第12話 露呈
「あのじゃじゃ馬、到頭やったか」
クヴェンの口から漏れたのはユーディットへの賞賛に近い言葉で、迷惑を被り当惑しながらも警備隊を出し抜いた聖女への賛嘆へ限りなく傾いていた。一方、顔面蒼白であまりのことに虚脱しているのがエルラフリートであった。本日の警備体制がエルラフリートの隊に任されていた以上、責任感のあるエルラフリートが申し訳なく思い衝撃を受けるのは当然のことであった。
「警備体制に落ち度がありました。見張りの配置が不足していました」
「いやいや、そうじゃないでしょ。護られる側が、こっちを欺こうとしてたんだから、無理でしょ」
棘を纏う言葉を吐き捨てたノルドにテオフィルは責められている気分になる。実際、ノルドは意図して口に出しているのだろう。こちらを見る眼差しが酷く冷めていてテオフィルは気分が更に凋んでいくのを感じ取る。
「ユーディットが主導してフィルは従わざるを得なかっただけだ」
事実を平坦な声で告げたフォルトゥナートにノルドは興奮を抑えられず指を突き付けて睥睨する。
「それが浅慮だって言うの。聖女ちゃんがどういう立場なのか少しでも理解しているならば手助けなんかしないでしょ」
手抜かりを咎められたテオフィルは釈言する気力すら削がれてしまい言葉の嵐に耐える他ない。
「――っで、御多分に洩れず、またいつもの民衆の生活がどうたらってやつか」
椅子に座りテーブルに肘をついて鼻で笑ったクヴェンにユーディットの信念ですら馬鹿げだものだと扱われた気がしてしまいテオフィルは思わず声を上げてしまう。
「ユーディットなりに知ろうとしているのを無駄だって言うなよ。ユーディットは真剣に――」
「だからだ。容易く他人に自分の幸福を委ねる癖に、期待に添えなければ排除して恨むなんて欲に忠実で蒙昧な人間の願いなんて無意味に背負う必要は無い」
テオフィルの言葉を遮ったクヴェンは滔々と捲し立てる。その語る言葉一つ一つにユーディットへの憂慮が見え隠れする。あまりにも慮外でテオフィルは目を瞬かせる。自分が見てきて感じていたことが違っていたのだと突き付けられた気分だ。
「あいつが穢れる」
まるで激しい愛の告白を聞かされた気分に陥る。硬い何かに殴打されたような衝撃にテオフィルは思わずフォルトゥナートを窃視するが、動揺の様子もなく淡々と受け入れており温度差に困惑してしまう。
「……いや、今回はちょっと、違くて」
水を差すのも悪いが状況把握は適確にしなければいけないとテオフィルは思わずそろりと肩迄手を上げて告げる。
「誰か――多分、男を探してるんだと思う。俺と会うより前の、その、初恋の相手とかじゃないかなぁ!」
最後は半ばやけくそでテオフィルは叫んだ。
「は?」
「えっ?」
「ん?」
複数の声が重なりテオフィルは三方から向けられる視線に思わずフォルトゥナートの背に隠れようとしてしまうが、自分のしでかした事を思い起こしてなんとか踏みとどまった。
「………………」
「………………」
「………………」
沈黙が落ちる。
気まずい雰囲気にテオフィルは更に言葉を募ろうとするがフォルトゥナートの手がテオフィルの口を覆った。
「ユーディットを探すのが先決だろう」
虚を衝かれて鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた三人にフォルトゥナートはいつも通り声を掛ける。
「他の連中になんて言うのよ。聖女ちゃん、男と逃避行とかショック受ける奴も居るでしょ」
踏み込んだノルドの言葉にエルラフリートの肩が跳ねた。
「別に詳細を知らせる必要はないだろ」
「情報の欠落は探索精度が下がると思うんですけどね」
あっさりと告げたクヴェンにやんわりとノルドは反論をするが、あまりにもあえかでクヴェンには届くことはなかった。
「取り敢えず、勝手に出掛けた聖女を極秘裏に探すと通達を出す。旧市街は俺が行く。東地区をエルラフリートの隊、西地区をノルドの隊で探す」
「待て。俺を頭数にいれていないな」
