第24話 準備
王国軍の控え室を間借りして身支度を整えているノルドは腰に吊したサーベルに無意識に手を伸ばしていた。長年使ってきた相棒は手入れのしやすさと汎用性の高さを極めたものである。本来であれば騎乗している時に本領を発揮するそれだが、白兵戦にもノルドはこれを利用していた。自然と手に馴染んだサーベルは打ち切ることを目的として、刺突と斬撃を兼ね合わせたいいとこ取りの形だ。剣身の根本は真っ直ぐで切っ先が緩やかに湾曲している。柄も護拳の部分も華美な装飾はなく実直さを示しているようであった。
「………………」
イメージを一つ思い描いてノルドは細く長い息を吐き出す。戦う前に思考を割くのは稀だ。情報収集は勿論大事だが、自分の作り出した想像に固執する危険を孕んでいることをノルドは憂慮していた。何より、難しいことを考えるよりも先に標的を斬れば良いという、単純な作法の話しが大半を占めていた。普段と掛け離れた自分の行動に、平常心という言葉が頭を過ぎるが、今が日常から懸隔しているのだから仕方がないことだ、とノルドは自分を擁護する。自分の手の届く範囲に警護対象がいないなんて、異常な事態だ。
「――考えごとか?」
その声にノルドは我に返り、へらり、と笑みを浮かべた。クヴェンの目に浮かぶのは軫憂ではなく呆れにも似たものでノルドは思わず苦笑した。
「いえ、大丈夫ですよ。仕事はきっちりこなしますって」
いつものヘラヘラとした掴み所のない笑みを浮かべるノルドだがクヴェンには剣の腕の心配はない。人を斬ることには躊躇いの無い男だということはこれまでの付き合いで十二分に把握をしている。警備隊の中でその剣は誰よりも苛烈だ。
「そんな心配はしていない。頭の心配はしているが」
軍服に袖を通してクヴェンはノルドに顔を向けるとこれ見よがしに溜息を漏らす。
「えっ、僕、冷静ですよ」
「……そうか」
やだなぁ、と軽口を叩くノルドを放置して身支度を済ませていくクヴェンの双肩にはこれからの警備隊の命が掛かっている。これから一仕事するというには悠然とした表情のクヴェンにノルドはほんの少しの羨望を抱く。クヴェンの腰に据えられたブロード・ソードにノルドは目を遣る。普段から使っているそれはノルドのサーベルよりも刃が広く、全長が短い。懐に飛び込むことに恐れないクヴェンにはよく似合う気骨のある剣だ。使い勝手の良さから多くの軍人が同様に使用している。ノルドのサーベルと同様に打ち切る為の剣だ。
「…………乱戦になりますかね」
「………………」
ノルドの尋ねにクヴェンは沈黙を持って返答する。ならば、とノルドは腰に付けていたベルトとサーベルを外す、と予備で持っていたベルトを腰に巻く。慣れた仕草で、腰の左と右にサーベルを吊す。両利きのノルドだからこそ出来る二刀流だ。利き腕でメインとなる武器を、もう一歩の手に小型なマンゴーシュを持つというスタイルが二刀流では一般的だ。同一の武器を扱うのは技量と膂力が必要となり、隙を生むことに繋がりかねない。それを上回る自負がノルドにはある。
「珍しいな」
普段は一振りを腰に吊しているノルドにクヴェンは意外そうに眉を跳ねる。
「負けるわけにいかない戦いでしょう」
目を伏せたノルドの心の裏が読めずクヴェンはほんの少し不安になる。元より、本心を窺わせない男だが最近、頓にそれが顕著だ。読めないことに不便こそあれど困惑することはないが、ノルドの持つ常識がクヴェンの持つそれとは時折違っていることが在る以上憂慮するのは仕方が無いことだろう。
「聖女は無事だと思うか?」
我ながら意地の悪い尋ねだとクヴェンは口の端を歪めた。ノルドの手が一瞬、動きを止めたのを横目で確認する。
「無事でしょうよ。人質の価値ってもんです」
聖女は傷付けられることはない、と無意識に考えていたテオフィルのような言い草だとクヴェンは思うが、ノルドが実際にそう思っているようには見えなかった。
「上に話をつけて、医師団の一人がこっちに到着する予定だ」
クヴェンの言葉にノルドは意外そうに目を丸くする。それは要請したのかとノルドの眼差しが訴えるがクヴェンはそれを取り合わない。
「何もなければ、ただの無駄足だ」
革手袋を手に嵌めてクヴェンはそう言って溜息を漏らした。腰に吊らしたブロード・ソードを確かめると数度クヴェンは頷いた。
「準備は出来ましたか?」
控え室外から顔を覗かせたエルラフリートにクヴェンとノルドは顔をそちらに向けると小さく頷いた。
「フォルトゥナート殿も準備できていますよ」
一歩、控え室に足を踏み入れたエルラフリートにノルドは目を瞠った。
「珍しいもん付けてるね」
左の腰に吊しているのは刺突をする為のレイピアだ。握った手を覆うように彫刻と宝石が嵌め込まれた護拳は一般的な装飾とは掛け離れている。その上、レイピアの弱点である強度もエルラフリートに為に誂えたものの為、幾分か強度が増している。普段使いのものだが、ノルドの目はそれを捉えていたのではなく、腰の後ろに吊されているマンゴーシュを指し示していた。相手の攻撃を受け流したり打ち払ったりする盾のような役割を持っている。ノルドと同じように二刀流が可能になる。
「……一応、持っておいた方が良いかな、と思いまして」
ノルドのような手練れではないとエルラフリートは少し気まずそうに顔を逸らした。
「まぁ、全然余裕かもしれないしね」
ノルドの軽い口調に、エルラフリートの眉根に皺が寄る。何を楽観的なことを言っているのかと咎め立てるような視線を向けるクヴェンはこの二人もこの二人で面倒だった、と思い起こした。生まれが違う、立ち位置が違う、信条が違う、優先順位が違う、何もかもがちぐはぐだ。貴族の出自のエルラフリートに反して、ノルドは市井の出身だ。それこそ育った環境も違えば、立ち居振る舞いも違う。相互共有の常識が無い以上、どちらかが歩み寄らなければならないが、互いに折れないのだから面倒極まりない。エルラフリートは自分が間違っていないのだと頑なに思っているから折れる理由がないと考えるし、ノルドは折れることが負けだと思っているのか齟齬をそのまま放置している。決定的な亀裂にもならず、連携が破綻を来すことは無かったがクヴェンの気苦労の一つである。何よりも、ノルドは聖女であるユーディットを軽視している節があり、一方、エルラフリートは聖女であるユーディットを強く信奉している。感情を注ぐ相手が一緒だというのにその慈しみ方が違うのだから感情の共有など出来る筈もない。
「――行くぞ」
これ以上二人に話をさせたら面倒なことになるような気がしてクヴェンは話を切り上げさせる為に声を掛けた。
「はい」
「わかりました」
返事の良い声にクヴェンは一瞬顔を歪めると溜息を吐き出して足を踏み出した。
面倒な部下を持った、とクヴェンは心の中でぼやいた。
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