第8話 内幕




 順当な勝利だった、とユーディットは心の中で呟く。それを口に出せば傲倨との誹りは免れないだろう。フォルトゥナートの剣の構えには一縷の隙は無く、場を終始支配していた。武芸の心得など無くともその程度は素人目にも分かるのだから実力差は幾許だったのだろうかとユーディットはフォルトゥナートの力量を見縊られたことに軽く憤る。

「テオフィル、今のは――」

 同意を引き出そうとテオフィルを振り返れば、ほう、と息を吐いて呆けている様子にかち合う。熱の籠もった視線に見覚えがあるがユーディットはそれを黙止する。

「フォルトゥナートの勝利ね」

 事実を端的に告げれば、その声を拾い上げたテオフィルは目を瞬かせると我がことのように嬉しそうに頷く。

「余裕のある勝利ほど安心して見られるものはないわ」

 得意顔のユーディットの様子にテオフィルは心の中で同調しながら、強い信頼感を見せつけられた気分に陥る。平然とみていたユーディットに対して内心の動揺を隠しながらテオフィルは恐る恐る試合を眺めていた。フォルトゥナートならば負ける筈がないと信じながらも、もしもの可能性を危ぶんでいた。胆気の違いと言われればそれまでだが、情の深さの違いにも見えるから不思議なものだ。

「フォルトゥナート、気負って無くて良かった」

「注目されることに緊張はしないでしょう。普段から人に囲まれているもの」

 繊細な人間ならば周囲の環境によって手元が狂うこともあるだろうが、とユーディットはそれを容易く否定する。

「杞憂だったな」

 頭を振ったテオフィルにユーディットは薄く微笑んだ。次の試合が既に会場で行われているが二人の話の中心はフォルトゥナートのことであった。

「テオフィルは心配性だもの。でも、頓着しない男にはその位が丁度良いのかもしれないわね」

 強い日差しを掌で遮る仕草を見せたユーディットは何を思ったのか、ニッと笑みを深くする。

「ユーディット?」

「テオフィル、私、暑いわ」

 先程までの小声とは違い、周囲に主張するような声の大きさをテオフィルは気にも留めず驚く。

「えっ? 大丈夫か? 何か冷やすものとか貰ってくるか? それとも、飲み物?」

 慌てて立ち上がってユーディットの体調を気遣うテオフィルはユーディットの口がパクパクと動くのを目視した。


 ――馬鹿ね。


 そうして、漸く、ユーディットのそれが仮病だということに思い至り溜息を漏らして椅子に腰を下ろす。

「ユーディット」

 こそっと声を掛けたテオフィルにユーディットは困ったように笑う。他者に見られることを意識した様子にテオフィルは嫌な予感がしてくる。

「試合は見るわ。でも、その後は任せるわ」

「その後?」

 ユーディットが何を指し示しているのかを察することが出来ない鈍い自分を苛みながらテオフィルはユーディットの言葉を待つ。

「               」

「やったわ。流石、ディーテリヒ!!」

 少し離れた席に座るアヌシュカの大声によってユーディットの声は掻き消される。思わずそちらに目を向ければこちらを見て得たり顔のアヌシュカをテオフィルは捉えてしまう。不釣り合いな競争心を刺激されてユーディットに再び顔を戻した時には、既にユーディットは前を向いていてしまっている。その上、隣に座る貴婦人に話しかけられていて口を挟む余地は無い。終わりとは何か、答えを得ぬままテオフィルは競技会に視線を向けた。




 見られている、と意識をする必要はない。いつものような、研鑽の一度を披露するだけだ。そこに気負いもなければ物怖じもない。心が乱されるような生半可な鍛錬はしていない。聖女の騎士として相応しい役割と全うするだけでそこに個人の好悪を差し挟む余地は無い。フォルトゥナートは控え室となっている幕の内で待ちながらこの余興の着地に思い馳せた。

「フォルトゥナート殿、聖女の騎士に挑む誉れを手に入れました。宜しくお願いします」

 近付いてきた大柄な男にフォルトゥナートは視線を遣る。他の者とは違う偉容に注目していた男の名をフォルトゥナートは思い起こそうとするが等閑にしていた為、確信が持てず沈黙が落ちる。

「ディーテリヒと申します」

 フォルトゥナートの困惑を感じ取ったのか自分の名を名乗った男は薄く笑った。ああ、とフォルトゥナートは内心得心がいく。商会の護衛を束ねていると誰かが噂話をしていたのが頭の片隅に残っていた。差し出された掌に利き手を預けるとフォルトゥナートは相手の力量を見極める。随分な手練れだ、と気を引き締めて手を放した。

