第17話 誰がために剣を捧げたのか

 ユーディットに宛がわれた部屋に戻ったテオフィルとフォルトゥナートの間に沈黙が落ちる。

「――フィル大丈夫か?」

 気遣いの眼差しを向けてくるフォルトゥナートにテオフィルは頷く。

「お金の引き渡しの件なら、うん。頑張るから」

 自信があるのかと言われれば、強く頷くことは出来ないがテオフィルは出来る限りのことはやるつもりである。

「それより、俺は警備隊の連中がまともに捕まえる気がない方が心配だよ。ユーディットは、納得しないと思う」

 脳内のユーディットに問い掛ければ、不愉快そうに顔を顰める姿が容易に想像出来てしまいテオフィルは唇を噛みしめる。

「正直、間違ってるとは、俺は思わない。あいつらに出来るのは事実を隠滅することだけだ。法廷に引き摺り出された連中が真っ当な証言をするとも思えない。あること無いこと告げて混乱させるだけかもしれない。それが聖女に害を為すとなれば、尚更、口を封じるだろう」

 警備隊の出した結論は合理的だと涼しい顔でフォルトゥナートが言うので思わずテオフィルは睨み付けてしまう。ユーディットの気持ちが勘定されていないそれは、誰にとって合理的なのだろうか。

「ユーディットが嫌がるのも分かっている。だが、視座が違うのだから意見が交わることはないだろう」

 状況を整理しただけだ、とフォルトゥナートは言葉を重ねる。

「俺は国がどうしたいか、よりもユーディットがどうしたいかを優先したい」

 真っ直ぐなテオフィルの言葉を予想していたのかフォルトゥナートは柔らかく笑う。

「フィルならそう言うと思ってた」

 安慮したかのように思える微笑みにテオフィルは心臓が一際強く跳ねたのを感じる。

「おっ、俺は、国に忠義を捧げているわけじゃないから。ユーディットを手助けしたいって、それだけだから」

 早口で理由を捲し立てればフォルトゥナートは深く頷く。自分の考えをきちんと共有しているという様子のフォルトゥナートにテオフィルは安慮した。

「あと、ありがとう」

 唐突な謝辞にフォルトゥナートは瞠若し、目を瞬かせる。長い睫が瞬く度にバシバシと音が聞こえてきそうだ。

「あのさ、庇ってくれてた、だろ。全部、俺が悪いのに」

「たらればの話をしても仕方が無いだろう。それに、実際、テオフィルも悪いが、ユーディットも悪い」

 責任の所在を明らかにしたところでユーディットの無事が確保されるわけではないのならば、追及するだけ時間の無駄だとフォルトゥナートは考えている。その時間を今後に活かした方が有意義だ。

「そして、二人から目を離していた俺にも責任がある」

「フォルトゥナートは悪くないだろ。俺達が勝手にやったことだし」

 フォルトゥナートの口から零れた言葉にテオフィルは遽色を浮かべる。関係の無かったフォルトゥナートに責任の一端があるとはテオフィルは考えていない。

「二人のことで関係の無いことなどある筈ないだろ」

 国に宛がわれた、とノルドの言った言葉が頭を過ぎるが、テオフィルは不思議とそれを意識をしたことはなかった。最初からフォルトゥナートは自分達を支えてくれていて、労ってくれていた。そういったものをユーディットは既に見越していて信頼しているのだとテオフィルは考えていた。

「フォルトゥナートは、俺達を大切にしてくれているよな」

 傍から聞けば自意識過剰な言葉だがテオフィルは躊躇せず紡いだ。

「大切な者を大切にして何が悪い」

 文句があるのかと鋭い眼差しが投げかけられてテオフィルは軽く驚きながら首を横に振った。

「違っ、ほら、この間さ、ノルドに言ってただろ国の奉仕者って」

 テオフィルが何を言いたいのか推察したフォルトゥナートは小さく息を吐いて、呆れたように告げる。

「俺が剣を捧げたのは聖女で、俺にとって聖女とはお前達のことだ」

 自分が含まれていることに驚いてテオフィルは振り返れば、真っ直ぐに見詰めてくるフォルトゥナートと視線がかち合う。

「そんなの初めて聞いた」

 震える声で茫然と告げたテオフィルにフォルトゥナートは、そうだったか、と今迄のことを思い出し小さく頷く。

「初めて言ったな」

 言葉を途切りフォルトゥナートは顎に手を掛けてポツリと告げた。

「ユーディットが頑なに警備隊を信頼しなかったのはそれを気にしていたからな」

 国の犬と、誹る言葉をユーディットが影で使っていたのをテオフィルはよく知っている。だが、何故、そう告げているのか、本当の意味でテオフィルは知らされていなかった。ただ、聖女を監視する役目を密やかに担っているという推察に依るものかと思っていたがユーディットの危惧がどこにあったのか初めてテオフィルは知らされる。

