第13話 本当のところ




 ユーディットは笑顔で戻ってくるものだとテオフィルは無条件に信じていた。いつも通り、辛口な批評をして民草の幸せに充足感を持つのだとばかり思っていた。戻ってこないなんて、そんな可能性をテオフィルは露些かも考えてはいなかった。想定外のそれは、テオフィルに責任を鋭く突き付ける。ユーディットを見付けられず帰還してきた警備隊の人間の重苦しい雰囲気から逃れるようにテオフィルは部屋を離れたが、咎め立てる人間は居なかった。テオフィルの存在を気に掛ける余裕がないのだ。スタスタと赤絨毯の引かれた廊下を歩きながらテオフィルは宿舎を彷徨う。目当ての場所など無く、聖女の扮装をしてテオフィルは非常扉に手を掛けた。非常階段の先には屋上があって、太陽は真上に燦然と輝いている。手招かれるようにテオフィルは階段を静かに上がると、屋上への先客の姿を捕らえる。テオフィルに背を向けて街を見下ろしているノルドは手にはグラスを持っている。休憩なのだろうが、警備隊から離れていることが現状にそぐわずテオフィルは猜疑の眼差しを向けてしまう。ユーディットの失踪は周囲を取り巻く誰の心にも等しく衝撃を与えた。戻ってこないという単純な事実にエルラフリートは言うに及ばずクヴェンにすら仄かに焦りが滲んでいた。だが、ノルドには悲壮感もなければ、焦燥も見当たらない。掴み所のない笑みを浮かべて、周囲の不安を和らげる慰めの言葉を漏らすだけだ。仮初めの言葉の軽さにテオフィルは気持ち悪さを感じていた。


 『ほら、もう少ししたら戻ってくるかもしれないよ』


 『聖女ちゃんも、楽しくて帰ってくるの遅くなって気まずいのかもよ』


 ユーディットに接した人間が導き出した答えとしては下等なものだとテオフィルは断じてしまう。聖女然としていた少女が、自分の役割を放棄するなんて無責任なことを選ぶと考えるのはあまりにも現実から乖離している。継ぎ接ぎだったとしてもユーディットは聖女であろうとしていた。きっと、今、話しても悲しいほど噛み合わないだろうとテオフィルはこの場を立ち去ろうとする。

「――行っちゃうの、影ちゃん?」

 ノルドに背を向けたテオフィルの足が縫い付けられたように立ち止まる。思わず振り返れば、ノルドはテオフィルへと身体を向けて居た。

「………………」

「あれ、嫌われちゃったかな」

 言葉を返さないテオフィルにノルドは首を竦めた。他人に威圧感を与えたりしないノルドらしい振る舞いだが、テオフィルは殺気走ったノルドの双眸に射貫かれている。どちらが、本質かと言えばあちらが核なのではないかと思っている。

「他の人達、部屋で相談してますよ」

「だよね。辛気臭くて、困っちゃったよ」

 咎め立てるようにならないよう平坦な声で告げたテオフィルにノルドは苦笑する。軽やかな口吻には憂愁の欠片も見当たらない。

「心配じゃないんですか」

 告げなくて良い言葉だと知りながらテオフィルは声を漏らしてしまう。告げてしまった後、自分を締め上げてまでユーディットの無事を確保しようとしていたことを思い出すが、あれ以来、そんな素振りを見せないものだからテオフィルは混乱してしまう。テオフィルからの言葉が意外だったのか目を眇めるとノルドはホッと息を吐きだす。

「このまま戻ってこないかもね」

 笑みを添えてノルドが告げた言葉にテオフィルは硬直してしまう。頭の処理が追い着かずカッと怒りにまかせて怒鳴らなかった代わりに沸々とした粘度の高いマグマのような怒りが沸き上がってくる。ユーディットはそんなことしない、とテオフィルは怒叱しようと口腔で舌を動かす。

「僕それでも、良いと思うんだよね。好きな相手と逃避行、なんて、普通の女の子が選びそうなことして、正直安心してる」

「は?」

 ユーディットが聖女であることを放り投げるなんて、テオフィルの頭の片隅にも一瞬過ぎったことだった。他人に今更ながら言われてそれが如何に馬鹿らしい推理ではないかとテオフィルは思う。テオフィルの眉根に皺が寄ったことを気に留めずノルドは更に言葉を重ねる。

