第18話 取引




 翌朝、目の前に積まれた麻の袋にテオフィルは目を瞬かせた。これを取引現場に持って行くのだ、と自分の今日の仕事をテオフィルは頭の中に叩き込む。フード付きの全身を覆うローブを目深に被ってテオフィルは表情を読み取られないようにする。ユーディットの身代わりをする時と同じように女装をしたのは、相手に警戒心を抱かれないようにする為だった。テオフィルとしてもクヴェンの案は尤もだと思っていたので快く了承した。足に纏わり付くスカートの鬱陶しさなどユーディットのことを思えば容易いことに思えたのだ。クヴェンやフォルトゥナートから幾つもの注意事項を雨のように降らされ叩き込まれたその全てを余すところなく理解出来るかと言えばテオフィルは首肯出来ないが、妙な自信だけが付いた。そうして、テオフィルは、取引現場に到着した。

「っ…………――」

 二重の意味で重い麻袋を担いでテオフィルは噴水の縁にそれを置いた。軽くなった肩に反して心の強ばりは強まるばかりでテオフィルは軽く肩を動かしてしまう。市の一角に作られた噴水広場はのどかで剣呑な取引の現場になるとは到底思えない。周囲を見渡せば、通行人に紛れた一般人に偽装している何人かの警備隊を見付ける。一人では無いことを心強く思いながら、強く跳ねる鼓動にテオフィルは深く息を吸い込む。俯いて視界に入った青い花は誘拐犯から言われた目印で、付ける時に指先が震えたなんて誰にも言えないことでテオフィルの心に密やかに仕舞われた。何処から来るのか、と視線を彷徨わせるが相手の姿を捉えることが出来ずテオフィルは息衝く。商店の遣り取りに子供を連れた母親の姿、ありふれた日常の風景だがテオフィルにはそれが非現実的なものにも思えた。

 噴水の縁に腰を下ろして、この後の算段をテオフィルは思い起こす。気付かれないように包囲はするが、捕縛はせず尾行をする。単純な指示だが、テオフィルの波打つ心にはそれを受け入れる余地がない。ユーディットの無事をいち早く把握したいと願うのは人情だろう。情で動きそうになるテオフィルを理解したように周囲は論理立てて、理知的に動くことの有為を説明するものだからテオフィルは自分がそこまで衝動的に見られているのかと不安になってしまう。溜息を一つ零して、足下の伸びた影を見詰めていたテオフィルの視界に新たな影が過ぎる。

「っ――」

 咄嗟に顔をそちらに向ければ、何処にでもいそうな普通の青年がそこに立っていた。自分と同じく待ち合わせか、と思っていたテオフィルの考えが覆ったのは、その青年がテオフィルの肩口に刺していた青い花を凝視したからであった。意外だ、とテオフィルは心の中で呟いてしまう。推察していたのは強面の極悪人だったが、掛け離れた平凡な優男風の青年にテオフィルは虚を衝かれてしまう。

「あー、あんたが約束の人?言った通り、警備隊とかじゃなさそうだな」

 お互い探りながら相手を見詰める緊張感にテオフィルは呑まれぬように唇を噛みしめた。

「そうです」

 視界に入っているだろうが証明するようにテオフィルは麻袋を一撫でして男を見遣った。ニヤリ、と男が笑ったことから麻袋の中身を承知していることはテオフィルにも想察出来た。男の手が麻袋に伸びるのをテオフィルは遮るように麻袋を抱きかかえた。

「おい、分かってるのか。それがなけりゃ、どうなるのか」

 男の言葉から事情も知らぬただの使いではないことは明白でテオフィルは思わず睨み付けてしまうが、目深に被ったフードがそれを遮ったのか男は顔色一つ変えない。

「待って下さい。居場所を後で教えるなんて、卑劣じゃないですか。貴方達が教えてくれるなんて保証ないです。今教えて下さい。此処に約束のものはあります」

 抗言されるとは思っていなかったのか男の表情は忽ち曇る。双眸に宿るのは蟻視のそれだがそれと共に不快感に彩られる。

「立場が強い方が優位なのは当然だろ。おたくらはそれを呑まなきゃいけない立場」

 優位性は揺らがないと余裕の笑みを漏らす男は既に遠巻きながら警備隊に囲まれている。それを知っているのか、知らないのか、それとも気にしていないのか男は平然としている。掴み所の無いそれに微かな恐怖を覚えるがテオフィルは心を奮わす。

「無事、なんですよね」

 男を見上げてテオフィルは懇願するように語りかける。それが功を奏したのか男の表情が微かに変わる。

「金さえ貰えれば、返すって」

「でも、本当に――」

「くどいな。ほら、これが証明」

 男は胸元から折り畳まれた紙を取り出すとテオフィルに手渡した。なんだろう、とテオフィルは折り畳まれた紙を一折りずつ開いていくと、中にあったものに喉が引き攣った。

「っ――!!」

 親指ほどの長さがある髪の束だった。落陽のその時を思わせる色は、ややもすれば自分の髪色よりもよく見た色でそれをテオフィルは見紛うことはなかった。

「なんて、酷いことを……」

 髪を切った、と呟いたテオフィルの唇が戦慄く。激情に身を任せようとしたテオフィルの視界にフォルトゥナートが過ぎり、一呼吸おいて、怒りを鎮めようとする。そうして、テオフィルは漸く髪の束の下に書かれた文字に気付いた。

