第26話 帰着




  一度話が切れたからか、それから数十分間、不思議と沈黙が続いた。

 木立を抜けて、太陽の光のまぶしさにテオフィルは目を細める。出立してから随分と時間が経ったように思われる。舗装された道幅が広くなったとテオフィルが思うのと周囲の視界が広がったのは同時だった。道のずっと先にある大きな壁が目に飛び込んでくる。林立する塔や建物に大きな市と言われるのも尤もだとテオフィルは納得する。

「予定外だが、悪くないだろう。王領にいるよりも貴族の領地の方が隠れやすいし追っ手は来ない。ヘルツベルクというのも悪くないだろう」

 ヴェンデルの悪くない、という言葉は即ち、テオフィル達にとっての“良くない”も同義だ。それを理解しているのはユーディットだけでテオフィルはヘルツベルクという家の認識が薄く顔を強ばらせたユーディットに怪訝な顔をしている。気取られぬようにユーディットは細い息を肺腑の奥から吐き出す。ほんの少しだけ蜷局を巻いて胸に閊えていた澱みのようなものが軽くなる。

 ヘルツベルクの当代は現実主義で夢物語とも似ている理想を掲げない。領地経営において技術革新に力を入れている先進的な貴族であり、旧態依然としたものに対しての嫌悪のようなものがある。つまりは、昔話になるような聖女の奇蹟など当てにしていないのだ。国の催事で顔を合わせたユーディットに対してあからさまな嫌忌は見せないが、その存在を猜疑の眼差しでは見ていた。阿ることも媚びることもない、反聖女とまでは言わないが聖女とは一定の距離を保っている侯爵家だ。自治権を有している以上、王命に素直に従う道理はない。警備隊への力添えは勘定出来ない相手である。

 このままではまずい、と眉根を寄せたユーディットは荷馬車が緩やかに停止したことに一拍遅れて気付く。何かあったかと前を向けば入市する為に先が荷馬車や人で進めなくなっている。王領では自由な交易を標榜し関は設けられていない。通行税を取ることではなく、危険人物の選別が関の役割の大半である。目に見える境界線があるわけではないのだから、ユーディットは確信は持てていないが既に侯爵領内だという推量はあった。侯爵領なのだから市に入る為の関所があるのはヘルツベルク侯爵の判断で当然のことである。結果、市に流入する人口の抑制にも繋がる為、確認作業は慎重に行われている。第三者と接触するその時が契機か、とユーディットは考えるが眼前に剣の切っ先が突き付けられる。

「余計な行動をしたらどうなるか分かってるよな」

 釘を刺すヴェンデルにユーディットは抵抗の意志はないと表現するように首を縦に振った。

 入市する為の列が緩やかに進んでいく。

 テオフィル達の乗る荷馬車も市を囲う壁に近付いていく。

 検問しているヘルツベルクの私兵の姿がテオフィルとユーディットの目にも確認出来る距離となった。検閲官はスモールソードを腰に下げ、警備隊とも違う独自の軍服を纏っているが、私兵だからか国が整えている装備よりも数段落ちている。

「幌を閉じて、待機してくれ」

 検閲官が近づき馬の手綱を持つ男に声を掛けた。男は首を後ろに向けヴェンデルにどうすれば良いかと眼居で訴える。従うように目顔で伝えたヴェンデルに男は頷いた。幌が片付けられて一枚隔てていた太陽が直射してテオフィルは眩しさで目を細めた。

「メーヴェには何の用だ?」

 二人組の検閲官が荷台に近付き声を掛ける。思わずテオフィルは検閲官に目顔で助けてと訴えるが、悲しいほど視線は絡み合わない。

「娼館に女を売りに」

 嘘を平然と告げたヴェンデルの言葉に検閲官は興味ありげに視線を商品とみられるテオフィルとユーディットに向ける。

「へぇ、こちらではお目にかかれない別嬪だな」

「しかも、双子なんて珍しいな」

 顔を覗き込んできた検閲官にテオフィルは、意思を込めて見詰める。助けて、と吐き出すことの出来ない声を飲み込んだ。

「ん?」

 テオフィルの気持ちが通じたのか検閲官の片割れがテオフィルを見詰め返す。

「………………」

 沈黙を持って返したテオフィルに検閲官は片笑んだ。

「そんなに、熱っぽく見詰めなくても大丈夫。今夜は君を指名するよ」

 軽口を叩かれて、違う、と抗言し立ち上がろうとしたテオフィルの視界の端にヴェンデルと傍らにあるスモールソードが過ぎる。大人しく浮かせた腰を元に戻すとテオフィルは唇をギュッと噛んだ。それでも諦めきれずテオフィルは検閲官に顔を向けようとした刹那、荷台がガタンと揺れた。


