第15話 誘拐




 テーブルの中央に鎮座しているのは一枚の紙。悪筆の主の要求は辛うじて読み取れるものであった。

「おい、テオフィル」

 クヴェンの不機嫌そうな声にテオフィルは蒼白になりながら顔を向ける。

「なに」

「これはどういうことだ?あいつは男と逃避行だったんじゃないのか?」

 苛立った様子を隠さず手の甲でテーブルを叩いたクヴェンはテオフィルをギロリと睨み付ける。

「そんなこと言われても――」

「聖女ちゃんの男を見る目がなかったんじゃない。白馬の王子様じゃなくて悪漢の類だったってだけ」

 緊張感のないノルドの声がテオフィルを助けるかのよう部屋に響く。

「それは大いにあり得るが、金と引き換えに身柄を渡すというのは真っ当な悪人の発想だな」

 クヴェンの尤もな言葉にテオフィルは同意するように項垂れる。外出から帰ってこない、という単純なものではなく誘拐されたと、状況が一変してしまいテオフィルは正直頭が付いていかない。何か障害があって帰ってこられていないのではないかという考えは的を射ていたが人間の手によるものだとは想定していなかった。

「ユーディットは誘拐された。救出が先決だ」

 事実を淡々と告げるフォルトゥナートにクヴェンが苛立ったような双眸を向けるがフォルトゥナートは身動ぎすることなく言葉を待つ。

「責任の所在は後回しだ。一万ギニーを要求してきた」

「一万ギニーだなんて、そんな――」

 エルラフリートは言葉を途切り、グッと歯噛みして俯く。

「安すぎます!!」

 顔を上げて叫んだエルラフリートにテオフィルは目を丸くしてしまう。

「聖女様の御身がその程度のわけないです。いや、抑も、金銭に換えるべきものではない尊い存在ですが、一万ギニー程度の存在だと思われているなんて幾ら何でも酷い侮辱です」

 恚怒するエルラフリートの姿にテオフィルは周囲に助けを求めるように視線を彷徨わせるが、それを受け取ったのはノルドだけでヘラリと笑みを返すだけだ。

「国は不承不承金を用意したそうだ。決して安くはない金だ」

 エルラフリートの態度に反するようにクヴェンは言葉を続けた。

「身柄の引き渡し方法は?」

 話が逸れそうになるのをフォルトゥナートが修正する。引き換えとなる金銭が揃っているからといってユーディットが無事に戻ってくるとはテオフィルとて思っていない。

「金を渡してから居場所を示した紙を渡すと。交渉役が戻ってこない場合は聖女を殺すそうだ」

 声にならない悲鳴を上げて顔色蒼白のエルラフリートを横目で見詰めテオフィルは何か考える仕草を見せるノルドに目を向けた。

「連れてこないっていうのはまぁ定石かなって思うけど、なんだか計画が杜撰だよね」

「プロならばもっとふっかけてくるだろう」

 ノルドの言葉に同調するようにフォルトゥナートが意見を告げる。扼腕して発憤出来ぬ怒りを抑えこむようであった。

「それで、お偉方はどういう解決をご所望で?」

 揶揄するようなノルドの口吻を咎めることないクヴェンの姿に、警備隊も上層部に思うところがあるのだということをテオフィルは推察する。

「国は聖女の誘拐などあってはならないこと、承知するわけがない」

 クヴェンの言葉にテオフィルは首を傾げて傍に居るフォルトゥナートに目を遣る。

「目撃者がいなければ、誘拐された事実などなくなる、ということだ」

 ああ、とテオフィルは納得しかけるが、意味を反芻して理解に及ぶと容に遽色を浮かべる。

「一切合切、皆殺しだな」

「はぁ!?」

 何でも無いことのように告げるクヴェンにテオフィルは思わず引き攣った声を喉から絞り出してしまう。

「まぁ、そうなるよね」

 クヴェンの発言に異を唱えるつもりはないのかノルドは納得したように数度頷く。警備隊中では比較的善心なエルラフリートは、とテオフィルは視線を走らせる。

「そうですか……」

 苦渋の決断のように神妙な顔をするエルラフリートの姿にテオフィルは苦懐を飲み込んだように思えた。

「一言いいか?」

 軽く挙手したフォルトゥナートに八つの目が一斉に向けられる。自分だったならば、心が折れるだろうな、とテオフィルは考えながらフォルトゥナートの発言を待った。

「ユーディットはそれを望まない」

「おっ、俺もそう思う」

 フォルトゥナートに加勢するように告げれば視線が突き刺さるものだからテオフィルは内心ビクビクしながら言葉を重ねる。

「ユーディットは無用な殺生を嫌ってる、ましてや自分の所為だって思ったら、悩むと思う」

 背負うなと言っても散ってしまえば誘拐犯達の命をユーディットは背負うだろうとテオフィルは自然と思う。誰にも知られぬように傷ついていくのを想像するだけで胸が締め付けられる。