「宜しく頼む」

「フォルトゥナート殿、ディーテリヒ殿、準備は宜しいですか?」

 主催関係者の決勝戦を告げる声に幕を払いフォルトゥナートは外へ出れば途端、歓声に包まれる。競技場の中央に進み出る。四方八方から突き刺さる視線は普段よりも興奮しているものが大半だ。観覧席に視線を走らせて、数拍遅れて中央へ歩み出たディーテリヒに目を向けた。相対するディーテリヒに温雅に騎士の礼をするとフォルトゥナートは剣の柄に手を掛ける。相手の得物は自分よりも長い大剣だ。振るには相当の膂力が必要になる。間合いは自分のそれよりも広く、振り下ろした後の隙を突くのが最良かと算段する。

「それでは、決勝戦。彼方聖女騎士フォルトゥナート殿、此方オベラート商会が誇る護衛ディーテリヒ殿。いざ、尋常に勝負!」

 観衆を煽る口上を聞き流しながらフォルトゥナートは剣の柄を握りしめる手に力を込める。一瞬で決める、という選択肢は削奪されている。これは質の良い見世物だ。直ぐに制圧して完遂すれば終わるものではない。勝利にも道筋がなければならない。手足を拘束されているようなものだ。窮屈さを感じながらディーテリヒの剣が動く様を見送る。

「はぁっ!!」

 裂帛の気合いと共に振り下ろされた鋭い剣を受け止めることなくフォルトゥナートは後ろへ飛び退いた。靴の踵が地面を削り、煙る。キラリと土煙の中煌めいた光が真横へと薙がれる。

「っ――」

 振り下ろした後の動作が予想よりも早くフォルトゥナートは剣を鞘から抜いて剣戟を弾く。がちゃり、と金属が重なり響き合う音が辺りを包む。数合、切り結びフォルトゥナートは鮮麗な勝利をどう手繰り寄せるか算段し直す。

「やはり、簡単にはいきませんね」

 ディーテリヒの言葉に答えることはなくフォルトゥナートは一歩踏み込んで急所への攻撃を仕掛けるが既の事で防がれる。行儀悪く、舌を鳴らすがその音を拾い上げた者は運良くいない。

「っく、はっ!」

 鋒ではなく剣の側面で薙ぐ攻撃は点ではなく面を防ぎきれば良いので、容易くフォルトゥナートはいなす。脅威にはならない攻撃だが、体力や集中力を削ぐには効果的だ。十全の状態から相手を如何に損耗させるかが戦いの先途になる。

「っ!!」

 剣で攻撃を防いだフォルトゥナートは自分が苦戦しているように見えるだろうかと憂慮する。ユーディットはさぞかし不満げだろうと肩を落とす。手段を問わないのならば勝つことは容易いが見栄えを気にしているのだから手立ては絞られている。只管、隙を待つしかない。

「本気ではないでしょう? 何を躊躇しているんです」

 互いの剣が交差し、距離が詰まるとディーテリヒは言葉を掛けた。

「……荒い攻撃はご婦人方に見せるようなものではない」

 ディーテリヒの攻撃を押し返してフォルトゥナートは短い言葉を返した。品格のある勝利しかユーディットには認められないだろう。それが出来るという信頼があっての言葉だろうが楽なことではない。

 爪先に力を込めて勢いよく前のめりになり重心を移動させてフォルトゥナートは距離を詰める。剣が激しくぶつかり、剣を伝う衝撃が掌に到達する。このまま押し切るか、とフォルトゥナートは一旦、剣を引く素振りを見せて一気に押し込もうとするが軽やかなステップでディーテリヒは後退する。地面を蹴り上げてフォルトゥナートは距離を詰める剣を押しつけるがディーテリヒの剣によって払われる。その衝撃でバランスを崩したかのように不自然に重心を移動させる。受けに回っていたディーテリヒが剣が振りかぶる。漸く見えた隙にフォルトゥナートはディーテリヒの脇腹を薙いだ。

「くっ……!」

 予想外の攻撃にディーテリヒが蹌踉めき、フォルトゥナートは追撃を加える。キーンという音と共にディーテリヒの手から剣が弾き飛ばされて地面に突き刺さる。剣との距離とフォルトゥナートとの間合いを目視し無手となったディーテリヒは諦めの溜息を一つ零して直立すると審判に身体を向ける。

「負けました」

 恥じ入ることなく敗北を認めた言葉は端的であった。

 潔さに敬服するが戦いは続いているのでフォルトゥナートは気を弛めることなくディーテリヒを見据える。審判が首肯したのを目の端で捉えたフォルトゥナートは小さく息を漏らし典雅に剣を鞘に収める。お互い徒手になっても戦い方はあるが、それは背後に護るべき存在がある場合だ。観覧物には不釣り合いな見苦しい本能剥き出しな死合いに他ならない。

「っ――」

 安慮の後に観覧席に視線を走らせてフォルトゥナートは今度こそ終わったのだと肩の荷を下ろした。




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