第14話 聖女の功罪





 しくじった、とユーディットは心の中で盛大に打ち拉がれる。何度目になるか分からない後悔の言葉に浅はかだった自分を疎んでしまい建設的な考えが浮かばない今の状況にユーディットは音を立てぬよう細い息を吐いた。粗悪な縄に後ろ手に縛られて床に転がされている今の自分を客観視してユーディットは、項垂れる。なんとはなしに勝ち誇ったようなクヴェンの表情を想像してしまい、身体の中の衝動を発散する術もなく床をごろりとユーディットは転がる。硬い板張りの床に転がる酒瓶に目を走らせ、襤褸のカーテンの奥にいる男達の気配に警戒をしながら、正常に稼働していない脳で今後のことを思い浮かべる。


 カツン――


 靴の音にユーディットは床から音の主を見上げる。身を起こすのも億劫で転がったままという屈辱は半ば捨鉢だった。銀色の髪の男がこちらを複雑そうな顔をしてみているものだから、分かり易い、とユーディットは心の中でほくそ笑んだ。腹芸に長けていないのは容易く分かってしまう。気が差しているのか容に滲むのは悔いにも似た不安で、その単純さはユーディットの心を落ち着かせた。

「何か用?」

 誘拐された人間がおよそするではない口吻でユーディットは男を睨み付ける。

「いや、別に。俺は――」

「貴方はいつもそうね。マティアス」

 白銀の男――マティアスにユーディットは呆れたような声を掛ける。この場で容易く制圧されるし、足を振り上げればユーディットは傷を負うだろうが、マティアスは唇をきつく結ぶだけで動こうとはしない。

「マティアス、飲もうぜ。聖女様を捕まえたんだ。これで俺達は大金持ちだ」

 カーテンを払い大きな足音を立ててマティアスに肩を組む大柄な男の姿にユーディットは目を側める。ユーディットの存在に気に掛ける必要性すら感じないのか男はマティアスに上機嫌で自分達の方へ来るように促す。

「まさか、お前が聖女様の知り合いとはな。お前が居てくれて助かった」

「そうでもないけど」

 迎合するように、ヘラリ、と笑ったマティアスにユーディットは倦色を浮かべるが男達に気付かれることはない。

「聖女様、今の自分の立場分かってるのか?」

「ヴェンデルっ」

 ユーディットを見下ろした男――ヴェンデルはマティアスの制止の声を振り払いユーディットの柔い腹部を靴の爪先でトントンと叩く。獲物をいたぶるようにヴェンデルは不規則な間隔でユーディットの腹を突っつく。

「っ、く……!!」

 振り抜かれた、とユーディットの目がそれを捉えるよりも先に身体に襲った痛みにユーディットは歯をきつく噛み締める。ドンドン、と無様に転がった衝撃で口腔に傷を負ったことを喉の奥に滑り落ちる血の味でユーディットは察する。下腹部を真正面からではなく脇腹を蹴られたのが不幸中の幸いだったのか鈍い痛みを引き連れてユーディットは上半身を起こした。

「ヴェンデル、ユーディットに怪我をさせたら」

「死ななきゃ良いだろ。お綺麗な聖女様。俺達を見下げて良い暮らしをしてきたんだろ。穢れ一つ知らないとでも言いたげな様子でお高くとまってて、はっ、良いご身分だな」

 マティアスの言葉を遮ったヴェンデルから投げつけられる言葉の礫をユーディットは平然と受け止める。

「生意気な目をしやがって、俺を馬鹿にしてるのか」

 ユーディットに見据えられたヴェンデルは何が気に触ったのか激昂して再度足を振り抜こうとする。

「ヴェンデル、まずいって。警備隊にバレたらどうすんだよ」

「バレなきゃ良いんだろ」

 抑えこもうとして自分の行動を遮ろうとするマティアスをヴェンデルは睨み付ける。その気勢に気圧されたマティアスは一歩、後ずさりしてしまう。

「――レディに対して、この扱いは不調法じゃなくて」

 こちらを見詰める眼差しが真っ直ぐ過ぎてヴェンデルは虚を衝かれてしまうが、それは一瞬のことで色を作した。

「ふざけるなっ! 何も成し得ていない聖女のくせに大きな顔をするな!!」

 頬が引き攣ったのをユーディットは自覚した。敵ながら良い一撃を繰り出してきたと内心拍手をしながらユーディットは怯まないように相手を見据える。それは、有り体に言って強がりだった。虚勢を張らなければ我を保てないような気がしてユーディットは腹に力を込める。先程の衝撃で身体は痛みを訴えてくるが、黙止する。

「私が何をしたと言うの」

 相手を挑発しないように仕草に注意を払いユーディットは声を掛ける。対話は相互理解する為には必要な手段の一つだ。

「そうさ、何もしていない。俺らを救済してくれない、役立たずの聖女。分かってない。分かっていないくせに、上辺だけの言葉。傅かれて気分が良いだろうよ」

 こういう時、言葉は無力だとユーディットは思う。恐らく、言葉を尽くしても届きはしないだろう。だが、それは自分が折れる理由には至らないと無駄な行為と分かりながらユーディットは言葉を重ねようとする。

「っ――――」


 パシャっ


 冷たい、という感覚の後、前髪から雫がポタポタと零れるのが視界に広がり、鼻腔にアルコールの匂いが届く。グラスの中身を頭の上からかけられた、と数拍おいてユーディットは気付く。

「はっ、いいざま」

 自分が強者であると疑わない男の声を何処か遠くで聞きながらユーディットは顔を俯かせる。後頭部から項にかけて冷たい液体が這い背中を伝っていく。

「ヴェンデル、これ以上は止めてくれ」

 酒を浴びせられて俯いているユーディットをマティアスは痛ましげに見詰める。その眼差しに気付いたヴェンデルは不愉快そうに眉根を寄せた。

「幼馴染みだからって肩入れするのか?」 

「そういうつもりはないが――」

「俺に指図するな。そいつは金と交換だ」

 ヴェンデルはそう告げるとカーテンの向こうへと消えていった。




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