 ヒヒーン


 馬が嘶き、猛スピードで駆け出す。列から離れて暴走する様相に周囲はざわめき逃げ惑う。衝撃で御者の手から離れた手綱はユラユラと揺れ惑い、その弾みで荷台と馬を繋いでいたロープが外れ、馬はそのまま遠ざかり、荷台はガタンと大きな音を立て車輪が外れる。

「いたたっ……」

 声を漏らしたユーディットにテオフィルは目を遣り、無事を確認して視線をヴェンデルに投げた。スモールソードが手の届く範囲にないことを確認して、座り込み斜めになった態勢でテオフィルはユーディットを傾いた荷台から外に追い出した。

「痛っ!!」

 地面に転がり落ちた衝撃でユーディットは痛みを訴えて何事かとテオフィルに顔を向けようとする。

「ユーディット、逃げろ!!」

 テオフィルのその声にユーディットは後ろ手に縛られた状況のまま立ち上がり、メーヴェの門の中でもなければ、入市を待つ人の列でもなく誰も居ない王領に向かってヨロヨロと走り出した。

「チッ!!」

 舌を鳴らしたルーヘンがユーディットを追おうとする姿を捉えたテオフィルは自分の身体を持ってそれを防ごうとする。進路を妨害されたルーヘンは躊躇いなくテオフィルを蹴り上げた。

「ぐっ!!」

 痛みに蹲るテオフィルが見仰げば激昂しているヴェンデルの姿が目に映る。

「くそっ、余計なことをっ!!」

 ヴェンデルの手にはスモールソードが握られている。

 まずい、とテオフィルは訪れる痛みと衝撃に耐える為、ギュッと目を瞑ってしまう。


 ガキン――


 不可解な金属音にテオフィルが目を開ければ、そこには見覚えのある背中があって、安堵の為虚脱してしまう。

「無事か、フィル」

「フォルトゥナート――」

 ポツリとテオフィルが声を漏らせば、自分の剣を防いだ目の前に居る男が何者か気付いたヴェンデルは即座に、すべきことを頭で巡らせて怒号を飛ばした。

「マティアス、聖女を捕まえろ!!」

 傾いた荷台の隅でユーディットの逃避を茫然と見詰めていたマティアスはヴェンデルの声に我に返ったのか荷台から飛び降りると遠ざかるユーディットを追い掛ける。傍から見れば、少女を捕縛しようとしている男の姿だ。その場に居た人間はユーディットを除けば、テオフィルが辛うじてその動作に疑義を持っただろう。距離は詰められて、ユーディットに伸ばされた右腕――それは少女を傷付けるものだと大半が判断するのは当然の帰結だ。そう、この男も例に洩れずそう判断した。

「させるか」

 声がしたのと白銀が閃いたのは同時だった。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 咆哮にも似た悲鳴にユーディットが振り返れば、そこには真っ赤な血だまりが出来ていて、マティアスが地面をのたうち回っていた。肘から先がゴロリと地面に転がり落ちていた。

「ひぃぃっ――」

 恐怖で足が滑りユーディットは尻餅をつく。スッと自分の視界に陰が差してユーディットは自分の傍らに誰か居ることに気付いた。胃から迫り上がってくる酸を吐き出さぬように飲み下して、そちらに顔を向ければいつものヘラリとした顔ではなく、殺気走った凶悪な顔をしているノルドを見付ける。初めて見る顔にユーディットは心臓がドキリ、と跳ねた。

 ユーディットを一瞥すると未だに叫んでいるマティアスへ一歩ノルドは距離を詰める。右手でサーベルを握り、左手で新たにサーベルを鞘から抜いた姿はまるで止めを刺すようでユーディットは咄嗟に、声を掛けてしまう。

「ちょっ、駄目っ」

 あえかな声にノルドの足が止まる。

 だが、止まっただけでノルドの背を見れば殺意は収束していない。

 駄目だ、とユーディットは思いながら何か打開する術はないかと漸くマティアスを直視すれば、切り落とされたマティアスの腕が光っていることに気付く。腕の切り口も光っており、不意にユーディットの脳内ある考えが閃く。一度浮かんだ考えは、確かな輪郭を持ち、それしかないという意志に繋がる。

 後ろ手に縛っていた弛んだ縄を無理矢理手首で引っ張ってなんとか出来た隙間から片腕を滑らせる。震える足を叱咤してユーディットは立ち上がるとノルドの脇を通り唸っているマティアスに近付いた。痛みに身体を波打たすマティアスを痛ましげに見詰めるとユーディットは意を決して血だまりに落ちている腕を掴んだ。硬直せず生暖かく柔らかな肉から骨が見えている。暴れるマティアスの右腕を掴もうとするが跳ね飛ばされそうになり、ユーディットはマティアスに馬乗りになる。切り落とされた腕と身体の腕を近付ければ光は強くなっていく。