「ん?」


 『私は無事です』


 『どうか、彼らの言う通りにして下さい』


 『私をどうか助けて下さい』


 普段よりは乱れているがそれはユーディットの書く文字でテオフィルは漸くユーディットに触れられたような気がして胸をなで下ろした。

「ほら、分かったろ。それ、渡して」

 男が指差したのはテオフィルの脇に置かれた麻袋だった。これ以上、情報を収集することは出来ないだろうかとテオフィルは思案するが男は苛立ったように数度足先でで地面を踏む。

「分かりました」

 手渡した麻袋のずっしりとしたその重さに男は驚いた顔を見せたが、直ぐにそれを大事そうに抱え直すと笑みを浮かべた。

「じゃ、そういうことで。分かってると思うけどさ、俺が無事に戻らなきゃ、聖女様も戻らないからな。後付けてきたり、妨害したりしたらどうなるか分かってるよな」

 最後だとばかりに脅しの言葉を掛けてきた男にテオフィルは頷くと男は満足そうに頷いて背中を向けた。




 テオフィルと男の遣り取りを少し離れた場所で見守っていたクヴェンは平凡な容姿をしている警備隊の二人に目配せした。先行させる旨は伝えていたので、二人は男の後ろを引き離されない程度の距離を開けて尾行する。それを追い掛けるように他の警備隊士も動きを見せる。後を付けるなと言われても、見逃すことはどうしても出来なかった。一網打尽にする為にも男が何処に向かっているのか知る必要があった。随分と悠長なことをしているのだと、クヴェンは思ってしまう。害悪は単純に排除すれば良い、と教えられてきたが聖女という足枷がそれを許しはしなかった。まだるっこしい手法をとるのも何よりも聖女の為である。そこにユーディットへの配慮がないことをクヴェンはよく知っている。極限まで薄弱にさせられたその気配にクヴェンは同情もしなければ憂慮もしなかった。警備隊の隊長には不要なことだと削ぎ落とした結果に後悔は一欠片もない。そして、殺すより生かす方が余程難しいことを知っている。

 店が並んだ通りを進む男の姿を類い希な視力で把握しながらクヴェンは、アジトへと正しく連れて行ってもらえるか心配する。尾行されていることを考慮して動いていると見るのが常道なのは言うまでもないが、男の視線が何かを探すように彷徨っていることが気がかりであった。

「待って。これ」

 息を切らして追い掛けてきたテオフィルに、付いてきたのかとクヴェンは瞠若する。テオフィルの役割は金銭の受け渡しで終わっていて、追跡班には含まれてはいない。

「なんだ。宿で待っていろ」

 最初から頭数に入っていない、と男の姿から目を離さずクヴェンは横に並ぶテオフィルに告げる。

「俺だって、ユーディット心配してるんだから」

 それを疑ったことはない、とクヴェンは告げるべきか考えるが不要なことだろうと脳内で却下した。それよりも、あの男がユーディットの元へ連れて行ってくれると信じているのだろうか、とクヴェンはテオフィルを心配してしまう。

「あいつが戻る場所にユーディットが居るとは限らない」

「分かってるけど、そうじゃなくて、この手紙」

 差し出してきたテオフィルに、クヴェンは仕方が無いと男から一旦視線を外そうとするが、気を取り直す。

「紙を渡されていたが、手紙だったのか。犯人からか?」

 小走りで付いてくるテオフィルに視線を投げること無くクヴェンは尋ねる。

「いや、ユーディットが書いてる。助けてって」

「あの女がそんな殊勝なこと書くか。書かせられたもんだ」

 筆の運びを見ること無く推断したクヴェンはユーディットを十二分に理解しているようで、テオフィルからすれば頼もしかった。

「それと髪の毛の束が入ってた」

 言い難そうに言葉を濁したテオフィルはクヴェンの蟀谷がヒクリと動いたのを目撃する。言葉にしない憤りをテオフィルは感じ取れた気がする。

「そうか」

 その一言にクヴェンが何を込めたのかテオフィルには分からなかったが、クヴェンの眼差しが一層鋭さを増したのが嬉しかった。

「知ったら、面倒なことになりそうだな」

 誰を想起したのかクヴェンの眉間に皺が寄る。誰のことを指しているのか、とテオフィルは口を開き掛ける。

「待て、止まれ」

 クヴェンの手に制されてテオフィルはつんのめりそうになる。

「何?」

「奴が、止まった。尾行している連中も止まった。店に入ったようだ。くそ、此処からじゃ見られないな」

 舌を鳴らしたクヴェンにテオフィルは視線を前へと向ければ人波に紛れてしまい視認が出来ない。衆人に紛れやすい出で立ちだったことを思えばそれとも当然だったのかも知れない、とテオフィルは深く観察をしなかった自分を悔いた。直ぐにでも忘れてしまうような印象の無さは彼の特徴だったのだろう。

「戻ってきた」

 クヴェンの言葉に麻袋を持った男をテオフィルは漸く捕捉する。左腕に麻袋を抱いて、右腕には何か紙袋を抱えている。

「何か、買ったのか?」

「こんな状況で、か?」

 テオフィルの呟きに返答しながら、前を歩く男が歩くのに合わせてクヴェンは足を踏み出した。視線で前に居る隊士の一人に店を確認するよう指示を出すクヴェンを見てテオフィルは、人を率いる人間なのだと言うことを改めて思い知る。

「走った」

 その言葉と同時に横から風が来たとテオフィルが認識して横を向いた時、クヴェンの姿はそこにはなかった。

「俺、スカート」

 先を駆けるクヴェンにテオフィルは思わず弱音を吐いた。それを拾い上げたのかクヴェンは後ろ手で軽く手を振る。

「後から来い」

 付いてくるなとは言わないのだな、とテオフィルは思いながら先を進むクヴェンの背を見詰めた。




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