「警備の人間として不適切なこと言ってるとは分かってるけど、あの子が人間臭いことしているの良いと思うよ」

「なんですかそれ。言ってる意味分からないです」

 ノルドの言動はテオフィルの慮外で、言葉の通じない他文化の人間を相手しているかと錯覚してしまう。


「――ユーディットちゃんには幸せになって欲しいんだよ」


「はぁ!?」

 笑顔が嫌いだと告げた人間が宣う発言とは思えずテオフィルは我ながら間の抜けた声を発したと思ってしまう。

「何、言ってるんですか!! だって、ユーディットのこと嫌いだって言ってたじゃないですかぁ!!」

「えっ、そんなこと影ちゃんに言ったっけ?」

 顎に手を当てて考え込むノルドは自分の発言に覚えはない様子でテオフィルは頬を打擲されたかのように頭がクラクラしてしまう。

「言いました。ユーディットの笑顔嫌いだって。あの発言で、俺がどれだけ悩んだと思ってるんですかぁ」

「ああ。あれ、うん。聖女ちゃんの笑顔は嫌い。それは確かだよ」

 ノルドの言葉に自分に聞き違いではなかった、とテオフィルは安慮するが、安心して良いのかとはたと気付いて顔を強ばらせる。

「あれは彼女自身が負う傷を覆い隠すからね。ひっぺがしたくて、ひっペがしたくて堪んないよね」

 あはは、と笑顔で告げるノルドを見詰めてテオフィルはなんだか自分が考えていることが見当外れなような気がしてくる。

「ただの小娘に成り下がるなら、僕的にはオッケーだし。幸せにしてくれる男を自分で見付けられてるなら、まぁ許容範囲かな」

 逃避することを快く思っている口ぶりだからテオフィルは今迄考えもしなかった不穏なことを想像してしまう。

「ちゃんと探したんですよね?」

 見逃したのでは、と匂わしたテオフィルにノルドは一瞬何を言われたのか分からないかのようにきょとんとすると、口元に笑みを宿した。

「まさか、仕事はちゃんとやるよ」

 ちぐはぐな言動にテオフィルはどこまで何を信じれば良いのかと困惑してしまう。語ってきたこと全てが真実だとも思えず、かといって欺瞞に満ちていたわけでもない。

「――ユーディットは、男と一緒に逃げるような奴じゃないです」

 改めてテオフィルは口に出したが、不思議と言葉に力が込められたような気がする。願望を込めた言葉が真実のように聞こえてくる。

「そっか」

 落胆した様子のノルドに、残念がるのは違うのではないかとテオフィルは頭に過ぎって馬鹿正直に口に出そうとしてしまうのを既の所で思いとどまった。ノルドはどの立場でユーディットについて語っているのかすらあやふやだった。

「何か、事情があるんだと思います。あいつは、聖女であることに誇りを持ってます」

「うん。それは嫌って程、知ってる」

 ならば何故、失踪したなんて思いつくのか、そうであって欲しいと願っているのかとテオフィルは眼居でそれとなく訴える。

「人間なんて幾つも矛盾を抱えているもんだよ、影ちゃん」

 自分の持つ感情を持て余しているのかノルドはテオフィルの鋭い眼差しに苦笑いをする。ユーディットが男と逃避行なんて的外れな事だと脳の理知的な部分は囁くのに、男に恋い焦がれるただの小娘であって欲しいと感情は訴求するのだ。

「ユーディットは、本当は我儘だし、横柄だし、暴君だし、無遠慮だし、容赦ないけど、誰かが幸せだと本当に綺麗に笑うんです。俺は、そういう姿、ずっと見てきてました」

「うん。だからさ」

 言葉を途切るとノルドは嘲嗤した。


「――歪だって、思わないの?」


 ユーディットを人間として真っ当ではないと言われたようでテオフィルはノルドを見据えるが、ノルドの眼差しは恬として揺らぎがない。

「他人の幸福を自分の幸せに摩り替えるなんて薄気味悪いよ。人間らしさを剥がして磨り減らしたらあの子はどこにあるのさ」

 あの子、と告げたノルドの声は憂いを帯びていた。ユーディットを気遣っていることをテオフィルは容易く察するが、言っている意味が上手く飲み込めなかった。テオフィルにとってユーディットは聖女を含めてのことだ。聖女はユーディットを構成する一部である。だが、ノルドは聖女とユーディットは別の人格だとでも言いたげでユーディットが聖女であることで押し潰されるのではないかと言っている。そのことはテオフィルにとって初めてとも思える考え方だった。