「はぁ――」

 クヴェンの口から零れたのは盛大な溜息だった。額に手を当てて俯いているからか、双眸の色を伺うことが出来ずテオフィルは悚懼する。眸子に浮かぶのは惘惑か赫怒か或いは両方か、テオフィルはクヴェンの言葉を待った。

「聖女ちゃんはきっと知れば苦しむだろうね。でも、知られなければ、無かったも同然だよね」

 脇からの声にテオフィルは瞠目する。

「随分なことを言うな」

 感心したようにフォルトゥナートが声を漏らすものだからテオフィルは咎めるように流し目で睨み付けてしまう。

「――聖女を謀るとは良い度胸しているな」

 咳払いをしたフォルトゥナートの声に険が滲み、テオフィルは同意するようにコクコクと頷く。単純に言えば、ユーディットに事実を伏せて取り繕うとノルドは言い放ったのだ。

「謀るなんて酷い言い草だね。嘘を吐くわけじゃない。ただ、黙っているだけだよ。聖女ちゃんの為にね」

 御為倒しの言葉を吐き出したノルドにテオフィルは思わず鋭い目付きで見てしまうが、ノルドは表情を崩すことなく恬淡としている。

「生かしていたら、誘拐がいつか公になる。また同じことを起きるのを防ぐ為にも口を塞ぐのは有為だ。存在そのものを知らなければ、聖女ちゃんだって哀しまない。ですよね、隊長」

 ノルドはクヴェンに視線を投げて薄く笑った。歪な庇護にも似たノルドの気遣いにテオフィルは愕然とする。テオフィルの脳内の処理が追い着かない。分かり合えない薄気味悪いものとして初めてノルドを認識する。目を覆い隠して、見せたいものだけを見せて、感情を誘導するようなそれをテオフィルは優しさだなんて思えなかった。

「ユーディットの為だなんて言いながらユーディットの気持ちを一切考えていないじゃないか。悲しみや苦しみを排除するなんて、そんな出鱈目なこと――」

「するよ。そんなの聖女ちゃんには不要だ。聖女ちゃんには綺麗な場所で傷つかないでいてもらうんだから」

 きっぱりと告げたノルドにエルラフリートの目が瞠る。嘘の濁りのない言葉だとテオフィルは思った

「聖女をどう思っているかは勝手だが、過保護が過ぎるだろ」

 凡そ常人の持つ感覚では無いとフォルトゥナートはノルドを嘲惘するがノルドの平然とした態度は相変わらず崩れない。

「硝子細工じゃあるまいし、頑強に出来ている。聖女の力量を侮るな」

 フォルトゥナートの言葉にノルドの容に慍色が浮かぶ。嫌忌を隠さないその様子にテオフィルは、あれ、と何か違和感を持ってしまう。

「そうやって理解者然として、叱咤して無理強いしてきたわけ? あんた、普通の女の子に同じこと言えるの?」

 普通の少女に同じことを言えるかと問われれば、フォルトゥナートは否と答えざるを得なかった。

「そこいらの小娘とユーディットを一緒にするな」

 ユーディットを認めているからこそフォルトゥナートはその辺の脆弱な小娘と同一視するなと物言う。それが癪に障るのかノルドはこれ見よがしに溜息を吐くとフォルトゥナートを見据える。

「聖女ちゃんはさ、普通の女の子でしょ」

 軽視している、とフォルトゥナートの眉が不愉快そうに跳ねる。テオフィルはフォルトゥナートと同じ感覚を持っていることに安慮した。ノルドに抱く違和感の一端を捕まえたような気がしてテオフィルは、その情になんて名前を付ければ良いのか困却する。視座が違う、焦点が異なる、その深奥にあるのは他者への憂慮なのに至る所が懸隔している。それは屋上で話した時から感じていたズレだった。

「それだけじゃない」

 抗弁したところで無駄かと言った様子のフォルトゥナートは不満を撒き散らすように溜息を吐いた。

「あのじゃじゃ馬の性根はこの際関係ない。国は聖女誘拐なんて不始末を許容出来ないだけだ」

 突き放したような物言いのクヴェンがユーディットを気に掛けているのはテオフィルも既に承知している。ユーディットらしさを損なわないように顧慮していたのならば今回のことに思うところはあるだろう。

「聖女の身柄を確保するが第一義だ。それは変わらない。犯人の生死は問わない。それだけだ」

 これ以上の遣り取りを制するようなクヴェンの言葉にテオフィルは歯噛みして俯いた。

 警備隊はユーディットの身の為、取引を受け入れることを承知した。そして同時に相手を警戒させない為にテオフィルの金銭引き渡し役も決定した。




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