「痛いっ、痛い、腕が、うでがぁぁぁあ、たすけてっ、いたい、いたいぁ」

 どうしてかこれが正しいことのように思えてユーディットは祈るように傷口を重ね合わせる。すると光が一層強くなり、目映さに目を閉じてしまう。

「いたい、っ、いたぁい、いた……くない」

 その声にユーディットは目を開ければ、マティアスは涙と鼻水を流しながら右腕を見詰めていた。手を空に伸ばし指先をマティアスは動かした。

「うごく、なんで? だって、腕、切られて――」

「嘘でしょ」

 何か聞こえた気がしたが、音を言語化出来ずユーディットはクラクラとする頭に耐えながら周囲を見渡した。目を擦れば、ぶれていた視界がクリアになり潜んでいた警備隊が誘拐犯達と交戦していることが確認出来る。

「妄りに人の命を奪わないで!! 私は、それを望んでない!!」

 大声を出して、霞んだ視界にユーディットは立ち上がろうとするが、生まれたての子鹿のように足は震え上手く立ち上がることが出来ず座り込んでしまう。それでも気丈にユーディットは警備隊の面々に視線を走らせて訴える。伝えることに懸命であったユーディットはその姿を痛ましげに見詰めたノルドの視線に気付くことは無かった。

「腕を、くっつけた!?」

 少し離れた場所で起きたことにテオフィルは座り込みながら驚きで目を瞬かせた。ノルドが腕を切り落としたのをテオフィルは目撃している。そして、地面に擲たれた右の腕をユーディットがむんずと掴んでくっつけようとしたのを、何をしているのだとぼんやりと思っていれば目映い光が腕から放たれたのだ。

「出鱈目だろ」

 現実に起きたことだというのに信じられずテオフィルは茫然としていると、ヴェンデルとルーヘンを捕縛し終わったフォルトゥナートがテオフィルに近付く。

「ユーディットは聖女だからな」

 驚きの声とは違う平坦なそれにテオフィルは首をフォルトゥナートに向けると感情を撒き散らす。

「だからって、あんなのそれは――」

「奇蹟だろうな」

 言葉を途切り躊躇ったテオフィルの言葉を引き継ぐようにフォルトゥナートは言葉を続けた。

「でも、ユーディットはっ――」

 見知った人物が突然異形のそれに変化してしまったようで困惑するテオフィルの姿にフォルトゥナートは然もありなん、と頷く。フォルトゥナートとて信じ難いが、何分目の前で起きた事象を否定するのは自分自身を否定することに通じている為、受け入れたに過ぎない。ユーディットならば、ありえる、その一点でフォルトゥナートは奇蹟を受け入れた。

「警備隊はユーディットの声に従っている」

 フォルトゥナートの指摘にテオフィルは周囲に目を配れば、警備隊が殺すつもりではなく生かして捕まえようとしている姿を確認する。

「殺すつもりだった筈なのにな」

 何もユーディットの声に覇気があったからではない。

 ましてや、身体の末端に至るまでその声に支配されたわけではない。

 ただ、従った方が良いのではという、緩い強制力のような躊躇いが心に生まれたのだ。

「フィル、無事か?」

 手を差し伸べられてテオフィルはその手を取ろうとするが上手く立ち上がれない。

「フィル?」

 立ち上がろうとしないテオフィルの様子にフォルトゥナートは首を傾げた。

「安心して、腰が抜けたみたい」

 へにゃりと笑い緊張感のない返答にフォルトゥナートは小さく笑うと屈んでテオフィルの両脇に腕を差し入れた。

「無事で良かった」

 自然と抱き上げられてテオフィルは思わずフォルトゥナートに抱きついてしまう。

「よく頑張ったな」

 背を撫でる掌の大きさを実感しながらテオフィルは自然と涙を零してしまう。羞恥で顔を隠すようにフォルトゥナートの胸板に押しつければ、フォルトゥナートはテオフィルの背に回していた手を上に滑らせて頭を優しく撫でた。身体の奥からじんわりと熱いものが広がり、安心感が広がっていくテオフィルは輪郭を持たずぼんやりとしていた感情の正体を受け入れた。今、突如生まれたわけではない。いつだって、声を上げて叫んでいたそれをテオフィルは非在にしていた。目を逸らしていたその想いをテオフィルは抱き留めた。








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