「えっ、と、つまりノルドさんはユーディットを心配しているってことですよね」

「えっ?」

 予想外のことを言われた様子のノルドは今迄それに気付いていなかったのか容に驚愕が滲む。

「そんな、綺麗なもんじゃないよ。聖女という在り方が気に食わないだけだよ、僕は」

 遽色を即座に収束させたノルドは忌々しそうに告げる。その言葉に嘘の匂いはなくテオフィルはノルドの本心をまたも見失ってしまう。

「聖女の扱いについては俺だって思うことはありますけど……」

 国の管理に一番不満を持っていたのはユーディットだ、とテオフィルは言葉を濁してしまう。国の人間であるノルドが幾ら明け透けに言っているとは言え、どう思っているか知られるのはきまりが悪いとテオフィルは口を噤む。

「小娘一人の犠牲の上に成り立ってる仕組みに意義なんてあるわけない」

 曖昧にして玉虫色をした言葉を得意としたノルドにしては珍しくきっぱりとした言葉だった。真率な眼差しにテオフィルは月にかかった雲が晴れた気分だ。

「違います。間違ってます。ユーディットはそんな弱くない。犠牲だなんて思っていない」

「……そう思うように躾けられただけでしょ」

 そんなことも分からないのかと言いたげなノルドの眼差しがテオフィルの身体を撫でる。物を知らぬ幼子のような扱いを受けてテオフィルは不服に思うが訴える強い言葉を持たない。能弁だったのならば説き伏せられたのだろうかとテオフィルは考えるが、恐らくそれが難しいことを察して唇を噛みしめる。

「分かってないです。それは見当違いの心配です」

 ユーディットが知れば鼻で笑いそうな不要な心労だろう。憐れまれていると知ってユーディットがどういう反応をするか想像するだけでテオフィルは冷や汗をかいてしまう。

「影ちゃんも大分毒されてると思うよ。そう、信じたいだけじゃない」

 笑って取り合おうとしないノルドにテオフィルは小さく息を漏らす。言葉を尽くして、知って欲しいと思うがノルドは見た目に反して頑固だ。自分で見たものしか信じないのだろう、とテオフィルは心の裡に声を放り投げた。

「俺はユーディットの影で沢山見てきましたけど、全部は分かってないです。でも、それでも、ユーディットは――」

「フィルっ!」

 声と共に腕を掴まれて後ろへと引き寄せられてテオフィルは空足を踏みそうになる。

「フォルトゥナート」

 首を後ろに向けてその姿を捉えてテオフィルは安堵の息を漏らした。

「相変わらず、騎士様は鼻が利くね」

 やれやれと大袈裟に首を竦めたノルドはテオフィルを庇うように引き寄せたノルドに視線を向ける。

「フィルに何を言った」

 フォルトゥナートの真っ直ぐな言葉と眼差しを受け止めるとノルドは呆れたようにこれ見よがしに溜息を吐いた。

「今、心配すべきはそっちじゃないでしょ。あんた、聖女騎士だよね」

 ノルドの言いたいことを察したフォルトゥナートは渋面するが、テオフィルは汲み取れないのか首を傾げた。

「別に良いけどね。聖女ちゃんの話をしてただけだよ」

「国の奉仕者である警備隊が何を語る?」

 聖女を都合の良いよう扱っている人間が何を言っている、とフォルトゥナートは言外に訴えれば、その悪意は容易く届いたのかノルドの眉根が寄った。

「……それはお互い様でしょ。聖女騎士だって国が聖女に宛がった存在だよね」

 痛いところを突かれた、とノルドは笑みで取り繕うとする。

「俺を取り立てたのはユーディットだ。聖女の意思が最終決定において一番優先された。俺は聖女の為の騎士だ。お前とは優先すべき順位も違う」

 フォルトゥナートの言葉には、一緒くたにしてくれるな、という憤りが滲んでおりテオフィルも同調するように頷いた。

「――じゃあ、聖女ちゃん大事にしなよ」

 ヘラリと笑ったノルドの言葉を額面通り受け取って良いのかテオフィルは思わずフォルトゥナートに目を遣るが、フォルトゥナートは不満そうにノルドを見返すばかりだ。数拍おいてフォルトゥナートはテオフィルを振り返った。

「フィル、ユーディットらしき人物の目撃証言があった。これから捜索に向かう」

「俺も一緒に」

「いや、悪いがフィルはユーディットのふりをしていてくれ」

 直接ユーディットを捜索できないことにしょんぼりとしたテオフィルを慰めるようにフォルトゥナートはテオフィルの背を撫でる。

「ユーディットは大丈夫だ」

「ほら、探しに行くんでしょ。行くよ」

 テオフィルの脇を通り過ぎてノルドが非常階段を下りていく。ノルドの言葉に引っ張られるようにフォルトゥナートの身体がそちらへと動き、階段を下りていった。二人の背を見送りながらユーディットの無事をテオフィルは願った。


 翌日、警備隊の元に聖女誘拐の脅迫文が届く。





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