第27話 余波
「この度はご迷惑をお掛けして申し訳ありません。ありがとうございます」
騒ぎが収束して近寄ってきたクヴェンとエルラフリート、茫然と立ち尽くすノルド、そしてテオフィルとフォルトゥナートに囲まれてユーディットは自分の足でなんとか立ち上がる。
「………………」
聖女スマイルをしてあくまでも聖女で物事を押し通そうとするユーディットにテオフィルはある種感心しながらも、それではいけないと頭を振り、杖代わりにしていたフォルトゥナートの腕から離れて口を開く。
「それはもう無理だと思うんだけど。ユーディット自身の言葉で謝らなきゃ」
テオフィルの言葉に笑みを収束させて慍色を浮かべたユーディットは目を逸らして、溜息を漏らす。テオフィルの言っていることを理解しているが、受け入れ難いといった様子でぶつぶつと言葉を漏らしているが五人の耳に届くことはない。
「分かってるわよ、全面的に非があるわよ。勝手に、外に出て悪かったわ。どんな言い訳をしても迷惑を掛けたのは私。どのような処罰でも受ける所存よ。迷惑を掛けて本当にごめんなさい」
ボロボロの服と乱れた髪には不釣り合いな綺麗な仕草で頭をユーディットは下げる。
本当の言葉だとテオフィルは実感する。
改めてマジマジと見たユーディットの様相に痛ましげな視線が投げられ、沈黙がその場を支配する。
「………………なによ、人が素直に謝ったのにだんまり?」
リアクションが皆無で焦れたユーディットはほんの少し不機嫌そうに声を掛ける。不意にクヴェンはベルト等を外して上着を面倒くさそうに脱いでユーディットに差し出す。
「なによ」
ぶっきらぼうに差し出されたそれにユーディットは首を傾げる。
「その格好じゃ――」
「気遣いなんて結構よ」
これは自分への戒めでもある、とユーディットは強がるがクヴェンは馬鹿にしたように笑う。
「聖女が見窄らしい格好してていいわけあるか」
聖女として、とクヴェンに指摘されてユーディットはそれに気付かなかった自分を恥じた。
「借りるわ」
肩口に付いた噛み痕にクヴェンの視線が注がれていることに気付いてユーディットは上着を着て前を閉めた。
「――此処、ヘルツベルク侯爵領内だと思うんだけど、何をしたの?」
追及を逸らす為にユーディットは気になっていたことを敢えて口にした。
「侯爵と取引をしただけだ。借りには違いない」
忌々しげに吐き捨てたクヴェンに自分の行動の影響を思い知らされてユーディットは萎縮してしまう。
「私で出来る事があるなら言って」
「当然だ」
労るわけではなく当然のことと頷いたクヴェンの気遣いにユーディットは感謝する。
「繋ぎを付けたのはエルラフリートだ」
クヴェンの言葉にユーディットが顔を向ければ、ユーディットの様子に呆気にとられていたエルラフリートは我に返ったのか、ビシリと気をつけをする。
「ありがとう」
「ご無事で良かったです……」
目を潤ませているエルラフリートの様子にユーディットは罪悪感が刺衝される。申し訳なさで頭を下げようとすると、鼻腔を何かが落ちる感覚に鼻を行儀悪く啜る。更に何かが落ちる感覚に咄嗟に手で受け止めようとして、ポタリ、と落ちる掌の感触に視線を下げた。
「えっ――」
赤い玉を視認した途端、口腔に広がる鉄の味にユーディットは血だと認識する。何故、という疑問は掻き消され、ぐらりとユーディットの視界が揺れた。意識を失って倒れかけたユーディットをクヴェンは咄嗟に抱き留めた。
「おいっ」
鼻から落ちる血にクヴェンはユーディットを抱き上げると周囲を見渡し号令を掛ける。
「撤収する!! エンテに戻る」
助力が期待出来ない侯爵領のメーヴェよりも、医師が到着しているである王領のエンテをクヴェンは即座に判断し、潜めていた荷馬車へと向かった。
誘拐劇の舞台となった都市エンテに戻ったユーディットは待機していた医師の元へと運ばれていった。軍敷地内にある医務室の前で壁に背を預け扼腕しクヴェンは診察が終わるのを待っていた。早馬でユーディットとエンテに引き返したクヴェンは残っていた警備隊士にこれからのことを指示し、それからユーディットにずっと付き添っている。
ユーディットの為に派遣された医師は国王の医師ダーフィット・プレヴィンの弟子の一人であるメルヒオル・ニールマンだと考えれば破格の扱いだろう。元々、ユーディットの身体検査や体調を診察していた為、顔馴染みであるがクヴェンには懸念点がある。ニールマンは腕の良い医者ではあるが、少女のアフターケアが出来るような良識を持った大人ではない。誘拐されて数日監禁された人間に対する気遣いを求めるのは無理な話だった。