咎めるようなフォルトゥナートの眼差しに何の痛痒も感じていないと言いたげな涼しげな顔でクヴェンは口を開く。
「雑踏に紛れ込めないだろ」
華美な装飾がある上、存在そのものが人目を引くフォルトゥナートを馬鹿にしたようにクヴェンは笑った。
「変装ぐらい出来る。俺も行こう」
ユーディットの捜索に向かおうとする四人にテオフィルは声を上げる。
「俺も行く」
「フィル」
動きを止めて振り返ったのはフォルトゥナートだった。
「俺が、ユーディットを手伝ったんだから。俺に責任がある」
「そうだな」
落ち度を庇うことなく頷いたフォルトゥナートに、テオフィルは軽く傷つきながらもそういう人間だったことが喜ばしかった。
「だが、フィルにしか出来ない事がある」
「俺に?」
知慮があるわけでも行動力があるわけでもない自分に何が出来るのだとテオフィルはフォルトゥナートを見仰ぐ。
「ああ」
力強く頷くものだから弱った心が鼓舞される。
「ユーディットが此処に居ると印象づける必要がある」
尤もなフォルトゥナートの言葉にテオフィルは肩を落とす。
「俺って、無力」
「フィルの分も、俺が力を尽くすさ」
薄く笑ってフォルトゥナートはテオフィルの頭に手を伸ばして撫でる。幼子に対するような対応にテオフィルは不服に感じながらも自分を慮ってくれるフォルトゥナートの存在を強く感じていた。
「だから、残ってユーディットのふりをしていてくれ」
フォルトゥナートが言うのならば、これが最善なのだろうとテオフィルは納得する。今望むのは、一刻も早くユーディットが戻ってくることだ。出来れば、ユーディットの望みが叶っているのならば尚良いが、それは過ぎた願いだろう。
テオフィルの視線がフォルトゥナートの後ろへ移動する。
ふと、視線が絡む。
ヘラリ、と浮かべた笑みにテオフィルは、ああ、と心の中で呟く。
「先刻はごめんね。聖女ちゃんも、気が済んだら戻ってくるかもしれないし、意外に大事にならないかもしれないよね」
それが本音なのか建て前なのか深い繋がりがないテオフィルには判断が付かなかった。ただ、月に雲がかかったように、また、本当の顔が見えなくなってしまっただけだ。縁としていた闇夜の薄明かりを唐突に失ったような気分だ。
「そんな睨まないでよ」
ノルドの言葉に自覚のないテオフィルは怪訝な顔をするがノルドの視線はテオフィルの背後に向けられている。はたと気付き顔をそちらに向けてしまう。
「………………」
「フォルトゥナート」
眄睨するフォルトゥナートにテオフィルは声を掛けるがフォルトゥナートの反応は鈍い。
「僕はただ聖女ちゃんを心配しているだけなんだから」
ひくりとフォルトゥナートの唇が戦慄いたのをテオフィルは目視するが、発せられる筈の言葉は何故か飲み込まれた。
「テオフィル。フォルトゥナートの言う通り此処で聖女として待機していろ」
「はっ、はい」
ドア付近まで移動していたクヴェンは振り返るとフォルトゥナートの言葉を後押しするように告げた。
「お前に期待はしていない」
はっきりと告げられた言葉にテオフィルは衝撃を受けるほど愚かではない。自分の評価がクヴェンの中で著しく低下しているのは考えるまでもない事だ。震える唇は恚忿なのか怯懦なのかテオフィルにも分からなかった。
クヴェンが部屋を出たのを契機にエルラフリートもノルドもユーディットの捜索に向かい、その背を見送った。
「フィル、大丈夫だ。俺がなんとかする」
騎士の隊服を脱いで外套を被ったフォルトゥナートがテオフィルの顔を覗き込む。ともすれば、重圧に押し潰されてしまいそうなテオフィルを慮るフォルトゥナートの双眸は普段のそれとは少し違う色を浮かべている。
「ユーディットを頼む」
頭を下げてテオフィルはフォルトゥナートの手を両手できつく握りしめた。
その日、ユーディットが戻ってくることはなかった。
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