから心配しないでも良いよ」
ニールマンの淡々とした発言にフォルトゥナートはそちらに顔を向けて熟視し、何かを訴えようと口をモゴモゴと動かそうとするが諦めたように嘆息した。
「良かった。ユーディットが無事で」
純粋にユーディットの無事を喜ぶテオフィルと何か懸念しているフォルトゥナートの正反対の表情にニールマンは興味深げに視線を投げた。
「君も負傷していると聞いたけど手当ては済んだのかい?」
「はい。俺は、擦り傷とかそんなもんだし、平気です」
傷を過小評価しているテオフィルに侮るなと医者らしく忠告するべきかという考えがニールマンの頭に過ぎるが、それよりも沈黙を貫いてこちらを探るように見詰めてきているフォルトゥナートが煩わしくて意識が割かれてしまう。
「……暫くはこのままだと思うよ」
傍に居てもどうしようもないと建前をかなぐり捨てた本音を吐き捨てる程、ニールマンは未熟ではない。軋轢を生まず円滑な関係を構築することの旨みを十分に知っている。
「確かに、医師でもない俺達に出来ることはないだろう」
ニールマンの言葉を正しく受け取ったフォルトゥナートは同意するように頷く。そんなフォルトゥナートに退室するのかとテオフィルは自然と身体をドアの方へと向ける。
「だが、何もかもが無駄だというわけではないだろう」
ユーディットが眠るベッドにフォルトゥナートは一歩距離を詰めると腰を屈めてユーディットの顔を覗き込んだ。
「君もそんな風に心配するんだね」
意外だとでも言いたげなニールマンの言葉はフォルトゥナートが冷血漢だと言っているようにも思えてテオフィルはほんの少し心がざわめく。
「そんなに俺は薄情に見えるか?」
皮肉げに口の端を歪めたフォルトゥナートにニールマンは、そうだねぇ、と、声を漏らして一瞬考え込む。
「君は理知的だろう。情に棹さして判断を誤ることはないだろう。どうあるべきかというのを分かっている」
「人間は理に適う行動ばかりを選べるわけでもないさ」
フォルトゥナートの手がユーディットに伸ばされる。フォルトゥナートは手の甲で恭虔な仕草でユーディットの頬を撫でた。その壊れ物に触れるようなフォルトゥナートを視界に捕らえたテオフィルは胸が一つ大きく跳ねる。ざわざわとする心臓が何を訴えようとしているのかテオフィルは分かっている。自然とテオフィルは視線を外してしまう。不意にテオフィルの頭にある考えが過ぎる。そう、かもしれないという事実から目を逸らしていたのだとテオフィルは思い知らされてしまう。抑も、フォルトゥナートは聖女の騎士という大前提がある。ユーディットの側に侍りたいとフォルトゥナートが願ったのだ。
フォルトゥナートがユーディットに捧げる情の名前は何なのだろうかとテオフィルはぼんやりと思った。
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