国の中で聖女の扱いは時として繊細で、時として粗雑である。聖哲局という部署が聖女に関することを取り扱っており、警備隊もそこに所属している。尤も聖女なんて数十年居なかったから、ユーディットが聖女として喧伝される頃には真っ当な組織編成もされてはいなかった。名ばかりで形骸化した聖哲局が再編成され、警備隊も王国軍と近衛隊からの選抜といえば聞こえが良いが寄せ集めで成り立っている。王国軍の中枢にいたクヴェンからすれば、警備隊への推挙は甚だ不本意で面倒極まりないことだった。
「おや、忠犬宜しく大人しく待っているとは殊勝だな」
ドアを開けて出てきた白衣の男――ニールマンにクヴェンは目を遣った。人好きのする笑みを浮かべて穏やかそうだが、それが見かけだけだというのをクヴェンは承知している。
「傷の具合はどうだ」
「それは言えないな。これは一応、彼女のプライベートだろう。幾ら、聖女を管理するのが役目といえど教えるわけにはいかないな」
真っ当な善人のようなことを告げるニールマンにクヴェンが慍色を浮かべれば、ニールマンは薄く笑った。
「俺は確かに彼女の身体の隅々まで暴いたさ。傷痕も全て記録した。何があったかも大凡見当が付く」
そう一息で告げるとニールマンは言葉を途切り、けれど、と、言葉を重ねた。
「一応、淑女なのだから公にすることではないだろう」
クヴェンの焦慮を知ってかニールマンはにこやかに笑った。安い挑発だと分かりながら扼腕していた腕を解きクヴェンはニールマンの襟元を掴んだ。
「暴力に訴えるかい? 思慮が浅いな、恫喝のつもりならば俺には効かない」
平然としているニールマンの双眸には恐れの欠片も無く、力で制圧することの無意味さを実感したクヴェンは襟から手を放した。
「君に必要な情報は彼女が聖女として使えるかどうか、だろう? ならば、簡単だ。彼女は聖女としては問題ないだろう」
きっぱりと断言したニールマンにクヴェンは本当だろうかと鋭い眼差しを向ける。
「懸念するのも分かるさ。俺も異常が無いからそう言っているだけに過ぎない」
珍しく言葉尻を濁すニールマンは考え込む仕草をクヴェンに見せる。その様子すら胡散臭いのだからクヴェンは謀れているのかというのが頭を過ぎる。
「昔の資料を鑑みたのだが以前の聖女も似たような状態になったと記載があったから、それだろうと俺は思っている」
「多分だの、思うだの、随分と曖昧な言葉で誤魔化すな」
不服そうなクヴェンの言葉にニールマンは首を竦める仕草を見せるが、クヴェンの感情を慰撫することはない。
「前例があまりにも昔だからね。何しろ稀有な存在だ。普通の人間と似ているのに面白いね」
クヴェンの憤慍に気付いたニールマンだが理解には及ばないのか悪びれもせず言葉を重ねる。
「魅力的だって話だよ。研究対象として。だって、切り落とされた腕を縫合したわけでもなく、接合したんだろ? 御業じゃないか。人の領域に置いて良いのかすら確かじゃない」
人間の尊厳を踏み躙るような発言は何も珍しいことではない。これよりも酷い言葉をクヴェンは数多く聞いてきたが、何故か今日は無性に腹に据えかねた。拳を振るわぬように、無意識にクヴェンは扼腕すると盛大な溜息を吐いた。
「御託は良い。傷は全て跡を残さず治療しろ。それで、いつ、目覚める?」
「さぁ、俺にも分からないことだよ。彼女次第としか言えないな」
話はこれまでだとばかりにニールマンは廊下の先に足の切っ先を向ける。
「待て、何処へ行く」
「身体を清拭してあげないとね、一応。タオル取りに行くんだよ。他の奴に見られるよりは、全部見られた俺の方が幾分かマシでしょう。聖女本人は至極嫌そうな顔しそうだけど」
普段の診断の時ですら警戒心を解かない様子のユーディットを思い起こしてニールマンは苦笑する。
「取りに行ってくる。無闇矢鱈聖女の側を離れるな」
息を漏らしてニールマンの肩を軽く叩いたクヴェンは清潔なタオルを探しに行こうとするが、ニールマンがそれを引き止める。
「君こそ落ち着いたらどうだい? そんな格好じゃ、聖女も驚くだろうよ」
白いシャツにユーディットの血が付いたままのクヴェンは一見すれば負傷しているようにも見える。尤も、傷一つ今回の鎮圧で追うことはなかったのだが、赤黒い染みは人にそれだけ影響を及ぼす。自分の身なりすら気にも留めていなかったと目を瞬かせたクヴェンに、いつもとはやはり違う、とニールマンは心の中で零した。
「清拭したらさ、医務室なんかの硬いベッドよりもふかふかのベッドに移した方がいいんじゃない」
「手配しておく」
医務室へと踵を返したニールマンを見送りクヴェンはどれ程タオルを持ってくれば良いのか、と思案し、ふと立ち止まる。後ろ髪を引かれるように振り返った。ユーディットの状態の程度は結局有耶無耶にされて推量するしかない。服で隠されていて表面の傷を具に確認することが出来なかったクヴェンはいっそ、剥くべきだったかと自身の温情に追悔した。
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