第19話 渦中
ドタバタ、と足音を立て勢いよく扉を閉めた男の姿に部屋の中の雰囲気が緊張から緩和に転じた。
「ヘニング、無事戻ってきたんですね」
荒々しく机の上に麻袋を置くと、ヘニングは一仕事をしたと得たり顔をする。
「無事、金は回収した。さぁ、ここからどうするんだ。ヴェンデルの言う通りに動いたぜ。ついでの買い物も言われた通り済ませた」
椅子に腰を下ろしたヘニングは拠点にいるメンバーに目を遣る。赤い髪に翠の眼を持つ男に目を遣ったヘニングは作戦の続きを促すが、男は薄い笑みを浮かべるだけで口を開こうとしない。
「おっと、こいつは渡せないぜ。撒いてきたと言っても、どうせ、外には付いてきた連中が居るんだ。援護があるまでは動かないぜ、ルーヘン」
麻袋を自分の方へと引き寄せたヘニングにルーヘンは困ったように眉を下げる。
「私達は仲間じゃないか」
ルーヘンの穏やかな声にヘニングは胡散臭そうに顔を顰める。
「保証が無きゃ、渡せないぜ。さっさと此処から連れ出してくれ」
ヘニングの訴えにルーヘンは尤もだと頷いて、降参だとばかりに両手を軽く挙げた。
「分かったよ、私が使いに出る。何事にも手順というものがあるんだよ、ヘニング。それまでは、此処に居てくれ」
金があれば裏切ることはないだろうとヘニングは麻袋をジッと見詰めて頷いた。
「では、行ってくるよ。皆も、少し落ち着いて待っていてくれ」
部屋に居る他のメンバーに声を掛けたルーヘンは外套を纏いドアへと手を掛ける。
「外には警備隊がいるぜ、多分」
それはルーヘンを慮るものではなく、自分の身の安全を憂慮する言葉だった。
「何、逃げることには少し自信があってね。それに、こっちには彼らが崇拝する聖女様がいるんだ。下手に手出しは出来ない」
「聖女様ね、俺は見ていないけれど」
ヴェンデルの近くで捕らわれている聖女を見ることはなかった、とヘニングは不服そうに唇を反らした。
「聖女様も今は大人しくしている。あれは柔い身体を持つ、女なのだから」
ルーヘンの何かを含んだ物言いにヘニングは追及する気が起きず、そのまま受け流してその背を見送った。
食えない男、それがヘニングが抱くルーヘンの印象である。ヴェンデルと連んでいるルーヘンは悪事の計画立案が主としており、下準備から実行が多いヘニングとは同行することはない。恐らく軽視されている、とヘニングは思う。泥に塗れて作戦を実現するヘニング、を馬鹿にしている節がある。そう言葉を投げかければ、恐らく、そんなことはないとあの胡散臭い笑顔を浮かべて頭を振るだろうとヘニングは推察する。考えるだけで胸がムカムカしてきてしまい、ヘニングはその思考は誤りであると脳内で放り投げた。
「なに、こっちには金があるんだ」
麻袋を一撫でしてヘニングは、仲間の一人に酒を持ってくるように声を掛けた。
「鼠を一匹取り逃がした?」
クヴェンの唸るような声に萎縮する隊士を見てフォルトゥナートは小さく息を漏らした。荒事になるのを見越して同行していたが早速の襤褸に気分は凋んでいく。
旧市街の一角にある建物を遠巻きに包囲したのは少し前だが、包囲の態勢が整うその間隙を縫うように一人の人間が乱れた包囲網を突破した。
「申し訳ありません。どのような処分も受ける所存です」
「後を追ったのですが通りで振り切られてしまいました」
「ですが、何かを持っていた様子はなく空手でした」
「赤毛の男です。金を運んだ奴とは違います」
頭を垂れる二人の隊士の姿にも動揺はしていないがクヴェンは眉間の皺は深い。漸く、一つ息を吐き出したクヴェンは二人を見据える。
「失態だと思うならば、自分でその分取り返してみろ。配置に戻れ」
クヴェンの一喝に二人は頭を下げた後、駆けて行く。
「らしくない、落ち度だな」
「背後に聖女がいないからな」
嫌味にも取れるフォルトゥナートのその言葉にクヴェンは薄く笑った。
「常在戦場と言っていて、このざまだ」
首の裏に手を掛けて、背中を丸めて細く深い息をクヴェンは吐き出した。
「随分と弱気だな」
生来の豪胆さは何処へいったのだとフォルトゥナートは目を瞬かせる。
「後手に回っているのは事実だからな」