「だから、少し意外だった。ノルドがあれ程までにユーディットに拘泥しているとは思わなかった」

 状況が状況だったから指摘することも出来ず、聞き流すことしか出来なかったことを思い出してテオフィルは、それに、と、声を重ねる。

「クヴェンも、ユーディットのことちゃんと心配してた」

 上辺だけの関係だと思われていたのに、粘度のある熱のようなものに触れた気分に陥ってしまう。それこそ、仇敵のような限りない隔意を抱いた距離間だと思っていたのだ。

「俺は、クヴェンは予想の範疇だったな。あいつは、いつもユーディットの身の安全に固執していた」

 視線に孕む熱の意味は分からずとも、それが本気であるか否かは傍から見ても十分に理解出来るものであった。

「あそこから動くつもりはないんだろうがな」

「そうなのか?」

 傍から聞いている人間が愛の告白かと錯誤してしまうことを告げていたのに変わらぬ距離間を保とうとするのだろうかとテオフィルは疑問に思う。

「知られるのが恥ずかしい、とかそういうこと?」

 テオフィルの尋ねにフォルトゥナートは曖昧に微笑んで生暖かい眼差しを向けてくる。それが、道理を知らない幼子に向けるようなものな気がしてテオフィルは不服そうに唇を反らす。

「ユーディット、大丈夫かな」

「大事な人質だ。命は保証されているだろう。だが――」

 言葉を濁したフォルトゥナートに先を促すようにテオフィルは眼居で訴えるが、フォルトゥナートは眉根を微かに寄せて頭を振った。

「途中で止めるって何だよ」

「いや――」

 最悪の不幸を思い描いたフォルトゥナートはそれをテオフィルに伝えるのは酷だろう、と口を閉ざす。恐らくそれを無意識に避けて話をしていたテオフィルを思っての配慮だったが、もしも、を考えるとフォルトゥナートの心も重くなっていく。自分の知るユーディットの面影を脳裏で浮かべて、無事を祈る。

「俺は、どうにかしたい」

 思案の果てを告げるかのようにテオフィルの言葉は浮ついたものではなかった。芯のある言葉にフォルトゥナートは小さく頷く。

「フィルがすることを助けたい」

 特別だと言われているようでテオフィルは思わず顔を赤らめてしまう。ユーディットの一大事だというのに、早鐘のような鼓動は何かをずっと訴えかけてきてテオフィルは心を落ち着かせようとする。

「傍に居るからかな、ユーディットの考えそうなことはなんとなく予想が付くんだ」

 フォルトゥナートから視線を外したテオフィルは赤らめた顔を隠すように俯いた。

「そうだな。警備隊の連中よりは余程分かっている。ただ――」

 何か気がかりなのかフォルトゥナートが言葉を途切る。何を躊躇しているのかテオフィルは分からず首を傾げて続きを待つ。

「一般的に考えて俺達の方が分かってるし、自負もしている。だけど、本当に理解しているのかと言われて惑う部分が無いとは言えない」


 『聖女ちゃんはさ、普通の女の子でしょ』


 フォルトゥナートの容に滲む困惑にテオフィルの脳裏にノルドの言葉が過ぎった。普通とは何を指し示しているのか、という根本的な問題はおいておいて、ノルドはユーディットをその他大勢に括って埋没させているようにテオフィルには思えた。侮るなと言ったフォルトゥナートの言葉はテオフィルにとって尤もだった。ユーディットが聖女を象る為に為した錬磨を非在にされたようで、不愉快だった。別段、ユーディットが特別だとか、尊いだとかテオフィルは言いたいわけではない。実際、テオフィルにとってユーディットは身近な女の子の一人だ。だが、十把一絡げにされるのは釈然としないのだ。

「絶対、俺達の方がユーディットのこと理解しているし」

 ノルドの指摘は見当違いのものだとテオフィルは反脣した。




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