現実を直視しているクヴェンの言葉にフォルトゥナートは、ああ、と頷く。現実を理解しているからこそその先を描くことがこの男には出来ているのだろう、とフォルトゥナートは実感する。
「全員殺すつもりか?」
その話を蒸し返すのか、と眉根を寄せたクヴェンにフォルトゥナートは、それでも、と踏み込む。ユーディットの在り方に関わりのある事だ。
「現場で殺すか、牢で殺されるか、その違いなだけだろう」
クヴェンの端的な言葉にフォルトゥナートは頭を振った。分かっている癖に矛先を変えようとしている。
「人が殺すのか、法が殺すのか、大きな違いだ」
「そんな説法のようなこと聞き入れる気は無い」
迷いを断ち切るかのようにフォルトゥナートに向けていた視線を外したクヴェンは息を切らして近付くテオフィルに気付く。
「二人共、漸く見付けた」
「フィル、宿舎に戻ってなかったのか?」
フォルトゥナートの驚いた様子に自分が此処に居たらいけないのか、とテオフィルは軽く睨み付ける。
「そうだな。長丁場になるかも知れないから戻っていろ」
「えっ、折角追ってきたのに」
クヴェンのにべもない態度にテオフィルは声を荒げる。
「お前は戦力外だからな」
尤もなクヴェンの言い分にテオフィルはぐうの音も出ない。思わずフォルトゥナートに目を向けるが、静かに視線を外されてしまいテオフィルはグッと奥歯を噛み締める。
「フィルを気遣いながら戦う余裕がない」
乱戦が推定される戦場で自分以外のことを気に掛ける余裕があるのは余程の実力を持った者だけだろう。
「それは、そうだけど。俺にだって何か出来るかもしれないだろ」
「自分の身を守れない奴が来る場所じゃない」
渋るようなテオフィルにクヴェンは容赦ない言葉を浴びせる。それが、傷付ける為の言葉では無く、事実を告げるものだからテオフィルは言い募ることが出来ない。
「分かったよ。戻れば良いんだろ」
「向こうから何か接触があるかもしれないからな。何しろ、金を手にしたら居場所を教える、ときた」
クヴェンの言葉にテオフィルは頷くと、そういえば、と実物を見せていなかったことを思い出して畳まれた紙を取り出した。
「これか、先刻話していたやつは」
折り畳まれた紙を広げたクヴェンは中を確認する。それを横から覗き込んだフォルトゥナートは不快そうに眉根を寄せた。
「手段を問わない外道だな」
ユーディットの切られた髪を見たフォルトゥナートの感想に同意するようにクヴェンは頷いた。怖い目に遭っていないだろうか、とテオフィルは今更ながら不安が募っていく。ユーディットが幾ら胆力があるとはいえ、力に自慢があるわけではない。無力と言って差し支えがないか弱い少女だ。クヴェンから折り畳まれた紙を手渡されてテオフィルは終いながら口を開く。
「誘拐犯は、何人居るんだ?」
現在は分かっているのは単独犯ではない、ということだけだとテオフィルは溜息を吐く。
「包囲網を突破した赤髪に引き取りに来た男、それに指示を出している人物、三人は確実か」
指を折り数えるフォルトゥナートの指をテオフィルは見詰めると不安そうに顔を曇らせる。
「あの建物の中には複数人いるのは確認されている。何処まで関わっているかは知らないが、集団だ。一人捕まえれば芋づる式に分かるだろう」
既に斥候を放ったクヴェンの言葉にフォルトゥナートは手を開くと握ったり開いたりを繰り返した。その仕草が準備運動にも思えてテオフィルは思わず男が逃げた先の建物へ目を遣ってしまう。
「フォルトゥナート、後は任せた」
自分の出来る事は無い、と推断したテオフィルはフォルトゥナートをジッと見詰める。
「任された。大丈夫、きっと大丈夫だ」
安心させるようなことを言うのはユーディットを模倣しているのだろうかとテオフィルは考える。泰然として、言い聞かせるように告げるのはいつもはユーディットの役目だった。
「連中から何か接触があったら、宿舎に残している隊士に報告しろ」
「分かった」
金の引き渡しは終わったのだ。誘拐犯の望み通り金は引き渡された。ならば、何かしらのアクションを期待しても良いのだろうとテオフィルは心を上向かせた。
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